QUADRANGLE SERIES, 1:50,000 Fukuoka 14 No.71
Geology of the Saga District
By
* Faculty of Sciences, Kyushu University
** Institute of Geology and Geoinformation
*** Institute of Lowland Technology, Saga University
(Written in 2009)
The Saga district (a quadrangle of lat. 33°10′12.0" 33°20′11.9" N, and long. 130°14′51.7" 130°29′51.6" E) is located in Kyushu, southwest Japan. The mapped district consists of a Cretaceous low-pressure and high-temperature polymetamorphosed area of the Sangun Metamorphic Rocks, Cretaceous Saga Granite, Neogene basalt and Quaternary deposits. The geology of the Saga district is summarized in Fig. 1.

The Sangun Metamorphic Rocks in this district were overprinted by low-pressure and high-temperature metamorphism of the Cretaceous granitic rocks. Non-polymetamorphosed Sangun Metamorphic Rocks are not distributed in the district and thought to be crystalline schists that suffered high-pressure and low-temperature metamorphism. The polymetamorphosed area of the Sangun Metamorphic Rocks is composed mainly of mafic gneiss with small amounts of pelitic and siliceous gneisses and serpentinite. Mineral assemblage of mafic gneiss (green to greenish brown hornblende, clinopyroxene and plagioclase) and pelitic gneiss (biotite, garnet, cummingtonite and quartz) shows the polymetamorphosed area suffered amphibolite facies metamorphism.
Cretaceous Saga Granite is distributed in the northern margin of the district. The Saga Granite mainly consists of medium-grained garnet-bearing muscovite-biotite granite to tonalite, with fine-grained marginal facies in contact with the Sangun Metamorphic Rocks. These rocks are partly foliated. The granite is dated at 82-89 Ma by biotite and muscovite K-Ar method and whole rock Rb-Sr isochronal method.
Neogene basalt occurs underground in the northeast corner of the quadrangle. The basalt includes olivine (1-3mm, 5 vol %), augite (0.3-1mm, 1 vol %) and plagioclase (0.3-1mm, 0.3 vol %) phenocrysts and shows a high-alkali tholeiitic composition (48.2-50.9% SiO2 and 2.6-3.8% Na2O+K2O). The age of the basalt is not known, but probably corresponds to the late Miocene Kitamatsuura Basalts.
The Quaternary of the district is spread outside of the district without the northern marginal portion. The Quaternary of the district is divided into the Middle Pleistocene, Late Pleistocene and Holocene.
The Middle Pleistocene is subdivided into the Tateishi and Kawazoe Formations. The Tateishi Formation includes higher terrace deposits and older talus deposits. The Kawazoe Formation only exists underground in the district. The formation intercalates 0.6 Ma Setaka Tephra.
The Late Pleistocene includes the Nakabaru Formation, Aso-3 Pyroclastic Flow Deposits, Takagise Formation, Aso-4 Pyroclastic Flow Deposits and Mitagawa Formation in ascending order, but the Aso-3 Pyroclastic Flow Deposits and Takagise Formation are not exposed in the district. The Nakabaru Formation consists of gravel, sand, silt and fresh-water clay, and intercalates the Aso-3 Pyroclastic Flow Deposits and Takagise Formation. The Aso-3 Pyroclastic Flow Deposits (130 ka) is a wide spread tephra in central Kyushu. The Takagise Formation consists of silt, marine clay and shell. The Aso-4 tephra (90 ka) is one of the most important key tephras in Japan. The Aso-4 tephra occurs in this district as a pyroclastic flow deposit (Aso-4 Pyroclastic Flow Deposits). The Mitagawa Formation is composed of gravel, sand and mud, with basal lahar deposits derived from the Aso-4 Pyroclastic Flow Deposits. The Mitagawa Formation is covered by yellowish loess including glass shards of the Aira-Tn tephra (25 ka).
The Holocene consists of the Hasuike and Ariake Clay Formations. The Hasuike Formation consists of fresh- to brackish-water clay, silt, sand and gravel. The Ariake Clay Formation is composed of marine clay, silt, sand and shell, and its sedimentation continues on the sea floor of the Ariake Kai.
This book describes the following contents from the geoenvironmental and geological engineering viewpoints. In the Ariake lowland, which is considered in this book, there were widely deposited soft Holocene clayey soils. The Holocene soils are subjected to significant environmental change, especially underground weathering after deposition, and the present geoenvironmental condition is quite different from that at the time it was deposited. From a geoenvironmental viewpoint, the future direction of technology development for soft ground treatment/countermeasure is shown. In addition, in the Ariake lowland, land-subsidence has continued from the 1970's. Furthermore, a groundwater quality problem has recently occurred. Therefore, we are facing many issues related to the Holocene clayey deposit in the Ariake lowland.
下山正一*・松浦浩久**・日野剛徳***
* 九州大学大学院理学研究院(産業技術総合研究所客員研究員)
** 地質情報研究部門
*** 佐賀大学低平地研究センター(産業技術総合研究所客員研究員)
本報告は産業技術総合研究所 地質情報研究部門が関連研究部門・センターと連携して行う「陸域地質図プロジェクト」に基づく研究成果報告書(5万分の1地質図幅付)である.研究地域は国土地理院発行の5万分の1地形図「佐賀」に図示される範囲で,ほぼ中央部を流れる筑後川を境として南東側には福岡県久留米市,筑後市,みやま市,柳川市,大川市及び,三潴郡大木町を,筑後川の北西側には佐賀県鳥栖市,三養基郡みやき町・上峰町,神埼郡吉野ヶ里町,神埼市及び佐賀市を含む.
現地調査(平成18~20年度)に当たっては三郡変成岩類,白亜紀深成岩類及び新第三紀玄武岩を松浦が,第四系を下山と日野が担当した.また第四系の調査では福岡県柳川市で,ボーリング調査を実施した.報告書のとりまとめにあたっては,島田允堯九州大学名誉教授には地下水汚染についての資料をご教示いただいた.株式会社軟弱地盤研究所の三浦哲彦佐賀大学名誉教授からは軟弱地盤についてご教示をいただいた.農林水産省九州農政局,国土交通省九州地方整備局福岡国道事務所及び筑後川河川工事事務所,佐賀県各土木事務所及び佐賀市にはボーリング資料などの地下地質に関する情報を提供していただいた.また佐賀市教育委員会からは埋蔵文化財発掘工事現場での調査を許可いただき,発掘成果の提供をいただいた.復建調査設計株式会社の市原季彦氏からは東名遺跡における堆積相についてご教示いただいた.佐賀市の大和不動ゴルフ場関係者には,場内の案内と野外調査の安全確保をしていただいた.元地質調査所九州出張所長古川俊太郎氏には地下地質についてご教示いただいた.以上の方々のご協力に感謝する.
産業技術研究所内では,重力資料について森尻理恵,20万分の1地質図ベクトルデータについて巖谷敏光と宮崎純一の協力を受けた.本文作成について青矢睦月,宮崎一博,高橋浩,水野清秀,内田洋平の助言を受けた.なお研究に使用した岩石薄片は産業技術総合研究所地質標本館の大和田朗,福田和幸,佐藤卓見によって作成された.本研究による分析データのうち,白亜紀深成岩の角閃石カリウムーアルゴン年代測定は米国テレダインアイソトープス社,第四紀テフラのフィッショントラック年代測定と火山ガラスの屈折率測定は株式会社京都フィッション・トラック,珪藻と花粉の分析は文化財コンサルタント株式会社が行った.また柳川市における産総研の学術ボーリングは株式会社親和テクノが担当した.
(平成21年度稿)
(下山正一)
佐賀地域は,世界測地系において北緯33度10分12秒―20分11.9秒(旧日本測地系:北緯33度10分―20分),東経130度14分51.7秒―29分51.6秒(旧日本測地系:東経130度15分―30分)の範囲に位置する.大部分が陸域で,行政区分は,佐賀県と福岡県にまたがり,佐賀県佐賀市,神埼市,神埼郡吉野ヶ里町,三養基郡上峰町の主要地域と,同みやき町の全域,鳥栖市,福岡県久留米市の一部,大川市の全域,筑後市,柳川市の一部,三潴郡大木町の全域を含んでいる.海域は本地域の南西隅にあり,有明海の北端が及んでいる.
本地域は九州の北部にあたり,脊振山地と筑紫山地からなる北部の山塊の南端と有明海北端にかけての範囲に位置しており,筑紫平野の主要部を占めている(第1.1図,第1.2図).
筑紫平野は西日本最大の沖積平野で,北は福岡県筑紫野市付近で福岡平野と,南は有明海と接している.筑紫平野はほぼ中央を北東―南西方向に流れる筑後川で分断され,また佐賀県小城市牛津付近と佐賀県鳥栖市―福岡県久留米市付近では山地が迫ってくびれているので,筑後川と2つのくびれを境に便宜上4地域に区分できる(第1.2図).これらを西から東に,白石地域,佐賀地域,筑後地域,北野地域と呼んでいる(浦田,1962;下山・松本ほか,1994).本地域は筑紫平野の佐賀地域と筑後地域を占めている.筑紫平野は,丘陵,台地,低地及び干拓地からなる.

国土地理院発行数値地図 50m メッシュ標高データ 日本-III からカシミール 3D を用いて描画.平地と山地の間の段彩は標高が白から暗灰色に向かって,0–10m,10–20m,20–30m,30–40m,40–50m,50–60m を示す.経緯度は世界測地系による.

下山・松本ほか(1994).2km の谷埋めによる接峰面図,数値は標高(m).
脊振山地と筑紫山地は,ほぼ東西に延びる白亜紀花崗岩類と三郡変成岩類の結晶片岩類の分布をおおむね反映した構造地形で,侵食残丘地形である.筑紫山地と脊振山地間には高原状地形(中部高原:浦田,1962)が挟まれる(第1.1図,第1.2図).山地の最高点は脊振山(1,055m)と天山山頂(1,046m)で,両山地には300~800mクラスの山頂が多数存在する.山地の急峻な部分には硬い岩石が露出しているが,中腹以下では強風化状態にある.特に深成岩類からなる山麓丘陵では深層風化が進んでいる.本地域の山地は筑紫山地の一部で,北西端の川上から城原にかけての長崎自動車道に沿って東西に延びて分布し,花崗岩類と結晶片岩類からなる.
筑紫平野佐賀地域の丘陵は平野北東部の筑紫野~中原~城原~川上間と西部の多久付近,筑後地域の丘陵は平野東部の久留米~八女間,白石地域の丘陵は平野西部の,六角川北岸の上小田~北方,平野南西部の経ヶ岳山麓の中尾付近にまとまった分布がある(第1.3図).これらの多くは標高20~100mの孤立した丘陵群である.本地域の丘陵は北部と東部に分布し,鳥栖丘陵,久留米・八女丘陵の一部である.久留米・八女丘陵は高位段丘構成層の粘土,砂,礫層から,鳥栖・筑紫野丘陵は花崗岩類と三郡変成岩類及び高位段丘構成層の砂礫層(立石層)から構成されている.高位段丘面は古い河成段丘であるが,長く侵食にさらされた結果,著しく開析されて痩せ尾根となっている.堆積面は残っておらず,砂礫層の分布からかつて存在した面を復元できるにすぎない.

台地は平野の低地面(沖積面)から明瞭に区別される1段あるいは数段高い平坦面で,大部分は河成段丘面群である.台地は面高度の違いから更に台地1と台地2とに大きく2分され,筑紫平野の東部及び北部にまとまった分布がある(第1.3図).この他の地域にも小規模な台地が認められる.
郷原ほか(1964)は,八女・鳥栖それに長洲付近の段丘面群を4つに区分し,高い方から,高位段丘面,中位段丘面,低位段丘面と呼んだ.また,中位段丘面をさらに2分し,中位段丘上位面および中位段丘下位面とした.これらのうち,高位段丘面は地形が開析されて平坦面がほとんどないので,台地ではなく,丘陵に含めた.中位段丘面と低位段丘面は明瞭な平坦面をもち,識別が可能なので,第1.3図の台地1と2に区分した.台地1には中位段丘のほか,阿蘇-4火砕流台地が含まれる.台地2は低位段丘である.
下山・松本ほか(1994)は,郷原ほか(1964)の中位段丘上位面と低位段丘面をそれぞれ中原面,三田川面と呼び,これらの面を構成する地層を中原層,三田川層と呼んだ.また中位段丘下位面を阿蘇-4火砕流台地と呼んだが,中位段丘下位面の一部は阿蘇-4火砕流直後に生じた火山泥流(ラハール)の堆積面である.後述のように阿蘇-4火砕流後の段丘構成層を三田川層と定義したため,火山泥流堆積物は三田川層に含まれる.しかし,火山泥流面高度は阿蘇-4火砕流台地と比べてほとんど差がない場合がある.八女西方の火山泥流堆積面は堆積物でしか識別できないため,阿蘇-4火砕流台地と分離できず,台地1に含んでいる.
阿蘇-4火砕流堆積物は地表で火砕流台地を形成しているほか,筑紫平野の地下にも広く分布し,良い鍵層となっている.神埼市と吉野ヶ里町の境界にある吉野ヶ里遺跡は弥生時代(紀元前4世紀から3世紀)の二重環濠集落遺跡で,阿蘇-4火砕流台地上につくられている.
中原層,三田川層は地表で段丘面を構成するほか,有明海湾奥低地の地下に広く分布している.これらはいわゆる埋没段丘である.
沖積低地は筑紫平野の主要河川下流域で広大なデルタ地形を形成している(第1.3図).この他,筑後川,矢部川,嘉瀬川,牛津川,六角川,塩田川などの中流域及び支流には細長い低地が発達し,谷底平野を形成している.
本地域の低地は標高10m未満の平地が大部分を占め(第1.1図),勾配の小さな独特の地形をつくっており,低平地と呼ばれる(第1.4図).低平地とは,有明海の大きな潮位差(最大6m)を反映した潮汐性低地のことで,強い潮流(上げ潮)で運ばれた潮汐堆積物(浮泥:蓮池層上部)による埋め立てでつくられた独特の平坦地形である.潮汐堆積は筑紫平野を形成した大きな要素と考えられている(下山・松本ほか,1994).
有明海に注ぐ各河川下流域では,上げ潮による浮泥の逆流が現在でも発生している(二渡ほか,1992)が,多くの河川では河口堰で逆流が遮断されるため,それより上流には達しない.ただし,六角川や塩塚川では河口堰による遮断がないため,現在でも河口から数10kmも上流に達している.このような河川では,浮泥が河川敷のアシ原を埋め立てるので,河川下流体が干潟の連続のような景観となる(第1.5図).逆流浮泥の原因は,上げ潮時に大量の海水が狭い河口に集中することにより生じる底土の潜掘・巻き上げと上げ潮による逆流運搬である(二渡ほか,1992).潜掘された河口周辺には砂質堆積物が残置される.河口で発生した高密度の泥水(浮泥)が逆流してゆく過程で河川の淡水と混合・希釈されつつ低塩分化するほか,浮泥粒子は分級されて細粒化する.低塩分で細粒の浮泥は河川を逆流し続け,河口から数10kmも上流に達し,そこまでの河川敷やアシ原を埋め立てる(第1.5図).この逆流した浮泥堆積物は塩分濃度ゼロの環境で堆積するが,海棲珪藻と淡水珪藻の遺骸を共に含む,均質な粘性土層をつくる(蓮池層上部粘土)(Shimoyama and Nishida,1999).
現在の低平地の大部分は水田として利用されている.水田の下にはアシの地下茎を含む潮汐堆積物(蓮池層上部)が広がっている.潮汐堆積物の堆積面は平均海面と関係しているため,低平地の形成直後は,アシ原のような,水はけの悪い湿地の広がりであったことがわかる.低平地開拓には湿地の排水と水田のための利水が必要であった.筑紫平野佐賀地域と筑後地域の低平地にはこの目的で掘られたクリーク(第1.6図)がかつては網の目のように発達し,太いクリーク(江湖)を中心に連結されていた.クリーク地帯ではクリークそのものが貯水池で,かつて,水門と有明海の大きな潮位差を利用して水位調節が行われていた.これが,下げ潮時に排水し,上げ潮時に海水で水位の上がったクリークのうわ水(淡水~汽水)を水田に人工的に取り入れる「アオ(淡水)取水」である.しかし,昭和時代後半の圃場整備工事等で,河川水を導入する農業用水路が整備されたため,アオ取水はなくなり,クリークの多くが埋められ,大きな用水路に統合された.現在は当時のクリークの光景をとどめる場所は少なくなった.
沖積低地が海から逆流した浮泥堆積物で埋積・形成されたため,低平地には自然堤防,後背湿地など,デルタ地形を特徴づける地形がほとんど見あたらない.ただし,本地域北西部の嘉瀬川沿いには例外的に自然堤防的な微高地群が見られる.この微高地群は嘉瀬川が洪水時に自然堤防を決壊させ,その先に運搬してきた砂礫を残置したものである.微高地間は低平地が入り込んで独特の地形を形成しているため,堤防決壊堆積物(b)とした.
嘉瀬川は地域の北側の脊振山地が源流域で,中部高原の水を集めて筑紫山地を横切って南下し,都渡城まで花崗岩類からなる山地の狭い渓谷を流れているが,惣座付近で筑紫平野に入る.洪水時には運搬力が急減するため,この下流側に大量の砂礫が堆積する.このため嘉瀬川はこの付近で一部が天井川となる.平野地下では砂礫層(蓮池層下部)が,駄市川原付近から放射状に延びており,旧河床あるいは埋没扇状地堆積物と考えられる.堆積物の分布方向から,かつて,嘉瀬川本流が田布施川や巨勢川に流れ込んでいたと考えられる.


上の図は河床を充填した浮泥堆積層の上を澄んだ水が流れている写真で,下は淡水環境で堆積した浮泥堆積物(六角川河口から 29km 上流の武雄市大日堰下,「武雄」地域内).

現在の有明海沿岸の海岸は,ほとんどが石垣とコンクリートで固められた高い堤防をめぐらした人工海岸である(第1.7図).明治時代以降の干拓地の変遷は大日本帝国測量部の明治34年測図5万分1地形図とそれ以降に作成された地形図により確認できる.それによると,明治33年から昭和時代にかけて干拓され,耕地化された土地(r2)は,白石地域,佐賀地域,筑後地域で著しく,干拓により前進した海岸線の幅は最大3kmに及ぶ.更に,野間(1985)はこれらの地形図資料の他,堤防の跡,古地図,歴史記録から,有明海北岸の人工海岸線の変遷を詳しく研究した.その結果,現在確実にさかのぼることのできる最古の海岸線は江戸時代初期の土塁線(松土居・本土居線)である.本地域では江戸時代初期から明治34年までの間に干拓されてできた土地をr1とした.野間(1985)は,更に古い歴史記録と,籠や搦など,干拓に関係する旧地名から,中世の戦国時代や古代の開拓地を推定している.その多くは地表面を蓮池層上部粘土がつくっている範囲にあり,低湿地の開拓とみられるが,江戸時代初期の土塁線以北で,干潟堆積物からなる海成粘性土(有明粘土層)が直接地表面をつくっているケースは古い干拓地に当たると考えられる.
このほかの人工改変地として旧河道がある.筑後川では,複雑な佐賀県と福岡県県境の分布でわかるように,本来大きく曲流をしていた河川がショートカットされて,付け替えられ流路が大きく改変されている.佐賀江川も大きく改変されている.旧河川の構造と軟弱な堆積物は地盤特性も異なるので,河川改良による放棄河川部分とその堆積物を,旧河道堆積物(ar)として区分した.

堤防から干潟に張り出した小屋は,干潟に網を張り,潮流に乗ってやってくる魚類や蟹類を,延ばした竿で網を引き上げて捕らえるための伝統漁法の施設.(柳川市大和干拓;「大牟田」地域内)
現在の有明海はその湾奥部で最大6mという日本最大の潮位差を持っており,207km2(1992年)に及ぶ広大な干潟が発達している.特に荒尾市や鹿島市の干潟は広大で,幅が数kmに達する.有明海の干潟は,大まかに,泥質干潟,砂泥質干潟,砂質干潟(砂州)の3つに区分される(第1.8図).有明海南東部は砂質―砂泥質干潟が多く,北西部から西部は泥質干潟が発達する.
これらの干潟の堆積物(底質)は,貝殻混じり粘土,貝殻・砂混じり粘土,貝殻混じり砂である.生物生産性が高いため,しばしば貝殻混じりとなり,アナジャコなどの巣穴生痕も発達する.有明海の干潟や海底の堆積物が有明粘土層である.有明海奥部では泥質堆積物が多いため,有明粘土層は主に貝殻混じり粘土やシルトからなる粘性土であるが,有明海東海岸の砂質干潟の堆積物は砂質土となる.また,干潟には澪筋と呼ばれる潮汐チャネルが存在し,底質は貝殻質あるいは砂質である.チャネル堆積物は潮汐浸食ラグを伴い,横断面がレンズ型の砂質堆積物となる.
干潟や河口では潮流が大きく変化するので,流速の大きいときにはカレントリップルマークをもつ砂の薄層と,停滞時には泥の薄層からなるマッドドレイプなど,潮汐卓越場所に特有の堆積構造が見られる.

有明海の干満差は最大6mに達し,沿岸では水深が浅いので,平均海水面による海岸線と海底地形図で低潮時の海岸を示す0mの位置(波線)は大きく異なる(第1.9図).水深0mの線と海岸の間は干潮時に干潟になる.一方有明海の中心部には有明海の伸張方向と同じく,北北西―南南東方向に伸びた数列の谷状地形が発達している.この谷状の海底地形の海岸に近い部分は陸上河川の河口に連続しており,干潮時でも船の通行が可能な澪筋をなす.しかし,反対の湾口に向かっては単調に水深を増すのではなく,有明海の幅が狭くなる部分で深くなる特徴がある.これは潮の干満で発生する潮流が海底を侵食した地形で,海釜と呼ばれる.

日本水路協会発行 海底地形デジタルデータ M5015「有明海北部」から,等深線を 5m 間隔にして作成.経緯線は世界測地系.
第1.10図には時代の異なる三種類の旧海岸線位置を示している(下山・松本ほか,1994).点線が約7,000年前の縄文時代前期の海岸線である.これらは以下のような根拠で引かれた.まず,太い実線は江戸時代初期の海岸線で,古文書から遡ることができる最古の海岸線である.これは,本土居・松土居と呼ばれる土塁線である.土塁線とは江戸初期に築かれた堤防線で,江戸時代初期の海岸線である.点線と実線の間に引かれた破線は浮泥堆積物の海側限界線である.弥生時代の遺跡との関係から,弥生時代末の海岸線と解釈される.次に,多数のボーリング資料に基づいて,筑紫平野の地下の有明粘土層の分布を調べると,縄文時代前期の有明海の広がりをほぼ特定することができる(第6.14図;有明粘土層基底の等深度線図).この頃の海域は過去100万年間で最大に広がった.海域に堆積した有明粘土層の陸側分布限界線(点線)は,縄文海進極盛期(暦年で約7,000年前)の旧海岸線と見なせる(下山・松本ほか,1994).更に,縄文海進極盛期以降,海面上昇がストップして高海面期となった.海面上昇がストップすると,陸側堆積物が浅い海を埋めつつ海側に延びてくる.このような自然陸化を弥生の小海退と呼ぶことがあるが,海面が下がったわけではなく,堆積性の海退であるため,プログラーデーションと呼ばれている.浅い海を埋め立てた陸側堆積物は海成層ではなく,上げ潮潮流が河口の河底を潜掘して巻き上げられた浮泥堆積物である.大量の逆流浮泥は河川からあふれて,凹地を埋め立て,低平地をつくりあげた.佐賀地域では,低平地の最上部を弥生時代の生活遺構が占めており,自然陸化限界線を弥生時代後期の海岸線と見なすことができる(下山・松本ほか,1994).

(下山正一・松浦浩久)
本地域の地表には古い方から高温低圧型重複変成作用を被った三郡変成岩類,白亜紀深成岩(佐賀花崗岩)及び第四系が分布する.また比較的浅所に伏在する岩石として,新第三紀かんらん石玄武岩が本地域北東部の完新統に覆われて潜在している.更に本地域第四系の下位には久留米地域に分布する鮮新世久留米層の延長部分,大牟田地域に分布する古第三系(大牟田層群など)の延長部分,及び結晶片岩の伏在が知られている(菊池,1963など)が,第四系の層厚が数100mに及ぶため詳細が明らかでないので,本報告ではこれらについては記述しない.本地域の地質の概略を第2.1図に総括して示す.

本地域北部の脊振山地と筑紫平野が接する部分には,従来三郡変成岩類と呼ばれてきた変成岩類が東西方向に細長く伸びた小岩体として露出している.本地域の三郡変成岩類は白亜紀深成活動と関連して起こった推定される高温低圧型変成作用を重複して被っており,三郡変成作用で形成された元の鉱物組成と変成組織をとどめていないので,高温低圧型重複変成作用を被った三郡変成岩類として記述する.本地域に露出する岩石は苦鉄質岩を主とし,泥質岩,珪質岩及び蛇紋岩を伴う.これらの岩石は角閃岩相の鉱物組み合わせを持ち,片麻岩化している.
北部九州は白亜紀深成岩類が広く分布しており,本地域はその南西部に位置する.本地域北部には北部九州での白亜紀深成活動で最も新期の岩体である,佐賀花崗岩が分布している.佐賀花崗岩は主に中粒ざくろ石含有白雲母黒雲母花崗岩―花崗閃緑岩―トーナル岩からなり,三郡変成岩類との接触部では細粒岩相を示す.いずれの岩相も灰白色を呈し,暗色包有物をほとんど含まない.またカリ長石に乏しい岩相にも白雲母と黒雲母を含んで,角閃石を欠く.層状(縞状)と片麻状の2種類の東西方向の面構造を持ち,それぞれ花崗岩マグマの流動を示す流理と固結後の塑性変形を示すと考えられる.
新第三紀かんらん石玄武岩が本地域北東部佐賀県三養基郡みやき町江口の筑後川旧河道の地下17m以深に潜在している(角縁・長崎,2000).地表の露出はない.高アルカリソレアイトの組成を示し,本地域西方に分布する後期中新世北松浦玄武岩に対比できると考えられる.
筑紫平野は現在沈降傾向にあるため,第四紀層が厚く堆積している.段丘は低く,大部分は埋没段丘となっている.佐賀地域中央部の第四系は300m以上の厚さを持っているが,基盤岩まで達するオールコア試料が得られていないため,本報告では深度200m付近までの第四系(中部更新統―完新統)のみを記載した.これらの第四系は下位より,川副層,立石層,中原層,阿蘇-3火砕流堆積物,高木瀬層,阿蘇-4火砕流堆積物,三田川層,蓮池層及び有明粘土層に区分される(第2.1図).
佐賀地域の厚い第四系の大部分は阿蘇-4火砕流堆積物(約9万年前)より下位のものである.これらの更新統は地層形成後現在までに,少なくとも9万年(多くは数10万年以上)を埋没状態で経過しているため,圧密と続成作用による固結化が進んでいる.一方阿蘇-4火砕流堆積物より上位の上部更新統―完新統はそれ以下の更新統に比べ,圧密が十分でなく,時代が新しいので固結度が非常に低い.このため,これらは軟弱な地盤を形成している.3~8万年前の更新統である三田川層はこれらの中間を示し,固結度が「中位」である.
第四紀層の大部分は有明海とそこに流れ込む河川の影響を強く受けながら形成された.間氷期の高海面期には海成層(高木瀬層及び有明粘土層)と同時期の非海成層(中原層及び蓮池層)が堆積した.その堆積物は六角川,嘉瀬川,筑後川,矢部川の上流に分布する変成岩や白亜紀花崗岩類,新第三紀から第四紀の火山岩類やその砕屑物が供給源となった.このほか,阿蘇カルデラ形成に伴う大規模火山活動イベントによって,阿蘇-3火砕流や阿蘇-4火砕流が佐賀地域に来襲し,火砕流堆積物が直接供給されたほか,上流域で植生を破壊し,土石流やラハールを発生して大量の砕屑物を供給して,地層形成に大きく影響した.完新統の粘性土に含まれている粘土鉱物は,高温起源のスメクタイトが主体で,有明海に流れ込む河川上流域の火山砕屑物を起源としている(Mizota and Longstaffe,1996).
有明海は我が国最大の潮位差(最大約6m)を持っているため,潮間帯が大きく,広大な干潟が広がるほか,沖積地形成における潮汐の影響が強く現れている.現在も見られる潮汐堆積現象としては,上げ潮による干潟や河口での潜掘と浮泥の発生,河川下流域での浮泥の逆流と堆積,浮泥逆流域での海起源物質と陸起源物質の強制混合と淡水化等である.有明海による潮汐堆積作用のもう一つの反映が山地縁辺部まで平らな低平地である.山地を流れてきた河川は洪水時に山地と低平地の境界部で砂礫を堆積させ,低平地には堤防決壊堆積物を形成する.
(松浦浩久)
三郡変成岩類(Kobayashi,1941)は西南日本内帯に分布する低温高圧型変成岩類で,変成鉱物の放射年代が280-330Maを示す蓮華帯と160-230Maを示す周防帯に区分される(Nishimura,1998).本地域に分布する三郡変成岩類は福岡県中央部の蓮華帯の延長部と考えられているが(西村・柴田,1989;Nishimura,1998など),白亜紀の深成活動に関連すると考えられる重複変成作用を被っており,蓮華帯の変成年代を示す放射年代は得られていない.本報告では本地域の三郡変成岩類については「高温低圧型重複変成作用を被った三郡変成岩類」の意で記述する.
北部九州の三郡変成岩類は福岡市東部―筑豊境界の三郡山地,朝倉市―久留米市東方,糸島半島,福岡市曲淵西方,脊振山地南部(佐賀県多久市北方一鳥栖市)に点在し(第3.1図),それらの分布は白亜紀深成岩類と新生界によって隔てられている.本地域の三郡変成岩類は脊振山地南部の岩体で,佐賀県唐津市厳木町から多久市―佐賀市北部を経て神埼市に到る地域に分布し,東西約28km,南北幅は西部で約7km,東部では1kmの東西に延びた形状を示す.
本地域は脊振山地南部岩体の東半分に当たり,地表では佐賀市大和町川上から神埼市日の隈山周辺まで露出する.本地域の三郡変成岩類は南側を第四紀層に覆われるものの,地下では筑紫平野の新生界基盤岩として有明海海底まで連続し,佐賀空港沖(南隣「大牟田」地域内)の海底下860mに潜在することが確認されている(菊池,1963;新エネルギー総合開発機構,1983).
このほか本地域北東端の久留米市水天宮付近の筑後川左岸には,赤木(1934)と野間(1965)によって変成岩の分布が示されている.この部分は現在コンクリート護岸で覆われているが,本地域東端より約150m上流側の久留米市京町梅林寺脇(「久留米」地域内)では,現在も角閃岩の露頭がわずかに確認でき,下流側延長の本地域護岸部分にまで達していると考えられる.この露頭が神埼市以西の蓮華帯の延長に相当するのか,久留米市東方の周防帯の延長かは不明である.

SP:周防帯の泥質岩,SM:周防帯の苦鉄質岩,RP:蓮華帯の泥質岩,RM:蓮華帯の苦鉄質岩,MG:変斑れい岩,U:超苦鉄質岩
大島(1964)は「武雄」地域多久市から「浜崎」地域天山周辺を模式地として脊振山地南部の変成岩類の調査を行い,ほぼ東西走向で北傾斜の単斜構造を持つことを示した.また南から最下部層(苦鉄質岩,400m),下部層(泥質岩,800m),中部層(苦鉄質岩と泥質岩互層,500m),及び上部層(主に苦鉄質岩からなり,泥質岩の薄層と珪質・石灰質レンズを伴う,1,800m)の4層に岩相区分した.
本地域の三郡変成岩類は片麻状構造を示し,走向はほぼ東西方向(70~90度東又は西)で,傾斜の多くは北に50~90度の急傾斜を示すが,部分的には南傾斜も認められる.本地域では佐賀市久保泉町帯隈山の南麓で最も厚く,露出部分の層厚は約1,100mと推定される.この部分は大島(1964)の地質図では上部層―中部層上部に当たるが,上部層と中部層の境界は不明瞭である.
本地域は全域で白亜紀深成活動と関連して起こった推定される高温低圧型変成作用を被っており,三郡変成作用で形成された元の鉱物組成と変成組織をとどめていない.本地域内では変成岩組織を作る角閃石・斜長石・単斜輝石などの柱状―卓状鉱物は長軸が同一面に平行に配列して面構造を形成しており,ホルンフェルス的なランダムな方向への伸張を示していない.また片理の発達は弱く,変成岩としては片麻岩と呼びうる岩相を示す.本地域の三郡変成岩類は大部分が苦鉄質片麻岩から成り,佐賀市久保泉町帯隈山南麓の小範囲には泥質片麻岩と珪質片麻岩が分布する.
野外で暗緑色―灰緑色を呈し,幅0.1~2cmの明暗の縞状構造が見える片麻岩である(第3.2図,第3.3図).明暗の縞状構造には暗緑色層と灰緑色層が互層する場合(第3.3図A)と,暗緑色層と白色層が互層する場合(第3.2図A,B,第3.3図B)がある.いづれの場合も暗緑色層の部分は長径0.05~1mm角閃石(緑色―緑褐色)と斜長石からなる角閃岩の鉱物組成を示し,場所によっては緑簾石を含む(第3.4図).灰緑色層は単斜輝石(淡緑色)と斜長石からなり(第3.3図A,第3.5図中―下部),しばしば石英を伴う.白色層はほとんど斜長石のみからなり,暗緑色層の角閃石が少ない部分といえる(第3.2図A,B,第3.3図B).白色層には柱石(長径0.1~2mm)を含むことがある.このほかまれに赤味を帯びた黒色の薄層(幅0.1~1mm)を挟むことがあり,主に黒雲母(長径0.05~0.3mm,茶褐色)からなっている.黒雲母の層を含む苦鉄質片麻岩はハンマーで割ると片麻状構造に沿って板状に割れるが(第3.2図A),黒雲母層を含まない部分は塊状に砕ける.苦鉄質片麻岩にはこのほか,径0.02~0.2mmの燐灰石,スフェーン(チタン石),鉄鉱物を含む.

(A:佐賀市金立町大門,B:佐賀市大和町川上北)

A:角閃石+斜長石の層(暗色)と単斜輝石+斜長石の層(灰色)が縞状に重なる苦鉄質片麻岩
写真の左右幅 2.5cm(神埼市神埼町尾崎 日の隈山山頂下)
B:角閃石+斜長石の層(暗色)と斜長石に富む層(白色)が縞状に重なる苦鉄質片麻岩
写真の左右幅 2.5cm(佐賀市金立町権現原北)

Hb:角閃石,Pl:斜長石,Ep:緑れん石
下方ニコルのみ 写真の左右幅 0.9mm(佐賀市大和町川上)

Cpx:単斜輝石,Hb:ホルンブレンド,Pl:斜長石
下方ニコルのみ 写真の左右幅 0.95mm(佐賀市久保泉町川久保鈴隈山西)
野外では茶褐色を呈し,片理が顕著な黒雲母片麻岩である(第3.6図).粗粒な部分では径1mm以上の鱗片状の黒雲母の底面が輝いて見えるが,本地域では大部分が風化により土壌化している.

(神埼市神埼町尾崎岩田北 日の隈ゴルフ場西)
野外では灰白色の層(4~20mm)と茶褐色の層(1~5mm)が互層した縞状を呈する.灰白色の部分は再結晶した石英からなる珪質岩である.茶褐色の部分は泥質片麻岩に似るが,石英を多く含んで硬い黒雲母珪質片麻岩である.黒雲母珪質片麻岩の部分は径0.05~0.3mmの石英,黒雲母(茶褐色)と径0.01~0.05mmのざくろ石からなり(第3.7図),鉄鉱,カミングトン閃石,電気石を伴う.カミングトン閃石は無色で集片双晶を示す.

Bt:黒雲母,Ga:ざくろ石,Qz:石英
下方ニコルのみ 写真の左右幅 1.1mm(佐賀市久保泉町川久保帯隈山南方)
蛇紋岩は本地域北西部の佐賀市大和町川上の佐賀花崗岩と三郡変成岩類の接触部付近に,幅約10m,延長約80mの小岩体として露出している.肉眼では暗褐色ないし暗緑色を呈し,蛇の皮に似た光沢を持っている.肉眼で絹糸光沢を帯びた白い石綿(クリソタイル)の幅1~5mmの細脈と,緑泥石(径2~4mm結晶の塊状集合体)及び繊維状の直閃石(長径2cm±)が認められる.また顕微鏡下ではこのほかに,かんらん石,滑石,蛇紋石,水滑石,不透明鉱物,単斜輝石が認められる(第3.8図).蛇紋岩も白亜紀深成活動と関連して起こった推定される高温低圧型変成作用を被っている.

Anth:直閃石,Ol:かんらん石,Tc:滑石,A:下方ニコルのみ,B:直交ニコル
写真の左右幅 2.2mm(佐賀市大和町川上北)
本地域は全域で白亜紀深成活動と関連して起こった推定される高温低圧型変成作用を被っており,三郡変成作用で形成された元の鉱物組成と変成組織をとどめていない.大島(1964)は脊振山地南部の三郡変成岩類を組織によって変成度の低い方から,接触片岩,片状ホルンフェルス,ホルンフェルスに,大島(1992)は同じ部分を接触片岩,縞状ホルンフェルス,輝石ホルンフェルスに区分した.輝石ホルンフェルスは「武雄」地域内の斑れい岩との接触部に局所的に分布し,接触片岩は縞状ホルンフェルスの南側の低変成部として位置付けられた.本地域の大部分は大島(1992)の縞状ホルンフェルスに相当する.大島(1964)は唐津市厳木町広瀬西宇土の厳木ダム付近(「武雄」地域内)から上部層に共在する泥質岩に紅柱石を報告しており,重複変成作用は低圧型と判断できる.
本地域内では佐賀花崗岩との接触部に向かって南から北に変成度が高くなる傾向は認められない.ただ花崗岩との接触部から同程度の距離でも,東西方向での地域によって緑簾石の有無と角閃石の軸色に若干の違いが見られる.佐賀市大和町川上から大和町久池井と,神埼市神埼町岩田―平山では角閃石のZ軸色が緑色で緑簾石を伴う.この2地域に挟まれた佐賀市金立町大門―佐賀市久保泉町川久保では角閃石のZ軸色が緑褐色で緑簾石を含まない.またこの地域の泥質珪質岩は黒雲母+ざくろ石+カミングトン閃石+石英の鉱物組み合わせを示す.本地域北東部の久留米市京町梅林寺脇(「久留米」地域内)に露出する苦鉄質片麻岩は角閃石のZ軸色が緑色で,緑簾石と緑泥石を伴う.以上の苦鉄質片麻岩と黒雲母珪質片麻岩の鉱物組み合わせから,本地域に分布する変成岩類は角閃岩相低温部に相当する.
(松浦浩久)
北部九州の福岡県から佐賀県にかけては白亜紀深成岩類が広く分布し(第4.1図),唐木田(1985)によって15岩体に区分されている.本地域にはこのうち,佐賀花崗岩のみが分布している.

SG:佐賀花崗岩,SW:早良花崗岩,KH:嘉穂花崗岩,FK:深江花崗岩,Gd:花崗閃緑岩,Gb:閃緑岩-斑れい岩
(20万分の1地質図「福岡」と「熊本」のベクトルデータから編集して作成)
赤木(1934)は75,000分の1地質図「小城」で,本地域周辺の深成岩類を7つの岩相に区分・図示しているが,岩体名を付けなかった.佐賀県(1954)は佐賀県地質図で本地域の花崗岩に対して初めて“佐賀花崗岩”の名称で分布を示した.しかし福岡県を含む北部九州の花崗岩の岩体区分としては,本地域の花崗岩は早良花崗岩に含められていた(冨田ほか,1957;木下・宮久,1958;松本,1958など).その後唐木田ほか(1962)は佐賀花崗岩を早良花崗岩から独立の岩体として区分した.佐賀花崗岩は分布の上では孤立した数個の岩体から成り,本地域以外の岩体は三瀬花崗岩など別名で呼ばれることがある(佐賀県,1954;大和田ほか,1999など).本報告では唐木田ほか(1983)と唐木田(1985)が地質図上で佐賀花崗岩として示した岩体を佐賀花崗岩として記述する.
脊振山地南の佐賀市北部から鳥栖市西部に至る地域(唐木田,1985;唐木田ほか,1992).
本地域の佐賀花崗岩の分布域は模式地に指定された佐賀市北部から鳥栖市西部に至る東西約26km,南北約6kmの岩体の南半分に相当する.佐賀花崗岩は模式地のほか,福岡・佐賀県境の脊振山頂―三瀬峠―福岡市西区曲淵周辺(「脊振山」地域内:12km×6km),佐賀市富士町杉山周辺(「浜崎」地域内:8km×3km)などにも点在している(第4.1図).佐賀花崗岩の合計の分布面積は約160km2である(井沢ほか,1994).
本地域内では本岩体の南縁で三郡変成岩類に貫入し,北縁は本地域北隣の「脊振山」地域で糸島花崗閃緑岩に貫入している.佐賀市富士町杉山周辺の岩体は北西隣の「浜崎」地域で深江花崗岩に貫入し,脊振山頂―三瀬峠~福岡市西区曲淵周辺の岩体は「脊振山」地域で糸島花崗閃緑岩と早良花崗岩に貫入している(唐木田,1985;大和田ほか,1999).佐賀花崗岩は北部九州の白亜紀深成岩類の中では最も新期の岩体に位置付けられる(唐木田,1985).
佐賀花崗岩の佐賀市富士町杉山付近(「浜崎」地域)の岩体から得られた白雲母のK-Ar年代は88.8±2.7Ma(石原ほか,1988),八反原の黒雲母のK-Ar年代は83Ma(河野・植田,1966),全岩Rb-Sr年代は87.9±18.2Ma(大和田ほか,1999)で,いずれも後期白亜紀の前半相当の時代を示す.佐賀花崗岩の全岩Rb-Sr年代は川野・柚原(2008)による早良花崗岩細粒相の全岩Rb-Sr年代101.2±10.9及び粗粒相の全岩Rb-Sr年代96.6±5.9Maよりも若く,貫入関係に矛盾していない.佐賀市富士町上合瀬(「脊振山」地域)で佐賀花崗岩に捕獲されたように包有される苦鉄質岩(コートランド岩)の角閃石K-Ar年代は96.1±4.8Ma(第4.1表),多久市北多久町(「武雄」地域)の斑れい岩に伴われるコートランド岩の角閃石K-Ar年代は113±5.6Maで,前期白亜紀―後期白亜紀初の年代を示す.上合瀬で佐賀花崗岩に包有される苦鉄質岩は佐賀花崗岩に先行して生じているように見えるが,角閃石と白雲母・黒雲母の年代差は鉱物中の放射起源アルゴンの逸失が停止する温度(閉鎖温度)が違うので,岩体の冷却の過程で角閃石の閉鎖温度に達した時代と白雲母・黒雲母の閉鎖温度に達した時代の違いを示す可能性もある.

本地域内の佐賀花崗岩は中粒ざくろ石含有白雲母黒雲母花崗岩―トーナル岩(Gs)を主とし,三郡変成岩との接触部付近に細粒白雲母黒雲母花崗岩―トーナル岩(Gsf)が分布する.暗色包有物はほとんど含まれない.中粒岩相では主成分鉱物として石英,斜長石,カリ長石,黒雲母,白雲母を含み,その粒径は0.5~5mm程度が主体である.石英は他形を示し,径0.2mm前後の小結晶に多結晶化している(第4.2図).カリ長石は主に4mm以上の大粒結晶として含まれ,本地域北西部佐賀市大和町―金立町付近では径1~2cmの斑状結晶となり,石英・斜長石・黒雲母・白雲母の小結晶をポイキリティックに包有する.斜長石は径0.3~3mmで自形―半自形を示し,カリ長石との境界にしばしばミルメカイトを生じている.カリ長石は地域によって含有量が変化する.本地域内では花崗岩組成の岩相を主体とするが,部分的にはカリ長石の含有量が減って,花崗閃緑岩―トーナル岩(トロニエム岩)の組成を示す部分もある.しかし本花崗岩はカリ長石に乏しい岩相でも黒雲母と白雲母の両方を含み,角閃石を含むことはない.黒雲母と白雲母は径0.5~3mmで多結晶化した石英に伴う場合には引き伸ばされたような形を示す(第4.2図).黒雲母は赤みの強い茶褐色(Y,Z)を示す.
一部の地域では副成分鉱物として赤褐色のざくろ石(1mm±)が肉眼で確認できることがある.顕微鏡下での副成分鉱物の特徴として,モナズ石と燐灰石に富みジルコンに乏しい.この点は冨田ほか(1957)と唐木田(1964)が,北部九州の白亜紀花崗岩類では貫入時期の若い岩体ほどモナズ石に富みジルコンに乏しくなるという指摘と一致している.一方本地域の佐賀花崗岩には不透明鉱物としての鉄酸化物がほとんど認められない.これは佐賀花崗岩を含む北部九州主部花崗岩類(福岡県北九州市小倉から田川郡添田町に到る南北線よりも西側に分布する)は磁鉄鉱に富み,帯磁率が高い岩体が多いのが特徴であるが,脊振山地南部には帯磁率が低い値を示すものがあること(石原ほか,1979)と符合している.この点について井沢ほか(1994)は,佐賀花崗岩が三郡変成岩類と接触する場所では泥質片麻岩中の炭質物によって佐賀花崗岩の変成岩との接触部が還元環境になり,鉄酸化物(磁鉄鉱)の晶出が抑制された可能性を考えている.
本花崗岩には細―中粒岩相のほかに地質図に表現できない規模の岩相としてペグマタイトを伴うことがある.本地域の北東部佐賀県みやき町石貝団地付近では石英(径10cm±),曹長石・カリ長石・白雲母(以上径1~3cm)を含むペグマタイトが発達する.また「浜崎」地域内では佐賀市富士町杉山―広沢付近には大規模なペグマタイトが発達し,緑柱石と長石鉱床として稼行されたものもある.
本地域の佐賀花崗岩には2種類の面構造が認められる.1つは苦鉄質鉱物の多い部分と少ない部分が明暗の縞に見える層状構造である(第4.3図,第4.4図).層状構造は佐賀市大和町八反原―川上の嘉瀬川河床の2箇所で観察され,走向は西北西―東南東方向と東北東―西南西方向で,いずれも北に約30度傾斜する.層状構造は花崗岩マグマが固結する末期の生成物であるペグマタイト脈に切られ(第4.3図矢印),層状構造が三郡変成岩類との接触面と平行に近いことから,花崗岩マグマが流動していた時期に形成された流理構造と考えられる.
もう一つの面構造は板状の黒雲母の底面が西北西―東南東ないし東北東―西南西方向に揃って伸張した片麻状構造として観察されるものである(第4.5図).片麻状構造は本地域の佐賀花崗岩全域で認められ,傾斜は北又は南に60度以上の高角をなす.この部分を顕微鏡下で観察すると径1mm前後の黒雲母と白雲母の結晶が多結晶化した石英とともに塑性変形を受けて引き伸ばされている(第4.2図).これは花崗岩の固結後に応力によって塑性変形を受けたこと示す面構造と考えられる.

Ms:白雲母,Bt:黒雲母,Kf:カリ長石,Qz:石英,Pl:斜長石
A:下方ニコルのみ,B:直交ニコル,写真の左右幅 1.4mm(佐賀市大和町川上 嘉瀬川河床)

(佐賀市大和町川上の嘉瀬川河床)

(佐賀市大和町川上の嘉瀬川河床;第4.2図露頭の近接写真)

(佐賀市大和町八反原 変電所下 嘉瀬川河床)
北部九州の深成岩類をまとめたTsusue et al.(1984)と井沢ほか(1994)による佐賀花崗岩の化学組成を第4.2表に示す.主成分の全岩化学組成はSiO2が67.5~75.8%,K2Oが1.2~3.6%のやや広い組成幅を有し,本花崗岩の岩相が花崗岩からトーナル岩に及ぶ鉱物組成を示すことを反映している.Tsusue et al.(1984)による湿式分析値からは全試料からノルムコランダムが算出(0.9~3.9%)され,白雲母とざくろ石を含む岩相の特徴を反映している.微量成分組成では北部九州主部花崗岩類の特徴として,Sr含有量が中国地方から北部九州東部の深成岩類に比べてやや高いことが指摘されている(Izawa et al.,1989).佐賀花崗岩でもSr含有量は237~683ppmで比較的高い(第4.2表:井沢ほか,1994).一方Y含有量は,2~16ppmと低く,Sr/Y-Y関係はDefant and Drummond(1990)によるアダカイト質花崗岩の組成を示す.本花崗岩に隣接する深江花崗岩や早良花崗岩なども高Srで低Y組成を示し(矢田・大和田,2003;亀井ほか,2006:川野・柚原,2008など),佐賀花崗岩はこれらの北部九州主部の花崗岩の化学的特徴とも共通している.

文献 1:Tsusue et al.(1984),2:井沢ほか(1994)
試料産地(文献2)
O 591(佐賀市富士町東畑瀬)
O 536(佐賀市富士町貝野)
O 504(佐賀市富士町矢櫃)
24201(福岡市西区石釜)
AK 51(福岡県筑紫野市山家)
Mk 425B(佐賀県鳥栖市城山)
Sb 1020(佐賀市大和町下田)
31901(福岡市西区西山)
(松浦浩久)
新第三紀玄武岩は本地域の地表には全く露出していない.角縁・長崎(2000)は本地域佐賀県三養基郡みやき町江口の筑後川旧河道の地下にかんらん石玄武岩の潜在を報告した.角縁・長崎(2000)によると,旧河道のボーリングによって地表から17~25mの深度(標高-11~-19.3m)でかんらん石玄武岩が確認されたが,ボーリングは地表から25mの深度で打ち切られたため,玄武岩の厚さ,玄武岩基底部の産状(クリンカーや火山砕屑物の有無など),及び下位層準の地層は不明である.玄武岩の上位には三田川層(後期更新世)及び蓮池層下部及び上部(完新世)が重なっている.玄武岩は暗灰色―暗緑色を呈し,少し発泡している.斑晶として長径3mmに達するかんらん石(5vol%),1mm以下の普通輝石(1vol%),斜長石(0.3vol%)を含み,石基にはかんらん石,普通輝石,鉄鉱を含む(角縁・長崎,2000).2本のボーリングコアから採取された8個の試料の全岩化学組成(第5.1表)を見ると試料1と4を除くと含水量が2.5~7.7%あるので,無水に換算するとSiO2が48.2~50.9%,Na2O+K2Oが2.6~3.8%の組成となり,高アルカリソレアイトに相当する.また微量元素の組成は長崎県北松浦地域の玄武岩の組成に近いとされる(角縁・長崎,2000).本玄武岩の年代については放射年代測定が行われておらず,層序的にも三田川層よりも古いとしか言えないため,化学組成の特徴から北松浦玄武岩に対比した角縁・長崎(2000)の見解に従って後期中新世と考える.
玄武岩の産状について,角縁・長崎(2000)は溶岩と述べているが,同時に掘削されたボーリングのうちで,玄武岩が検出されたのは数10mの距離にあるNo.5とNo.6の2本のみである.また周辺地域のほかのボーリングにも(たとえば地質図のD-E-F断面)玄武岩は検出されていない.このことは玄武岩の分布がかなり狭い範囲に限られるらしいことを意味しており,岩頸の可能性もあると考えられる.

FeO*:全鉄を FeO として表示
分析値は角縁・長崎(2000)から主成分のみを表示
(下山正一)
佐賀地域の表層はその大部分を,低平地と言われる平坦地形と沖積層が占めており,軟弱地盤とされている.その下にさまざまな厚さの中部更新統,上部更新統,完新統が埋没している.平野は市民生活の基盤であり,特に,佐賀地域西部には佐賀市街地が発達している.このため,ライフラインの他,農業や生活のためのさまざまなインフラが整備されてきた.一方,こうしたインフラ整備に伴い,地下地質に対する関心も増大した.同時に人類生活と関わるさまざまな問題も浮上してきた.白石―佐賀地区の地下第四系調査は,まさに白石町(「武雄」地域内)で起きた1960年代の地盤沈下を最初の契機として始めることになった.
筑紫平野の第四紀地質に関する初期の研究は,丘陵と段丘の地史と構造運動に関するものであった.鳥山(1932)は,筑紫野市付近から久留米市付近までの筑紫平野と福岡平野南部の段丘を3段に分け,分布高度に基づく地史を議論している.浦田(1962)は福岡市から久留米市に至る南北地域の段丘面とその構成層を詳しく調べ,新期阿蘇溶岩(阿蘇-4火砕流堆積物)が筑紫平野の第四紀層を対比する上で重要な鍵層であることを明らかにした.郷原ほか(1964)は主に鳥栖市と八女市付近の台地及び丘陵をつくる表層の第四系を調べ,阿蘇灰石を八女粘土層と鳥栖ローム層に区分したほか,黒色土,褐色ローム質土,低位段丘砂礫層,八女粘土層,赤褐色ローム層,中位段丘角礫層または長洲層,赤色土,吉田礫層という,現在も用いられる平野表層部分の基本層序を提出した.一方,有明海研究グループ(1965)は,有明海沿岸各地の干潟及びその延長部の海底から得られたボーリング資料とコアを調査し,上から有明粘土層,島原海湾層,新期阿蘇溶岩,未区分洪積層という,地下第四系の基本層序を提出し,郷原ほか(1964)の表層の層序と組み合わせて有明海沿岸の第四系の総合層序とした(第6.1表).有明海研究グループ(1965)の層序学的研究及び土質工学的研究は九州における第四紀研究の重要な基礎となった.
筑紫平野佐賀地域の地下第四系の研究は,福田(1969)によって行われ,福田(1969)及び福田・砥川(1970)は,佐賀地域のボーリング資料に基づいて,佐賀地域の地下第四系を上から,A,B,C,D,E,F層の6ユニットに区分できることを明らかにし,A,B,C層を有明海研究グループ(1965)の有明粘土層,島原海湾層,八女粘土層にそれぞれ対比した(第6.1表).D層,E層,F層は有明海研究グループ(1965)の未区分洪積層にあたるとした.更に大島(1977)は地盤沈下の調査用に掘られた深井戸のボーリングデータに基づいて,筑紫平野白石地域と佐賀地域の地下構造を明らかにした.その後,杉谷(1983)は,更に大量のボーリング資料に基づいて有明海北岸平野の地形発達史と地下断面についての先駆的な研究を行い,地下の火山灰層が,阿蘇-4火砕流堆積物であることを,火山ガラス屈折率を用いてはじめて明らかにした.また,阿蘇-4火砕流前後を比較して,平野の砕屑物の堆積量と削剥量の関係を定量的にとらえた.下山・松本ほか(1994)は,後述の問題点を解決するために,白石地域と佐賀地域で得られた,数本のオールコアボーリングを標準層序とし,テフラ層序とシーケンス層序に基づく地下第四系の記載を行い,これまで慣例的に用いられてきた福田(1969)の地層区分を更新した.下山・松本ほか(1994)の区分は,とくに阿蘇-3火砕流以降のシーケンス層序区分と完新統有明粘土層の再記載と細分とが中心となっている.本報告では佐賀地域の第四紀層の層序区分を主として下山・松本ほか(1994)に従い,年代と地層記載の一部を修正した.

テフラ層及びその年代値は,町田・新井(2003)による,一部修正
筑紫平野では有明海研究グループ(1965)の研究後,50年間近くにわたって地質資料が累積された結果,有明海研究グループ(1965)の層序区分に関して,運用上いくつかの不都合な点が指摘されるようになった.佐賀地域では,とくに島原海湾層の識別が層序混乱の主因となった.島原海湾層は,有明海研究グループ(1965)によって,「有明粘土層より下位でかつ新期阿蘇溶岩(阿蘇-4火砕流堆積物=Aso-4テフラ)より上位の,海成の砂礫及び粘性土層で,大江層と対比される(地層)」と一旦定義されたが,有明海研究グループ(1965)ではすぐに「有明粘土層より不整合を挟んで下位にありかつ新期阿蘇溶岩(阿蘇-4火砕流堆積物)より上位にある海成の砂礫及び過圧密状態の粘性土層で大江層より新期のもの(地層)」と修正・再定義された.このため,有明粘土層より下位でかつ阿蘇-4火砕流堆積物より上位の,いくつかの地層群が島原海湾層に同一視されて使用される結果となり,少なからぬ混乱が生じた.
筑紫平野でのボーリング調査において島原海湾層に同定された地層群は大きく分けて次の3ケースがあった(第6.1図).
ケース1)低位段丘を構成する砂礫層(海退期堆積体部分)
ケース2)下位に阿蘇-4火砕流堆積物を浸食で欠く場合の最終間氷期(酸素同位体ステージ5e)の海成粘性土層(一つ前の高海面期堆積体)
ケース3)有明粘土層の層間に砂の薄層を挟んだ場合,砂の薄層以下の蓮池層下部粘性土層(海進期堆積体の非海成層)や有明粘土層下部(海進期堆積体の海成層)である.
ケース1は筑紫平野で最も例が多く,第1帯水層でもある埋没した低位段丘の砂礫層(上部更新統)に対して「島原海湾層」が使用されている.しかし,この地層は地上の低位段丘層につながり,明らかに河成層であり,海成層とした「島原海湾層」の定義からはずれる.
ケース2では過圧密状態の地層であるが,この「島原海湾層」を横に追うと阿蘇-4火砕流堆積物と阿蘇-3火砕流堆積物に挟まれるので,阿蘇-4火砕流堆積物より上位とした「島原海湾層」の定義からはずれる.
ケース3は完新統である広義の「有明粘土層」の中に「島原海湾層」を設けるものである.実は広義の有明粘土層は海成層と非海成層からなり,更に複数の堆積体から構成されているので,当てはめが可能である.海進期堆積体のうち,非海成層と海成層の間にはしばしば潮汐ラビンメント面(TR)が発達し,地層は不連続となるので,ここを不整合と認識してその下を「島原海湾層」とするのがケース3である.しかしこれは完新統なので,”有明粘土層より不整合を挟んだ下位で,かつ過圧密状態の地層”,という「島原海湾層」の定義からはずれる.
以上をまとめると,「島原海湾層」の定義に合致する地層は筑紫平野(と有明海沿岸)には全く存在しないことになる.この対策の一つとして,島原海湾層の再定義による運用が考えられた(たとえば杉谷,1983).しかし,島原海湾層はもともと島原湾海底下の堆積物を模式層としているため,有明海沿岸や筑紫平野のみ定義を変更することができない.一方,福田(1969)は佐賀地域の地下第四系を上から,A,B,C,D,E,F層の6ユニットに分け,具体的な地層名を避けることで,地層定義の変更なしに運用したが,暫定処置である.
この問題は地下水や土質特性の研究にも関与するため,土質工学会(現地盤工学会)の,「堆積環境が地盤特性に及ぼす影響に関する研究委員会(代表:陶野郁雄)」の九州地区部会で議論となり,解決の必要性が高まった.下山・松本ほか(1994)はその答申を受けて筑紫平野の第四紀層を再検討し,佐賀地域の実情に応じた地層区分を採用した.下山・松本ほか(1994)の新区分によれば,ケース1の低位段丘層(河成更新統)は「三田川層」,ケース2の海成更新統は「高木瀬層」,ケース3の完新統では海成層と非海成層の場合を区分して,前者を有明粘土層と再定義(狭義の有明粘土層)し,後者を蓮池層と呼んだ.
島原海湾層と大江層(島原半島南部の島原湾沿岸に分布する海成層)との層序関係にも進展があった.大江層は有明海研究グループ(1965)によって2~4万年前という若い14C年代値が得られたため,「島原海湾層」の定義を裏付ける地層とされてきた.しかし,渡辺(1982)及び渡辺・益田(1983)による再検討の結果,大江層が阿蘇-4火砕流堆積物に直接覆われていることが確認されたため,大江層の年代は9万年前以前の高海面期,恐らく最終間氷期(酸素同位体ステージ5e:約12.5万年前)の海成層であることが判明した.14C年代値は若い炭素の混入による若返りと考えられる.この結果,「島原海湾層」の定義を裏付ける地層は島原海地域にも存在しないことになった.更に,有明海研究グループ(1965)によって,大江層より古い海成層で,関東地方の下末吉層(ステージ5e:以下酸素同位体ステージをステージと略記)に対比される,とした長洲層は,その中に含まれる火山灰のFT年代測定によって,約60万年前の海成層であることがわかった(富田ほか,2008).

佐賀地域の第四紀堆積物は筑後川を挟む筑紫平野の中心を構成している.本地域南東部の第四紀堆積物は中部更新統が丘陵地に存在し,上部更新統が洪積台地を,完新統が沖積低地を構成している.
筑紫平野の更新統のうち,地表部分には台地と丘陵の一部を構成する堆積物がみられる.しかし,そのまとまった分布は筑紫平野の東部及び北東部に偏っている.地表の更新統は古い方から立石層,中原層,阿蘇-4火砕流堆積物(Aso-4),三田川層の4つである.立石層は丘陵の緩傾斜面である立石面(高位段丘面)の,中原層と阿蘇-4火砕流堆積物は台地1の中原面(中位段丘面)の,三田川層は台地2の三田川面(低位段丘面)の構成層である.一方,筑紫平野の地下にのみ分布する更新統は川副層,阿蘇-3火砕流堆積物,高木瀬層の3つである.
完新統は筑紫平野の沖積面を構成する地層群で,有明粘土層と蓮池層からなる.蓮池層は筑紫平野の沖積地を構成する非海成層,有明粘土層は沖積地を構成する海成層である.両層を合わせたものは福田(1969)のA層に相当する(第6.1表).
下山・松本ほか(1994)によって,筑紫平野の地下第四紀層のうち,最終間氷期(下末吉期)を含む海進海退サイクルより1つ古い地層(群)と定義された.模式地は佐賀市川副町犬井道の地下80mから170m付近である.
表層地質と本層との正確な対比が困難であるが,層序的関係から立石層に対比される.下位の牛屋層(下山・松本ほか,1994)の上に非整合おそらく不整合で重なる.
最上部は延長性の良い固結粘土が占めるが,全体に砂礫質で,しばしば礫まじり砂層と粘土層の互層となる.本層は佐賀地域で現在最も主要な帯水層である.典型的な岩相は暗緑灰―緑黒色の強固結粘土と礫混じり砂との互層である.本層は福田(1969)のE層にあたる.横方向の岩相の変化に富み,粘土には植物の根の跡がみられることから本層の大部分は河成で三角州から氾濫原の堆積物と推定されるが,福田(1969)の珪藻化石のデータ,下山ほか(1996)の渦鞭毛藻シスト化石及び珪藻化石のデータによれば,一部に海成層を挟んでいる.
本層は上部に大牟田地域で由布川火砕流堆積物に対比可能とした瀬高テフラ(約0.68Ma;第6.2表),白石地域で福富テフラ(約0.6Ma)を含んでおり,長洲地域で同様のテフラ(清里軽石)を含む長洲層に対比される(富田ほか,2008).清里軽石のフィッショントラック年代(以下FT年代)は約0.67Maである(第6.2表).これらのテフラ付近にはしばしば高海面期堆積体海成層を含むことからステージ15付近の間氷期と考えられる.一方,筑紫平野西部では本層の上半分が玄武岩質安山岩礫優勢層にとって代わられている.この礫層は地上の多良岳火山扇状地堆積物に連続するとみられる(下山・松本ほか,1994).K-Ar法による小形・高岡(1991)の多良岳溶岩の年代測定結果は100万~40万年前を示している.これらの年代値と複数の高海面期を含むことから川副層の年代は約0.55-0.7Maと考えられる.

下山・松本ほか(1994)は,筑紫平野の低い丘陵の痩せ尾根(高位段丘面)を構成する地層を立石層と呼んだ.模式地は本地域北側の,佐賀県鳥栖市立石町付近である.本地域では東端の福岡県筑後市西牟田付近と北東部の佐賀県三養基郡上峰町坊所付近に模式的に分布している.
本地域の北端から東端にかけての丘陵に散点的かつ小規模に分布する.西牟田付近では,JR鹿児島本線西牟田駅から十連寺にかけての丘陵や坊所付近から北に延びる丘陵の高位段丘を構成する.厚さは西牟田駅付近で10mであるが,十連寺や坊所では数mである.
古第三紀層と花崗岩類を不整合で覆っている(第6.2図).本層は孤立丘陵の末端を構成しており,連続しないので,立石層の地下での延長部分は明らかではない.しかし,層序的にみて,川副層に相当するとみられる.筑後地域では郷原ほか(1964)の吉田礫層に対比される.阿蘇-4火砕流堆積物に不整合に覆われる.

A:立石層の礫層,B:風化花崗岩(鳥栖市立石;「脊振山」地域内)
筑後市西牟田付近では結晶片岩と安山岩礫からなる礫層であるが,上峰町坊所では花崗岩と結晶片岩からなる礫層で,扇状地性堆積物である(第6.3図).地表面に近い部分の砂礫層は層全体が強く風化して赤色土壌化し,礫は郷原ほか(1964)の,「クサリ礫」となっている.

花崗岩礫と結晶片岩礫はねじりガマで容易に割れるクサリ礫である.
古い山麓扇状地堆積物と考えられるが,著しく解析されて平坦面を失って,やせ尾根地形となっていることから第四紀層としては古い.松井(1963)によれば,赤色土化は温暖期を経験したことを示唆するとしており,本層は少なくとも後期更新世の最終間氷期より以前の,更新世中期に形成されたと考えられる.
下山・松本ほか(1994)は佐賀地域の中位段丘(上位)面を構成する砕屑性の地層を中原層と呼んだ.模式地は佐賀県三養基郡みやき町香田である(第6.4図).本地域では佐賀市大和町久池井東方に小分布がある.

(みやき町香田;「脊振山」地域内)
本層は地表部分の分布はごく狭いが,筑紫平野の地下に広く認められる.地表部分の層厚は3~5mであるが,筑紫平野の地下では阿蘇-4火砕流堆積物直下に広く分布しており,層厚は約30~50mである.
阿蘇-4火砕流堆積物の直下に位置し,川副層の上に不整合で重なる.本層中部には海成層の高木瀬層と阿蘇-3火砕流堆積物を挟む.海成層の高木瀬層とは一部同時異相で,高木瀬層や阿蘇-3火砕流堆積物を境に,上下に2分できる.
粘土,シルト,砂礫からなり,最終間氷期の三角州,氾濫原,扇状地を構成した非海成の地層である.主部は網状河川堆積物からなり,数多くのレンズ状の堆積体が集合し鱗状に重なっている.単層は横方向の延長性に乏しい.地表に露出する中原層の多くは,阿蘇-4火山灰層に覆われる場合と砂礫層のみで構成される場合がある.地表付近の礫はハンマーで削ると岩芯が残る”半クサリ礫”状になっている(第6.5図).基質は粗粒砂あるいは細礫から成り,やや風化して褐色土化している.しかし,佐賀地域の地下での礫は硬く,一般に未風化で,中程度の固結度である.

中位段丘層の砂礫では,礫の中心は未風化で,半クサリ礫である.(みやき町香田;「脊振山」地域内)
本層は阿蘇-4火砕流堆積物(約9万年前)の直下にあり,ステージ5eの海成層(約12.5万年前)の高木瀬層と一部同時異相にある.更に本層中部に阿蘇-3火砕流堆積物(約13万年前)を挟んでいるので,形成時期は約14~12万年前と推定される.
小野ほか(1977)による阿蘇カルデラ形成期の噴火による4大火砕流堆積物の3回目のもので,大分県竹田市北部の火砕岩台地を模式地としている.
佐賀地域では地下にのみ分布する.層厚は数m~10mである.
阿蘇-3火砕流堆積物は高木瀬層の直下にあり,中原層下部層の上位に非整合で重なる.
輝石デイサイト質―輝石安山岩質の軽石質火山灰である.阿蘇-4火砕流堆積物に比べると,角閃石をほとんど含まず,スコリア質で全体に黒っぽく,火山礫を多く含む.顕微鏡下では軽石の発泡が悪く,火山ガラスは繊維状で,黒色である.阿蘇カルデラ周辺の阿蘇-3火砕流堆積物には3~4枚のフローユニットが知られている.筑紫平野にはこのうち少なくとも1ユニットが存在しており,非溶結で岩相的には小野ほか(1977)のAso-3Bに似ている.
町田・新井(1992,2003)は,阿蘇-3火砕流の噴出時代を12.3万年前と考えた.しかし下山(2001)は,筑紫平野をはじめ九州各地では阿蘇-3火砕流堆積物が,ステージ5eの汎世界的高海面期(約12.5万年)の海成堆積物である高木瀬層の直下に存在していることを確認している.下山(2001)は九州各地のステージ5eの海成層を基準に阿蘇-3火砕流堆積物の層序を調べ,九州のステージ5の海成層は1枚であり,ステージ5eの海成層と見なせること,阿蘇-3火砕流堆積物が常にステージ5eの海成層の直下に存在すること,阿蘇-3火砕流堆積物の表面が土壌化しており,また海進による浸食を受けていることから,阿蘇-3火砕流の噴出とステージ5eの海成層堆積の間に時間間隙を認めている.更に下山(2001)は,関西におけるテフラ層序及び琵琶湖の更新統における古地磁気層序との対比の結果,層序的な証拠から,阿蘇-3火砕流の噴出時代は約13万年前と見積った.
下山・松本ほか(1994)は筑紫平野の阿蘇-3と阿蘇-4火砕流堆積物の間にある貝殻破片を含む地層を高木瀬層と呼んだ.最終間氷期(ステージ5e)の高海面期に対応する海成更新統である.模式地は佐賀市高木瀬の地下である.
海岸地域の筑紫平野の地下に分布しており,層厚は数mから10mである.
本層と中原層の一部とは同時異相関係にある.中原層下部の上に非整合で重なるほか,川副層の上に不整合で重なる場合がある.テフラとの層序関係では本層が阿蘇-3火砕流堆積物(Aso-3)の上位かつ阿蘇-4火砕流堆積物(Aso-4)の下位に位置する.
シルト及び粘土を主体とし,貝殻片を混入する.筑後地域では貝殻質砂が優勢である.佐賀市街地の地下では,含有貝化石はほとんどがヒラタヌマコダキガイで占められていて,密集して産する.これに少量のマガキとフジツボの化石が混在する.現在の有明海では,ヒラタヌマコダキガイは湾奥のカキ礁周辺の潮間帯泥底に群棲しており,高木瀬層の堆積環境は海域である.
高木瀬層は後期更新世の地層で,北部九州では最も優勢な海成更新統であり,最終間氷期の唯一の海成層である.このため,高木瀬層は最終間氷期の最大海進期(約12.5万年前)すなわちステージ5eを代表する海成層である(下山ほか,1999).
小野ほか(1977)による阿蘇カルデラ形成期の噴火による4大火砕流堆積物の4回目のもので,大分県竹田市南部の火砕流台地を模式地としている.
吉野ヶ里台地・西尾台地は阿蘇-4火砕流堆積物の火砕流台地である.火砕流台地は埋没段丘化しており,筑紫平野の地下と有明海の海底下に広く分布する.層厚は数mから10mである.
基盤のつくる緩斜面をくるむような(マントルする)形で不連続に重なる場合と,土壌層をはさんで中原層の上に連続的に重なり火砕流台地をつくる場合がある.
輝石角閃石デイサイト質の軽石質火山灰である.阿蘇カルデラ起源の火砕流堆積物で,非溶結―弱溶結―強溶結部分がある.筑紫平野の地表に露出する非溶結―弱溶結の火砕流堆積物はしばしば風化している.風化程度により色調が異なり,新鮮な場合は暗灰色ガラス質火山灰で,風化が著しい場合は白色凝灰質粘土やオレンジ色の“おがくず状ローム”となる.本地域の阿蘇-4火砕流堆積物には溶結部分はなく,比較的新鮮な,軽石混じりのガラス質火山灰(灰石;第6.6図)あるいは著しく風化した褐―桃白色凝灰質粘土(第6.7図)の状態である.
郷原ほか(1964)は,佐賀県鳥栖市から福岡県八女市にかけての台地上に分布する風化した阿蘇-4火砕流堆積物を2ユニットに分け,下部の白色粘土質火山灰土を八女粘土層,上部のオレンジ色の火山灰土である“おがくず状ローム”を鳥栖ローム層と呼んだ.佐賀地域の台地表層の阿蘇-4火砕流堆積物にも両者が認められる(第6.7図).ただし八女粘土層の方が著しく厚く,特に灰石の部分は周囲の風化部分の様子から,八女粘土層と考えられる.地下地質では,佐賀地域の大部分に知られている.通常は1層であるが,コア中の阿蘇-4火砕流堆積物が数cmの厚さの,粗粒なベースレイヤーを挟んで2層の火砕流サブユニットに分かれる場合がある.下位のサブユニットは八女粘土層,上位のサブユニットは鳥栖ローム層に対比される.通常,阿蘇-4火砕流堆積物として両者を区別しない.

灰石と呼ばれる状態(みやき町東尾).

ねじり鎌の刃先より下が八女粘土層,上が鳥栖ローム層(みやき町東尾北方).
阿蘇-4火砕流堆積物は福田(1969)のC層にあたり,筑紫平野の最も明瞭な鍵層である.阿蘇-4火砕流の噴出時代について,松本ほか(1991)はK-Ar年代測定によって7~9万年前としたが,町田・新井(2003)は約9万年前としている.
下山・松本ほか(1994)は,筑紫平野の低位段丘面(群)を構成している,主に砂礫質の地層で,阿蘇-4火砕流堆積物の上かつ有明粘土層や蓮池層の下にある地層を三田川層と呼んだ.最新堆積シーケンスにおける低海面期堆積体で,低位段丘(群)を構成する砂礫層のほか,これを直接覆う黄褐色細粒土層(AT火山灰降灰層準を含む)までを三田川層とする.模式地は佐賀県吉野ヶ里町目多原である.
本地域の北部及び東部に分布して沖積面より明瞭に1~2段高い台地をつくるほか,筑紫平野の沖積面下に埋没低位段丘層として広く分布している.前者の層厚は数m,後者の層厚は約15~20mである.地下での埋没低位段丘層の頂部はかなり凸凹している.
本層は阿蘇-4火砕流堆積物を不整合で覆い,蓮池層下部に覆われる.本層主部は砂礫層であるが,最上部は細粒で,姶良-Tn火山灰(AT)層を含む.
大部分は比較的締まった弱風化砂礫層で構成されている.礫は主に花崗岩礫,石英礫,結晶片岩礫や安山岩礫からなる.阿蘇-4火砕流堆積物から2次的に洗い出された軽石(浮石)を含む下部層と,含まない上部層に2分できる(第6.8図,第6.9図).前者は阿蘇-4火砕流堆積物直後のラハール堆積物と見られ,低位段丘上位面(阿蘇-4火砕流台地より1段低い段丘面)を構成している.
ラハール堆積物は火砕流本体と比べて固結度が低いほか,軽石は細礫状で丸みを帯びて成層しており,通常の砕屑物(砂礫)を大量に混入するので,火砕流堆積物本体との区別は容易である.地下では三田川層の砂礫層の上部をしばしば粘性土が覆っている.この粘性土は圧密を受けており,還元環境にあるため,やや硬く緑灰色を帯びる.このほか,蓮池層直下の三田川層最上部にAT火山灰層や火山ガラスが濃集するクロボク土層が発達する場合がある.また,低位段丘表層には厚い黄褐色細粒土層(風積土)が堆積している(第6.10図).この細粒土層にもAT火山灰層とK-Ah火山灰層の火山ガラスが濃集する.

阿蘇−4 火砕流のラハール堆積物(下)と砂礫層(真ん中),上部は細粒土層(筑後市熊野神社).スケールは 1m.

礫は花崗岩からなる(上峰町下坊所).

下の砂礫層は三田川層主部(上峰町堤),赤・白スケールの1つの色の長さ 10cm.
ラハール堆積物の存在により,三田川層の形成開始は阿蘇-4火砕流(9万年前)の直後とみられる.一方,低位段丘面上には,しばしば1~2mの厚さの細粒土が本層の砂礫層の上に載っている(第6.10図).細粒土層は後述のように黄褐色土と黒色土からなる.郷原ほか(1964)は前者を新期ローム層あるいは褐色ローム層,後者を黒色火山灰層と呼んでいる.下山・松本ほか(1995)及び溝田ほか(1992)によれば,この土層の主体は大陸起源のレス由来の風積物,つまり風成層である.黄褐色細粒土層中にはしばしばAT火山灰の明瞭なピークが,黒色土中には鬼界-アカホヤ火山灰(K-Ah)の明瞭なピークがそれぞれ認められる.町田・新井(2003)によれば,AT火山灰の噴出年代は暦年で約29,000年前,K-Ah火山灰は7,300年前である.それぞれの火山灰を含む土層の境界年代は堆積速度から約1.8万年前である.AT火山灰とレス由来の細粒土は,明らかに離水後安定した平坦面(低位段丘面)上に降下・堆積したものである.したがって,三田川層主部の形成時期は阿蘇-4火砕流後からAT降灰以前の,約9~3万年前,三田川層全体は約9~1.8万年前に形成されたと推定される.
下山・松本ほか(1994)により筑紫平野の完新統のうち,陸域の汽水域から淡水域で形成された非海成完新統を総称する.最新堆積シーケンスにおける海進期―高海面期堆積体の陸側堆積物で,模式地は佐賀市蓮池町及び兵庫町である.
筑紫平野の沖積地.特に低地の表層に広く分布している.層厚は6~10mで,最大20m.
後述する有明粘土層とは一部で同時異相関係にあり,有明粘土層を間に挟む場所では本層は下部(hl)と上部(hu,hs,b)の2つに区分される.下部は三田川層の上に海進面(TS)を介して非整合で重なり,上部は有明粘土層の上に薄い砂層(hs)を挟んで整合で重なる.有明粘土層を間に挟まない場合は,本層の中位に鬼界-アカホヤ火山灰(K-Ah)のピークが認められる.また,沖積地以外の緩傾斜地には蓮池層と同時代の堆積物が存在する.特に低位段丘面上には火山性クロボク土と考えられる黒色土が発達している.通常,黒色土の下部に鬼界-アカホヤ火山灰(K-Ah)の明瞭なピークが認められる.町田・新井(2003)によれば,K-Ah火山灰の噴出年代は暦年で7,300年前である.
本層は粘土,シルト,砂,礫からなり,全体的に含水率が高く軟弱である.下部は海進期に氾濫原―三角州に堆積した,シルト層と粗粒砂層の互層(hl)からなる.本層上部は縄文海進最盛期とそれ以後の高海面期プログラーデーション堆積物で占められる.これらは湿地堆積物で,シルト・粘土優勢層(hu)からなり,アシの地下茎を主体とした植物繊維を含む(第6.11図).本層上部の粘土層は有明海北岸の低平地の表層をつくっている(第6.12図).完新世の粘土層について,本層は陸域の堆積物であり,有明粘土層は海域の堆積物である点が相違点である.具体的には,蓮池層は均質な粘土層を主体とし,アシ(ヨシ)の地下茎や植物繊維を特徴的に含むこと,貝殻片を含まないことが挙げられる.
一方,各河川の中流~上流域では,本層は谷底低地を構成する氾濫原から複合扇状地をつくる河川成堆積物からなり,砂礫を主体とし,シルトや粘土のレンズ(hs)を挟む.
このほか嘉瀬川中流域には堤防決壊堆積物(b)がみられる.嘉瀬川は本地域の北部の背振山地を源流とし,筑紫山地を通って筑紫平野に流れ出る横谷を形成しているほか,下流域は筑紫平野を貫流して有明海に注いでいる.このため嘉瀬川流域の蓮池層は,中流域の谷底平野を構成する砂礫層と下流河口域の低平地を構成する粘性土層からなる.これらの中間地点である,佐賀市大和町都渡城から鍋島町鍋島にかけては砂礫層と粘性土層とが混在し,砂礫層が微高地をつくっている.砂礫層は低平地からせり出した天井川の自然堤防が洪水時に決壊して砂礫を低平地に残留させたもので,堤防決壊堆積物とした(第6.13図).

露頭断面(上)とその拡大(下);アシの地下茎や多くの腐植物を含む(縦の長さ約10m)(佐賀市兵庫町).

下山・松本ほか(1994).粘土層の表面はほぼ水平で下に凸のレンズ状地層を形成している.

(佐賀市大和町惣座)
蓮池層主部の形成時期は,少なくとも1.1万年前以降現在までの完新世である.有明海の海底部地下には海進初期の堆積物があるため,有明海域では,本層下部の少なくとも一部は1.1万年前以前の,更新世末までさかのぼる可能性がある.しかし,本地域では蓮池層は全て完新統である.
有明海研究グループ(1965)により,有明・不知火海域の干潟と海岸地域の大部分を構成する粘性土,と定義された.しかし,有明海湾奥低地では粘性土層は一様ではなく,真性の海成層である粘性土層と非海成層の粘性土層に2分できる.両者は土質工学的な性質も異なるため,下山・松本ほか(1994)は両者を分離し,前者を有明粘土層,後者を蓮池層と呼んだ.これに伴い有明粘土層を「干潟と海岸低地の大部分を構成する海成完新統」として再定義した.本層は極めて軟弱な地層で,海棲貝類の貝殻片を混入するのが特徴である.旧感潮水路堆積物と考えられる貝殻片を混入する粗粒砂層も有明粘土層に加える.最新堆積シーケンスにおける海進期―高海面期堆積体の海側堆積物で,模式地は有明海海底及び干潟である.
有明海海底及び周辺の海岸低地の地下に広く分布している(第6.14図).層厚は10~15mで,最大30mである.

下山・松本ほか(1994).黒丸:海棲貝殻を含む,白丸:海棲貝殻を含まない.海成層分布限界線(太線)は縄文海進極盛期の海岸線位置,アミは海進期浸食谷を示す.
蓮池層とは全体として,同時異相であるが,部分的には本層の海進期堆積物が蓮池層下部に対して,海進期ラグを介して潮汐ラビンメント面(TR)で接しており,蓮池層下部の上にしばしば非整合で重なる.潮汐侵食が大きい場合には,蓮池層下部を欠き,三田川層の上に直接載る.この場合は浸食部分(潮汐浸食谷)を埋めるので有明粘土層が厚くなる.
本層は貝殻片を混入する暗灰色―暗青灰色の粘土や砂混じりシルトよりなる,極めて軟弱な粘性土層である(第6.15図).有明粘土層の大部分は泥質干潟の堆積物なので粘性土である.しかし,旧感潮水路で形成された残留性の粗粒砂層がしばしばレンズ状断面で発達する.また,旧沖側前縁部に発達した貝殻質砂が連続性のよい薄層を作っている.これらは地層断面ではレンズ状砂層である.堆積環境は真性海水が平均的に支配する範囲である.蓮池層の粘性土とは地層中での貝殻片の存在で識別できる.ボーリングコアの有明粘土層部分を1mm目のふるいでふるうと,肉眼で認められるよりも広範囲に貝殻片が含まれている(第6.15図).本層に含まれている貝化石の多くは破片状態である.これらの貝は現在の有明海の潮間帯中部までの潮間帯,潮下帯,上部浅海帯に生息しており,貝殻を使った古水深復元が可能である.古水深復元の結果,本層は海面上昇期の堆積体(TST)と高海面期の堆積体(HST)からなり,両者の境界付近には鬼界-アカホヤ火山灰(K-Ah)の薄層を挟む.有明海干潟や海底部分では現在も有明粘土層の形成が続いている.
縄文海進極盛期に海域が最も筑紫平野の奥部にまで達し,有明粘土層の堆積領域が最大となった(第6.14図).
その後,高海面期となり,海面が安定したため,自然堆積による陸化が進み,海岸線が海側に戻る現象(プログラーデーション)が進行したと考えられる.その結果,蓮池層上部粘土の堆積領域(アシ原のような塩性湿地)が拡大して南下し,上に蓮池層上部粘土,下に有明粘土層という,2種類の粘土層からなる領域ができた(第6.16図,第6.17図).更に南の有明粘土層が表層を占めている部分は,干拓あるいは埋め立てにより,干潟から人為的に陸地化した領域を示している.
第6.18図に高木瀬層と有明粘土に含まれる貝化石を示す.

密集した貝殻はシヅクガイ(有明海沿岸道路コア).


下山・松本ほか(1994).(佐賀市瓦町)

下山・松本ほか(1994)を一部修正.16–17 のみ高木瀬層,ほかは有明粘土層.
1–2:ハイガイ
3–4:ツルマルケボリガイ
5–6:アリアケケボリガイ
7–8:シヅクガイ
9–10:テリザクラガイ
11–12:ヒメカノコアサリ
13–15:ウミタケガイ
16–17:ヒラタヌマコダキガイ
18:コゲツノブエ
19:カワグチツボ
20:スミスシラゲガイ
21:マメウラシマガイ
22:マツシマコメツブガイ
23:ツララガイ
24–25:ウミマイマイ
地質図上に位置を明示できる干拓地は,江戸初期の土塁線から1901年刊行の5万分の1地形図の海岸線までをr1として,1901年と1998年国土地理院発行の5万分の1地形図の海岸線の間をr2として示した.埋立地には,クリークや溜池を埋め立てた場所とゴルフ場の開発で谷を埋め立てた場所がある.比較的面積が広いものについて1901年と1998年刊行の地形図を比較してr2として示した.クリークの埋め立て地は小規模なものが多く,数も非常に多いので地質図には示していない.新しい埋め立て地の地質は玉石混じりシルトに,植物片,ガラス瓶・煉瓦・塩ビパイプなどの破片が混在する人工攪乱土である.
(下山正一)
本地域のすぐ北に隣接する上峰町堤付近(「脊振山」地域内)では,台地と丘陵の境付近の水田圃場整備が計画され,工事に先行して低位段丘上の八藤遺跡の埋蔵文化財調査が1992年に行われた結果,縄文時代から中世の遺物が出土した.1993年に埋蔵文化財調査が終了した後,水田圃場整備が始まり,台地を削平する過程で,樹幹の焦げた巨木3本が発見された.このため掘削は中止され,八藤遺跡第二次調査として埋没巨木群の調査が行われた.八藤遺跡周辺の地質図を第7.1図に,地層断面を第7.2図に示す.観察された地層は,基盤の花崗岩,中原層,阿蘇-4火砕流堆積物,三田川層主部,それに台地上の風積土層の5つで,八藤遺跡の第二次調査(上峰町教育委員会,1994)と下山ほか(1995)によって,これらの関係と起源が明らかになった.
低位段丘を掘削した結果,三田川層主部の砂礫層の更に下位に阿蘇-4火砕流堆積物が露出した.阿蘇-4火砕流堆積物中のガラスの屈折率は1.506-1.510,斜方輝石の屈折率(γ)は1.697-1.701である(渡辺,1994).阿蘇-4火砕流堆積物からは無数の炭化樹木が出土したほか,少なくとも3本の巨木が出土した.最大のものは長さ22m,樹幹の最大直径が1.5mの巨木(第7.3図)で,樹種はトウヒ属である(伊東・光谷,1994).あとの2本はトウヒ属とヒメバラモミである.発掘調査の結果,阿蘇-4火砕流堆積物の直下に,樹根を含む埋没森林土壌が確認された.3本の巨木はいずれも根が東,梢が西を向いており,根本から引きちぎられていたことから,この場所で東から来襲した火砕流の爆風で倒され,火砕流堆積物に埋められその熱で炭化したことが判明した(下山・渡辺ほか,1994).木をなぎ倒し,埋没させている火砕流の本体は阿蘇-4火砕流の8つのサブユニットの内,八女軽石流である(渡辺,1994;下山・渡辺ほか,1994).巨木は水分が多かったため木部は炭化しておらず,樹皮と表面のみ炭化していたが,見かけ上新鮮であった(第7.4図).相原(1994)は,炭化材や炭化樹皮を用いた輝炭反射率の測定により,上峰町に来襲した当時の阿蘇-4火砕流の温度を推定し,火砕流の温度は450℃以上の高温であったことを明らかにした.
調査トレンチでは,阿蘇-4火砕流堆積物の直下に樹根を含む埋没森林土壌が確認され,更にその下に中位段丘構成層である中原層が検出された.

下山・西田(1994)の第10図について,地層名を本報告で用いるものに改めた.

下山ほか(1995)を一部修正.


樹幹から上に延びる黒い筋(矢印)は,樹幹から生じた高圧ガスの抜け道(煙の化石).スケールは 1m.
下山ほか(1995)は阿蘇-4火砕流前後の古植生変化を知るために,阿蘇-4火砕流堆積物を挟んで,下位の中原層最上部の粘土層から3試料,上位の三田川層の黒色シルト層から8試料の計11点を分析試料として採取し,花粉分析を行った(第7.5図,第7.6図).
阿蘇-4火砕流堆積物直下の古土壌層3層準3試料(試料M2-4)では,Picea(トウヒ属),Cryptomeria(スギ属)などの針葉樹花粉の占める頻度が比較的高い.特に阿蘇-4火砕流堆積物直下の暗灰色腐植土(試料M4)ではPiceaとCryptomeriaが著しく高い頻度を示した.針葉樹以外の木本類花粉では特にAlnus(ハンノキ属)を主とする冷温帯広葉樹(落葉広葉樹)が検出された(第7.5図).しかし,現在本地域に広く分布しているCyclobalanopsis(アカガシ属),Shiia(シイノキ属)などの暖温帯広葉樹(常緑広葉樹)種が全く検出されないのが特徴となっている.主な草本類花粉としては,Gramineae(イネ科),Artemisia(ヨモギ属),Thalictrum(カラマツソウ属)などが検出されるが,その頻度は比較的低い.この様な花粉組成からの植生を現在の九州地方における生態分布高度(Horikawa,1972,1976)に当てはめると,標高1,000~1,500mに相当する.これらの森林帯は阿蘇-4火砕流堆積物より下位の地層が形成された当時,八藤遺跡付近まで降下していたと考えられる.したがって,単純に考えるなら,当時の上峰町付近の気温は,現在より年平均5~7.5℃(気温減率を0.5℃/100mとする)低かったと考えられる.
一方,阿蘇-4火砕流堆積物の上位層準では,下位層準で栄えていたPicea, Cryptomeriaなどの針葉樹にとって代わって,Quercus(コナラ属),Betula(カバノキ属),Carpinus(シデ属),Fagus(ブナ属),Ulmus(ニレ属),Platycarya(ノグルミ属),Pterocarya(サワグルミ属),Corylus(ハシバミ属)などの冷温帯広葉樹花粉の占める割合が増加するなどの大きな変化がみられる.しかし,暖温帯広葉樹種は全く検出されず,この分析結果はその生態分布高度から推定して,下位層準の3試料の冷温帯広葉樹と針葉樹から構成されるものと大差なく,年平均温度などの古気候の面では大差ないものと考えられる.
ここで植生変化の原因を考える.阿蘇-4火砕流堆積物の下位と上位層準の古気候は大差ないにもかかわらず,阿蘇-4火砕流堆積物を境として,それまで栄えていたPicea, Cryptomeriaなどの針葉樹に代わって,Quercus, Betula, Carpinus, Fagus, Ulmus, Platycarya, Pterocarya, Corylusなどの冷温帯広葉樹,それに草本類の花粉の増加が認められる(第7.6図).このような植生変化の原因は気候変化のためではない.なぜなら,本試料からはPicea(トウヒ属)を除けば,Pinus(マツ属),Abius(モミ属),Sciadopitys(コウヤマキ属)などの針葉樹の頻度はむしろ増加しており,Cryptomeria(スギ属)に至ってはその占める頻度を20~30%までに回復させている.火砕流堆積物中の大量の炭化樹木群の存在から考えて,この様な植生変化を引き起こした直接の原因は降灰や火砕流来襲による森林破壊であったと考えられる.


三田川層の主部は砂礫層からなり,河川堆積物である.また,砂礫層に挟まれるレンズ状のシルト層からわずかに産出した珪藻化石群集からも,本層が淡水の河川環境で堆積したことがわかる.中原層中部と同時期の高木瀬層が堆積した時期は,温暖な最終間氷期と見なされているので,その後徐々に寒冷化していったものと考えられる.中原層主部を覆う森林土壌層と,三田川層中部の三日月湖堆積物と考えられる黒色シルト層の花粉分析の結果は,阿蘇-4火砕流による植生破壊だけでなく,当時の気候が双方とも氷期―亜氷期であったこと,三田川層の主部の砂礫層の形成が阿蘇-4火砕流後かつ森林植生回復前であった事を示している.この例から,阿蘇-4火砕流の来襲直後には,北部九州の山地のかなりの面積の森林が破壊され,裸地となった状況が考えられる.三田川層主部の大量の砂礫は,裸地となった山での土石流の頻発により,大量の砕屑物が短期間に供給されたためと推定される.三田川層は低海面期の陸棚縁辺堆積体(増田,1993)に相当し,完新統を含む最新の堆積シーケンスユニットの始まりにあたる.中原層と高木瀬層は1つ前のシーケンスユニットを形成しており,三田川層と中原層はシーケンス境界(SB)で接している.阿蘇-4火砕流堆積物はちょうど両者のシーケンス境界付近に位置している.
筑紫平野では,低位段丘や中位段丘などの台地上には最大約2mの厚さの細粒質土壌層が段丘構成礫層の上に載って段丘面をつくっている.台地は離水しているため,砂礫層を覆う台地表層の細粒土層は,火山灰や黄砂など風成起源である可能性が高い.風成塵粒子の起源追跡には,細粒土の全岩87Sr/86Sr比と,土層中の石英の18O/16O比をトレーサーとして組み合わせる方法が有効である.
下山ほか(1995)は第7.7図の柱状図で示された露頭から,台地表層の風積細粒土を代表するものとしてNo.10試料を,阿蘇-4火砕流堆積物の上位の三田川層の細粒土を代表するものとしてL-5試料を,阿蘇-4火砕流堆積物の下位の中原層最上部を覆う細粒土を代表するものとしてM-4試料を選び,Sr同位体比及び酸素同位体比を調べた.更に,比較試料として北側丘陵の花崗岩風化物を測定した.

87Srは放射性87Rbの壊変によって生成するので,概略的にみて,87Sr/86Sr比は岩石の生成年代を反映する.黄土,広域風成塵及び海洋底に堆積した赤色粘土(pelagic clay)は,大陸内部の古い地殻の最表層に由来するため,その87Sr/86Sr比は島弧の顕生代の火成岩,とりわけ新生代火山岩や中生代花崗岩(Faure and Powell,1972)より明らかに高い値をとる.ストロンチウムは質量数の大きい原子であることから,岩石の風化作用に伴う87Srと86Srの分別は無視しうるほど小さい.
下山ほか(1995)による測定結果を第7.1表に示す.3試料(No.10,L-5,M-4)のSr同位体比は基盤岩である花崗岩より明らかに高い.No.10の高い87Sr/86Sr比は,中国黄土(0.7185:Taylor et al.,1983;0.712~0.716:田中・安藤,1988),岩手県沢内村に1961年に降下した赤雪中のダスト(87Sr/86Sr=0.7165:溝田ほか,1992)やハワイ諸島の高標高域の土壌(0.7218~0.7273:Dymond et al.,1974)の値に近い.このことは,台地表層の細粒質土層がローカルな基盤の花崗岩の残積性母材のみに由来しているのではなく,古い地殻を代表する大陸内陸部乾燥地帯起源の物質の混合が推定される.つまり,高いSr同位体比から,台地上の細粒土壌は,大陸内陸部乾燥地帯起源から風によって台地面上へもたらされた外来物質,すなわち黄砂(レス)を主体とする堆積物の集積として説明できる.しかし,L-5とM-4の値はNo.10と花崗岩風化物との中間にある.

石英は土壌や堆積物に普遍的に含まれる鉱物で,地殻の主要造岩鉱物としては物理化学的にきわめて安定である.石英の化学式はSiO2で,ケイ素と酸素のみで構成されている.石英の18O/16O比(酸素同位体比)は生成温度によって一義的に決定される.そして一旦形成された同位体比は風化,運搬及び再堆積過程を通じての二次的同位体交換反応に対して著しく安定である.このため,酸素同位体比は,土壌や堆積物の起源についての直接の証拠として利用される(溝田・井上,1988).いくつかの既往の研究(井上・溝田,1988)によれば,中国黄土,黄砂現象にともなう泥雨堆積物,風成塵のみを唯一の栄養源として涵養されているミズゴケ泥炭(高位泥炭)中の細粒質石英(直径1~10μm)の酸素同位体組成(δ18O値)は著しく均一で,ほぼ+16~17‰である.このような風成石英粒子の酸素同位体比は,地殻を構成する岩石中の石英の酸素同位体比の平均値に近く,北半球中緯度を吹く偏西風の影響下の東アジア地域において,風成塵の集積を確認する上で,最も有効な指標の一つとなっている(溝田・井上,1988).八藤遺跡の台地上の細粒土層のNo.1~20試料中の石英は著しく細粒質で,大部分の粒子が50μm以下である.試料番号M-4,L-5,No.10の3試料中の1~10μm画分の石英含有量は,16.3,27.5,22.5%であった(第7.2表;下山ほか,1995).八藤遺跡北側の山地は花崗岩で構成されており,第四紀層の下位の基盤も花崗岩である.細粒土層は風成塵起源の可能性が高いが,花崗岩中には元来多くの粗粒な石英が含まれているため,細粒土層中の細粒質石英の一部が花崗岩から由来している可能性がある.このため,細粒土層がどの起源かを探るため細粒石英の酸素同位体比を調べた(第7.2表).試料No.10,L-5,M-4から単離した微細石英(直径1~10μm)の酸素同位体組成(δ18O)は,それぞれ,δ18O=+16.5‰,δ18O=+16.1‰,δ18O=+15.8‰で,ほぼ+16‰に近い.これらの値は既に報告されている太宰府の阿蘇-4火砕流の堆積面上の黒ボク土(筑紫野市針摺,δ18O=+16.1‰),玄武岩台地上の赤黄色土(鎮西町値賀川内,δ18O=+16.1‰,世知原市冬越峠,δ18O=+16.1‰),古砂丘中の古土壌中のもの(唐津市湊,δ18O=+15.8‰)及び石灰岩台地上の赤黄色土(北九州市平尾台,δ18O=+15.8~15.9‰),更にはミズゴケ泥炭や黄砂中の石英の値(Mizota,1982;Mizota and Matsuhisa,1985)に等しい.
八藤遺跡背後の丘陵地をつくる母岩(花崗岩)にも粗粒石英が多く含まれている.この粗粒石英の酸素同位体比は+11.7‰である(溝田ほか,1992).日本の花崗岩中の石英の一般的なδ18O値は+8.8~12.7‰であることが知られている(Matsuhisa et al.,1972).花崗岩中の石英のδ18Oの値とこれらの細粒土層中の石英のδ18O値(約+16‰)は明らかに異なっており,土壌中の石英は花崗岩中の粗粒石英が単に物理的に細粒化されたものではないことを示している.八藤遺跡の試料No.10,L-5,M-4の細粒石英の酸素同位体比はいずれもδ18O=+16‰前後に集中するので,細粒石英部分は3つの試料とも大陸起源の風成塵(黄砂)堆積物と考えられる.しかし,Sr同位体比から推察される結果とは整合しない.これは前者が1~10μm中の細粒部分の石英のみの分析を行ったのに対して,後者が全岩分析を行ったことによる不一致である.Sr含有量及び87Sr/86Sr比からは,後背の山地の花南岩風化物が洗い出されて堆積したものと,大陸起源の風成塵がほぼ等量ずつ混合したと考えると説明できる.
全岩のSr同位体比,細粒画分の石英粒子の酸素同位体比の値から,台地表層の細粒の土壌層は大陸の黄土(レス)に起源をもつ風成堆積物であることが判明した.また,三田川層の粘性土の一部や阿蘇-4火砕流堆積物直下の森林土壌の一部は,黄土(レス)に起源をもつ風成堆積物である.

下山ほか(1995)は上峰町八藤遺跡付近の台地表層をつくる細粒土層断面試料に含まれる63~125μmサイズの火山ガラスの含有量,形態や屈折率について調べ,火山灰降灰層準や年代それに堆積速度について考察した.火山ガラス含有量は63~125μmサイズの粒子の個数百分率である.No.1~20の20試料に含まれる63~125μmの粒径区分にはほとんど重鉱物が含まれておらず,粒子は火山ガラス,軽鉱物,植物破片などからなる.下位よりNo.1からNo.5の5試料には火山ガラスがほとんど含まれず,No.8で急激に増加し,50%程度の含有率になる.火山ガラス含有量は,これから上に向かって減少する.No.12では含有量が増加し,No.13から上位に向けては含有量が漸減する.火山ガラスの形態はほとんどがバブルウオール型からなり,少量の軽石型をまじえる.色付きガラスはNo.10層準より上位に認められる.火山ガラスの屈折率は大きく2つのグループに分けられる.一つは,より下位の層準に認められる1.498~1.500程度のレンジを持つグループAで,他方は1.509~1.512程度のレンジを持つグループBである.グループAの火山ガラスはNo.6層準である程度の量認められNo.8の含有量ピークを示し上位になるに従い漸減するが最上位のNo.20まで少量ずつであるが検出される.一方,グループB(屈折率1.509~1.512)の火山ガラスはNo.11層準である程度の量認められはじめNo.12で含有量のピークを示す.土層の上位になるに従い漸減するがこれも最上位のNo.20層準まで含まれる.以上の結果からNo.8及びNo.12層準に火山灰降灰を推定することができる.No.8層準に降灰が推定される下位の火山灰の火山ガラスはグループAで,主にバブルウオール型からなり,屈折率のレンジは1.498~1.500である.一方No.12層準に降灰が推定される上位の火山灰の火山ガラスはグループBで,主にバブルウオール型からなり色付きガラスが含まれ屈折率のレンジは1.509~1.512である.これらの火山灰はその特徴から下位(No.8層準)が姶良Tn(AT)火山灰に,上位(No.12層準)は鬼界アカホヤ(K-Ah)火山灰に対比できる(町田・新井,2003).従ってNo.8層準で29,000年前,No.12層準で7,300年前の年代が決定できる(町田・新井,2003).以上の考察によって細粒土層主部の形成年代は少なくとも29,000年前から現在までと推定される.ATの降灰層準に基づき,それ以降の細粒土層1.3mの平均堆積速度を計算すると1000年あたり0.45mになる.この堆積速度から推定される細粒土層の下限の年代は約4.7万年前と見積られる.
溝田ほか(1992)は北部九州の緩斜面上に厚く発達する黄褐色細粒土層の起源を同位体化学的手法で研究した.その結果細粒土層はその下位の土壌母材である花崗岩類や玄武岩類に由来するものではなく大陸から飛来した黄砂を主な起源とする風成土であることが明らかになった.下山ほか(1995)による同位体分析の結果とよく整合しており,筑紫平野の緩斜面上の黄褐色細粒土層も大陸から飛来した黄砂を主な起源とする風成土であることが判明した.ただし北部九州における風成土層主部の形成年代は約4万年前(暦年で4.5万年前)から現在までにすぎない.これは約4.5~4.7年前よりも前の平野が不安定であったかあるいは古い風成土層や地層群が大幅に欠落した時期が存在したことを暗示している(下山ほか,1995).
筑紫平野地下の阿蘇-4火砕流堆積物の分布図(第7.8図;下山ほか,1995)には平野の縁辺部では山地との間に,阿蘇-4火砕流堆積物空白域が認められる.この空白域は三田川層の分布域であることから,阿蘇-4火砕流堆積後三田川層堆積終了までの間に生じた侵食域と見なすことができる.空白域は筑紫平野東部の矢部川流域で著しい.こうした事実は三田川層堆積時の侵食と堆積の大きさを示唆している.空白域は平野東部で著しく,三田川層の厚さも東部で厚い傾向にある.これは阿蘇-4火砕流堆積物の発達状況とも一致している.三田川層下部の地層の花粉分析の結果,阿蘇-4火砕流直後の植生破壊が確認されるので三田川層下部は阿蘇-4火砕流の直後に形成されたことが明らかである.したがって,北部九州表層における約4.5~4.7万年前以前の風成土層や中位段丘層などの地層群の欠落は,約9万年前の阿蘇-4火砕流の来襲と火山灰の堆積による植生破壊で,北部九州の緩傾斜面や平坦面が上流での表土の流出や土石流の頻発による激しい浸食のほか,ラハールや土石流堆積物に埋積された結果と考えられる.

(下山正一)
筑紫平野の中心である佐賀地域では,海岸線から約17km内陸まで,標高10m未満の低く平坦な地形が続いている(第1.1図).この低く平らな地形部分が低平地である.低平地の成因をさぐるため,佐賀市北方の,低平地の北限付近に注目した(第1.4図).この付近はこれまで大規模な開発が行われていなかったが,平成2年,国土交通省によって巨勢川調整池の建設が開始され,調整池周辺でボーリング調査が数多く行われた.また調整池建設のため,周辺の標高約+4mの低平地表面から,最大-2.5mの位置まで掘り下げられ,調整池壁面や底面に低平地を構成する地層やその下位の地層が出現したほか,縄文時代早期の遺跡(遺構と貝塚)が出現した.遺跡は東名遺跡と命名され,佐賀市教育委員会によって発掘調査がなされた.平成5年に標高約3mのレベルから住居部分(遺構)が,平成15年には標高-1m前後のレベルから6つの貝塚列が発見された.これらの発掘調査の結果,低平地形成に関する多くの地質情報が得られた.
巨勢川調整池に関係する地層は中原層より上位の地層である.中原層は,最終間氷期の非海成層である.同時期の海成層は高木瀬層であるが,同層の北限は調整池付近には達していない.中原層を覆う阿蘇-4火砕流堆積物(Aso-4)は約9万年前に阿蘇カルデラを形成した大規模噴火に由来する軽石質火山灰である.三田川層は砂礫が主体の低位段丘構成層で,阿蘇-4火砕流台地を不整合に覆っている.更に三田川層の上を蓮池層(下部,上部)が覆っている.蓮池層は完新世の非海成層である.蓮池層には鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah)が含まれている.完新世の海成層である有明粘土層は調整池のすぐ南まで達しており,ごく一部が調整池内の蓮池層と指交している.
巨勢川調整池の掘削工事領域と遺跡の位置関係を第8.1図に,地形断面図を同下に示す.遺跡の遺構部分と貝塚部分の分布位置に明暗の灰色でマークした.東名遺跡は集落・墓地・貝塚のセットからなり,低平地地下の蓮池層中に埋没していた.縄文時代早期で西日本最古級かつ最大級の貝塚群を伴うばかりでなく,湿地遺跡のため,特に保存の良い木製品が多数出土している.集落・墓地からなる生活地遺構は標高3m前後にあり,標高-1m前後にある貝塚より4mほど高い位置にある(佐賀市教育委員会,2009).遺構では,文化層の直上にK-Ahの降灰層準がある.
低平地をつくる地質を把握するため,主に遺跡や調整池壁面及び内部の露頭調査,ボーリングデータの収集と解析,地層抜き取り調査が行われた.遺跡の立地環境,海水準や低平地の形成環境についての情報を得るために,地層観察,貝化石分析,硫黄含有量分析,遺跡の出土遺物の調査が行われた.また遺跡と低平地の形成時期については火山灰分析と炭素年代測定が行われた.

ボーリングコアよりも平面的な地層断面の試料が得られるジオスライサー(GS)によって地層の抜き取り調査が行われた.ジオスライサーで得られたコアの調査では,地層の観察のほか,貝化石調査,硫黄含有量分析,火山灰分析,炭素年代測定,定方位コア試料採取が行われた.抜き取り地点を第8.2図に示す.ジオスライサーコアはGS-1からGS-7までの計7本が抜き取られた.抜き取られた柱状サンプルを実施位置に従って並べて作成した抜き取り位置の地質断面(ジオスライサー断面)が第8.3図に示されている.土層を区分し,貝塚本体部分である貝殻含有部分を区別した.
出土した貝殻,ドングリ,木本,土器数点についてAMS法による炭素年代測定が行われた.その結果,暦年で8100~7600年前の縄文時代早期末の遺跡であることが判明した(佐賀市教育委員会,2009).


佐賀市教育委員会(2009).年代値は AMS 法による放射性炭素年代であり,暦年ではない(位置は第8.2図).
貝塚のジオスライサーコアから拾い上げた貝の主要種を第8.4図に示す.貝殻は約七割をヤマトシジミが占めており,それにアゲマキ・ハイガイ・マガキを加えた上位四種で99%を占める.上位四種を除いたグラフでは,アズキカワザンショウが約半数を占め,ついでキヌカツギハマシイノミ,等の小型の巻貝が多く出土した(佐賀市教育委員会,2009).

佐賀市教育委員会(2009)によれば,食生活に関して,シカ・イノシシ・ドングリなどの山の産物や,ヤマトシジミなどの川の産物,クジラ・ハイガイ・マガキなどの海の産物が出土している.これら遺物から,当時の人々は山から海までの様々な場所のものを食していたことがうかがえる.
遺跡内の縄文時代早期の地形を復元した第8.5図には,三田川層砂質土の埋没低位段丘の残存微高地(明灰色)が示されている.
遺構は埋没低位段丘の残存地形のつくる高まりにあたり,貝塚(黒)は高まりを下った段丘崖と谷地形との接点に並んでいる.遺構と貝塚との高低差は約4mある.このことから,当時のこの付近は低位段丘面が侵食されて多くの谷が刻まれ,第8.6図のように大きな地形の高低差があったと考えられる.
次に,貝塚の形成場所の環境が貝塚の貝によって考察された.計数された貝類の大部分がヤマトシジミ,アゲマキ・ハイガイ・マガキであった.これらの貝は出現頻度が高いこと,個体サイズが大きいことから,縄文当時の人が主に食していたものと考えられる.一方,上位四種を除いた貝で多くを占めるアズキカワザンショウ,キヌカツギハマシイノミ等は,個体サイズが小さいため,食用として採取された貝ではなく貝塚に生息していた貝と考えられる.これらの貝の生息環境を第8.1表に示した.
上位四種とカワニナは食用に採取されたと考えられる.これらの貝類の生息環境は淡水から海水の環境で幅が広い.ただし,食用の貝類で最も多いヤマトシジミの生息環境は河口汽水域であり,東名遺跡はこれらの食用の貝が手に入り易い,川と海の接点である河口付近に営まれていたことが分かる.その他の貝類の生息環境はほとんど一致しており,潮間帯の汽水域で河ロアシ原の環境である.これらは微小であり,食用であったとは考えにくいことから,食用になった貝の貝殻が捨てられた場所に生息していたものと考えられる.したがって,貝塚が形成された場所は河口でアシ原の環境であったと考えられる.

佐賀市教育委員会(2009).GS:ジオスライサー


東名遺跡のAMS法炭素年代測定の結果から,暦年で8,100~7,600年前に形成されたことが判明した(佐賀市教育委員会,2009).一方,鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah)は暦年で約7,300年前に鬼界カルデラで噴火し,各地に降灰したことが知られている(町田・新井,2003).従って東名遺跡はK-Ah降灰層準よりも下位になる.
巨勢川調整池におけるK-Ah降灰層準を更に特定するため,調整池東側・西側壁面,ジオスライサー柱状断面で火山ガラス含有率を求めた.その結果,標高-0.5mまでのジオスライサー柱状断面には降灰層準は存在しなかった.K-Ah降灰層準は貝塚よりもずっと高い位置にあり,東側では+3.6m,西側では+2.4mの所で確認することが出来た.また生活地(遺構)部分では,文化層直上の+2.8mに確認されている.降灰層準が確認された地点を結ぶと第8.6図の太破線のようになる.
これらの結果から,調整池周辺では+3m前後にK-Ah降灰層準があることが分かった.この結果はほとんど直線断面であり,遺跡が営まれた縄文時代早期の凹凸の大きな地形が蓮池層の堆積によってK-Ah降灰までに急速に埋没して平坦な地形(低平地)が出来たことを裏付けている.そして,K-Ah降灰時(約7,300年前)には低平地は完成直前であったと考えられる.
佐賀市教育委員会(2009)は海水準の変化について以下の考察を行った.まず,集落と墓地遺構は生活跡なので,当時の最高潮位は遺構の高さより低かった.また,貝塚の発掘調査で標高約-1mの地点で貝塚の層からヤマトオサガニの化石が見つかつている.ヤマトオサガニは小型のカニで,完全個体がつぶれた姿で見つかつているので,食べられたのではなく生息していたものがその場で死亡したものと考えられる.このカニは現在の有明海では平均海水準に生息範囲の中心がある.そのため,ヤマトオサガニの出土層準を当時の平均海水準と考えると,当時の海水準は-0.9mかそれ以下だったと推定される.また貝塚の水路側では,編みカゴを敷いたドングリ貯蔵穴が,西に向かって傾斜する貝塚形成時の地層に沿って,標高-0.7~-2.9mの高度で見つかつている.ドングリ貯蔵穴は,食料としたドングリを水に浸して保存するためのものである.この事からドングリ貯蔵穴は,通常は水に浸っており,干潮時に水上に現れる状態だったと考えられる.そのため,最低潮位はドングリ貯蔵穴の高度より低い位置にあったと考えられる.ここで当時の平均海水準を-1mとし,潮位差を現在の有明海と同等の最大6mとすると,遺構と貯蔵穴の高度は現在の最高・最低潮位の範囲を満たすため,縄文時代早期当時の潮位差も現在と同程度であったと考えられる.
次に遺跡当時,K-Ah降灰時,最初の低平地が完成した当時,の3時点における海水準について以下のように考察された.佐賀地域の浮泥による堆積上限高度は現在,海水準上3mである.K-Ah降灰時期である,暦年で約7,300年前の浮泥堆積面のレベルは圧密を考慮して,+3m付近にあり,当時の海水準は低平地表面高度から3m低い位置,つまり現在の海水準とほぼ同じレベルにあった.浮泥堆積上限の最高レベルはK-Ah降灰層準時期の少し後で,調整池周辺の低平地表面高度平均標高約+4mまで達した.3m下に平均海水準を想定すると,浮泥堆積上限の最高レベルでの海水準は+1mと考えられる.
これらをもとに筑紫平野佐賀地域の過去約1万年間の海水準変動と浮泥堆積上限高度の変化を推定した(第8.7図).年代スケールは暦年である.佐賀地区での海水準が最高高度に達した年代が得られていないので,世界的な海水準変動曲線(Siddall et al.,2003)に佐賀でえられた海水準カーブの3点を加えて外挿した.その結果,海水準は7,900年前には-0.9mだったが,7,900年以降に約2m上昇し,7,200年前に+1mでピークとなり,その後やや下降して現在に至った.
東名遺跡付近の低平地が完成した時期は以下のように考えられる.まず,遺跡付近の低平地をつくる蓮池層上部粘土からはアシの地下茎が無数に見つかった.したがって蓮池層上部の粘土はアシ原に堆積した浮泥であり,その堆積上限高度は約+4mである.平均海水準が浮泥堆積上限の3m下と仮定すると,当時の海水準は+1mにあったことになり,その時期はK-Ah降灰直後の約7,200年となる.すなわち,東名遺跡付近の低平地が完成した時期は約7,200年前である.海水準上昇がピークに達した時期なので,佐賀低平地の最初の低平地完成時期と考えられる.浮泥堆積領域はその後のプログラーデーションに伴い南に拡大して行く.
これまでの一連の堆積現象について東名遺跡付近の低平地の形成史を整理すると次のようになる.東名遺跡が形成された当時,海水準上昇は一旦休止していた.低平地はなく,大きな起伏のある地形であった.住居地は河口付近の微高地上に,貝塚は一段下がった最寄りの河岸に形成された.その後海水準が再度急上昇し,遺跡は放棄された.海水準の上昇に伴って浮泥堆積上限も急上昇し,遺跡は浮泥で急速に埋め立てられていった.埋め立てはK-Ah降灰時期にはほとんど完成し,降灰後更に浮泥が堆積して最初の低平地がこの付近に形成された.その時期は,7,200~7,000年前と考えられる.その後高海面期となり,浮泥による埋め立て領域はプログラーデーション現象により南下して行き,塩性湿地が広がった.

Shimoyama and Nishida(1999).楕円マークした部分は時代と海水準の手がかりがある部分を示す.
東名遺跡が河川河口域の微高地と河岸に営まれた暦年で8,100~7,600年前当時,海面は現在の海面からみて-1mの位置にあり,浮泥堆積上限が+2m付近,住居地はその上の+1m付近にあって一時安定していた.その後海面が急上昇して主に浮泥が堆積し,貝塚と生活地を埋積した.貝塚を覆う自然層の壁面にはさまざまな潮汐堆積物が見られ,この当時の堆積環境を示している.
佐賀市教育委員会では東名遺跡が営まれた縄文時代早期末とその直後の堆積環境を知るため,復建調査設計(株)の市原季彦技師に堆積相解析を依頼した.以下にその報告書(佐賀市教育委員会,2009)の一部を引用する.
Gトレンチ(第8.5図)は第2貝塚からほぼ西に掘削されたトレンチで,底面がほぼ貝塚形成当時の面である.トレンチの西側ほど河川,もしくは河川に関連する堆積物が発達する.Gトレンチ南壁では,壁面の東側では塊状の粘土がみられ,中央付近では砂層と粘土が互層状になる.更に西側は砂層の厚さが増し,粘土層は僅かになる.ここでは,地層の特徴より,3つの堆積相を識別した(第8.8図).以下にそれぞれの特徴を示す.

手前が貝塚側,奥が西側.佐賀市教育委員会(2009).
主に塊状無層理の暗灰色粘土よりなる.僅かに砂が点在する.堆積構造は認められないが,生物擾乱は著しい.生痕の輪郭は不明瞭であるため,その形状もわからないが,稀に管状の直径3cm程の生痕が観察される.
主に粗粒砂及び粘土からなり,細礫が点在する.砂層にはイプシロン型斜交層理が顕著にみられる.東側ほど砂層は薄くなりせん滅する.逆に粘土分は東側ほど多くなる.イプシロン型斜交層理はベッド高約5~30cmであり,西側へ傾斜する.一部でマッドドレイプを伴うウェーブリップル,フレーザー状層理が観察される.本堆積相は東側で生物擾乱が見られるほかは,化石や生痕化石は殆ど認められない.
主に平板型斜交層理が発達する粗粒砂からなり,細礫・細粒砂を含む.トレンチ壁面の西側のみに分布しており,堆積相Bの間にくさび状に分布する.堆積相Bの砂層と比較して粘土分が少なく,色調もやや白色を呈する.また,本堆積相の特徴となる平板型斜交層理の傾斜方向から求められる古流向は,北西→南東方向を示し,逆向きの古流向は認められず,細粒分の挟み(マッドドレイプなど)も見られない.
識別した3つの堆積相について,その特徴,分布,累重関係などから堆積環境の推定を行った.
堆積相Aは無構造であり,単独で堆積環境を決定する事は困難であるが,後述の堆積相Bと密接な分布を示すこと,アナジャコ類の巣穴と思われる生痕化石が観察される(第8.9図)ことなどから,泥質干潟堆積物であると考えられる.
堆積相Bにはイプシロン型斜交層理(Epsilon cross-stratifiication)が特徴的である.この堆積構造は,河川などのポイントバーが移動していく過程で側方に付加されて堆積するものとして知られている.ここで観察されたものは,マッドドレイプを伴っている(第8.10図).マッドドレイプは流れの休止期に浮遊していた細粒分が沈降してできた薄い泥層である.マッドドレイプが頻繁に観察されることは,流れの変動があり,流れの比較的早い時期と停滞期を繰り返していたことを意味する.こうした堆積環境として,潮汐によるエネルギー変化を被りやすい場所が推定できる.以上の特徴から,堆積相Bは潮汐のエネルギーを大きく受ける潮間帯堆積物であり,潮汐チャネル内のバーの移動によって形成されたものであると考えられる.なお,本堆積相と同様の堆積構造は第2貝塚主要部にも見られる.地層の傾斜方向やその層厚変化から判断して,トレンチ内の東から西へとバーが伸長していったことが示唆される.以上のことから,堆積相Aと堆積相Bは塩水湿地堆積物であり,それぞれ泥質干潟から潮汐チャネル部に対応すると考えられる.ただし,貝殻などが認められないことから,潮間帯の中でも上部(より陸側)に位置していたと考えられる.
堆積相Cは堆積相Bに挟まれるように観察されるが,堆積相Bが東から西へ伸長していることに反して,西(北西)から東(南東)向きの古流向を示すカレントリップル葉理が顕著である(第8.11図).また,本堆積相内にはマッドドレイプが見られないこと,細粒分の混入が非常に少ないことなどから,堆積相Bのような潮汐堆積物ではなく,河川本体の流れを強く反映している堆積物であると考えられる.有明海湾奥のような潮位差が大きい環境下では,潮汐の影響が大きいため,細粒分が再懸濁を生じやすい.そのため,潮汐の影響下で堆積したものは細粒分を多く含む(堆積相Bにおいて22%).一方,河川本流の流れが卓越すると,停滞期に堆積する泥分が含まれないため,細粒分が少ない(堆積相Cにおいて1%).
これらのことから,堆積相Cは河川流路堆積物であると考えられる.ただし,地層全体としては堆積相Bが卓越しており,通常は潮汐の影響が強い環境下であると考えられることから,河川増水時に河川営力が強まった時など間欠的に堆積したものであると考えられる.
以上のようなことから,Gトレンチ南壁での堆積環境は,河道流路を西側に持つ潮間帯の塩水湿地の側方付加堆積物から始まり,河川の影響が強くなり(河道に近づいたため),河川堆積物によって埋没されていったが,その後の海水準の上昇に伴い,感潮域へとなっていったと考えられる.また,地層としては残されていないが,両トレンチ共に観察された地層の更に上位より掘り込まれたアナジャコの巣穴化石が残されているため,少なくとも泥―砂泥質の干潟堆積物がその上位を覆ったことが示唆される.



Gトレンチ南壁の地層の堆積学的検討に基づいて,粒度分析結果と合わせて堆積環境変遷の推定を行った結果,3つの堆積相を識別し,堆積環境を推定することができた.堆積環境は,大局的には河口干潟→河川中心→河口干潟と変化していることが判明した.河川中心はトレンチの西側に位置していたと思われ,その堆積物は北西から南東方向への古流向を示すものが確認された.塩水湿地堆積物及び感潮河川堆積物と推定されたものは,マッドドレイプが特徴的であり,このような低平地で形成された地層の堆積環境の推定には潮汐堆積物の認定が重要である.更に,地層中に見られる巣穴化石も地層形成環境を推定する上で重要なものである.
東名貝塚の地層の特徴は顕著な潮汐堆積物である.佐賀地域の第四系は潮汐の影響の強い堆積環境にあり,下山・松本ほか(1994)では,これを前提にした層序区分がなされている.現在の有明海は最大6mの大きな潮位差を持っているため,堆積環境を識別する際,3つの海岸線を考慮する必要がある(第8.12図).
海岸線1は平均海岸線である.潮間帯のほぼ中心で,これ以下は平均的に海面下にあり,これ以上は平均的に空気にさらされるため,干潟での酸化還元境界でもある.
海岸線2は最高潮位線である.大潮満潮時の海面は河川以外ではこのレベルまで達する.
海岸線3は潮流遡上限界線である.大きな潮位差のある内湾では,上げ潮時に大量の海水が河口に集中し,乱流となって底土を潜掘して,浮泥を生じる.海水は浮泥と共に河川内を逆流し,最高潮位線よりも更に高い潮流遡上(逆流)限界まで達して,浮泥が堆積する.逆流浮泥の堆積によって,有明海に注ぐ各河川下流はさながら泥干潟のようになる(第1.5図).
第8.13図は佐賀地域の堆積シーケンス層序区分の概念図である.低平地形成に至る最新シーケンスユニットを模式図にしている.阿蘇-4火砕流堆積物がシーケンス境界直下にある.低海面期堆積体が三田川層である.海面は低下しており,海岸線は遠ざかつているので上流から中流にかけての河川堆積物からなる.河床部分は掘削と埋積を繰り返すので,粗粒となり砂礫が中心となるが.水路が変わると河跡湖に泥が堆積し,レンズ状断面を持ったシルト層や粘土層を形成する.河床が下がり,堆積平坦面が離水すると低位段丘が形成され.段丘面上に黄砂や火山灰など風成塵が堆積し,ローム層やクロボク土層が形成される.
約1.8万年前の最終氷期最盛期以降,海水準が急速に上昇してくると佐賀地域は下流域の堆積場所となり,海進期堆積体の陸側堆積物である蓮池層下部が堆積する.蓮池層下部は段丘群を浸食しつつ埋積するため,埋没段丘化する.河口の汽水堆積物や河口干潟のデルタ堆積物を含み,マッドドレイプをもつタイダライトも見られることがある.蓮池層下部は下位の三田川層と海進面(TS)という不連続面で接する.両者は固結度や酸化土壌と還元土壌の違いなどの差があるが,TS境界は明瞭ではなく,厳密には三田川層最上部のAT火山灰層により識別可能である.
その上の海進期堆積体の海側堆積物(海成層)が有明粘土層下部である.有明粘土層は真性の海成層で,全体に海棲貝殻の破片を含んでいる.有明粘土層は有明海特有の強い潮流を反映して,潮汐チャネル充填物からなる粗粒砂層のレンズを挟むことがある.下位の蓮池層下部や三田川層とは著しい浸食面である潮汐(海進)ラビンメント面(TR)で接する.ラビンメント面上のラグ堆積物には土器片やヤマトシジミなどの汽水棲貝殻片を含むことがある.河川延長部にはしばしば深い潮汐浸食谷が発達しており,有明粘土層が厚く充填している.有明粘土層は海進期堆積体である下部と高海面期堆積体である有明粘土層上部からなる.両者の境界は最大氾濫面(mfs)である.mfsの直下にはK-Ahの降灰層準があるため,K-Ahが両者を区別する鍵層として使われる.有明粘土層上部に含有される貝化石の水深は上位方向にしだいに浅くなり,埋積傾向が見られる.
高海面期堆積体の陸側堆積物が蓮池層上部である.蓮池層上部はしばしば浮泥堆積物からなる.浮泥は上げ潮海水が河口に集中して底土を潜掘した際に巻き上げられたもので,上げ潮で逆流しながら河川内を運ばれて希釈され,逆流限界付近のアシ原などの塩性湿地に低塩分(あるいは淡水)環境で堆積する.潜掘は河川内でも繰り返され,底土に砂質堆積物を残す場合がある.まれに蓮池層上部有明粘土層下部との間に河川内砂層を形成する場合があり,このケースを蓮池層中部と呼んでいる(下山・松本ほか,1994).


(下山正一)
下山・松本ほか(1994)は,有明海湾奥低地の地下第四系を再記載し,基本層序と地層単位を決定した.下山・松本ほか(1994)の地質区分は,後期更新世以降の海進海退サイクルに基づく海成・非海成を単位とした堆積環境を重視したものである.表層と地下の地質系統を火山灰層などの鍵層でつなぎ,名称を統一している(第9.6図).地質区分の具体例として,国立環境研究所(当時)によって有明町牛屋,福富町役場,川副町役場の3箇所で掘削された地盤沈下観測井のための地質調査で得られたオールコア土質柱状図,それに柳川市矢加部において産業技術総合研究所により掘削された土質柱状図を標準層序として示す.これらを牛屋コア,福富コア,川副コア,産総研柳川コアと呼ぶ(第9.1図).

嘉瀬コアと南里コアは第11章で述べる地盤環境研究のコア位置.基図は国土地理院発行20万分の1地勢図「熊本」を使用.
佐賀県杵島郡有明町牛屋の有明東小学校校庭において掘削されたボーリングから全長202mのオールコアが得られた.このコアは軟弱な粘土層,砂層,テフラ,砂礫層,貝殻質層等からなり,GL-41~-123mに火山岩礫からなる優勢な礫層が発達するのが特徴である.これらの堆積物を下山・松本ほか(1994)の地層区分に基づいて下位から牛屋層,川副層,阿蘇-3火砕流堆積物,高木瀬層,中原層,阿蘇-4火砕流堆積物,三田川層,蓮池層下部,有明粘土層の9層に分けた(第9.2図).ボーリング地点は干潟を埋め立てた場所でなので,有明粘土層がほぼ表層まで達している.

本層は武雄地域―鹿島地域の地下にのみ分布し,佐賀地域のコアでは未検出である.岩相は全体に細粒な凝灰質の粘土及び細粒砂の互層である.粘土は暗青緑色,茶褐色,乳灰色など様々な色を呈する.それらは氾濫原からデルタまでの堆積物と考えられるが,火山灰や玄武岩細礫を多く含んでいる.この火山灰や火山岩は大部分隣接する古期多良岳火山からの二次的供給物と考えられる.
本層最上部は延長性の良い固結粘土が占めるが,全体に礫質である.粘土は続成の進んだ強固結状・強還元状態にあり,コアは棒状でしばしば破断口をもつ.礫質部分は礫まじり砂層と粘土層の互層となる.GL-56.8~-63.2mには厚さ6.4mのかなり固結した青緑灰色粘土層があり,この粘土層を境に礫質部が上下に2分される.礫質部分はcobble~pebble主体の暗緑灰色砂礫層で,礫種は安山岩,玄武岩からなる.源岩が多良岳火山の溶岩と同じであること,多良岳火山の周辺の地下に広く分布することから,この砂礫層は地上の多良岳火山扇状地堆積物(立石層に相当する)に連続するものとみられる.火山扇状地堆積物に挟まれたGL-56.8~-63.2mの固結粘土層は海生の珪藻と渦鞭毛藻シスト化石が産出するので海成粘性土層と考えられる.本層の砂礫部分は本地域の主要な帯水層である.
阿蘇-3火砕流堆積物は全体として暗紫灰―黄灰色を呈する火山灰で,スコリア,火山ガラス,自形斑晶,岩片からなる火砕流堆積物である.最上部は土壌化しており,旧表土と考えられる.火山ガラスの屈折率は大きく2つのグループに分けられる.1.515を中心としたグループと1.539を中心としたグループで,岩相と火山ガラスの屈折率は阿蘇-3テフラ(Aso-3)の特徴(町田・新井,1992)に一致する.
本層は青灰色のシルト・粘土を主体とし,貝殻片を混入する地層である.含有貝化石のほとんどがヌマコダキガイで占められていて,コキナイト状に密集して産する.ヌマコダキガイは現在の有明海湾奥のカキ礁周辺の潮間帯泥底に群棲している.貝類化石の外,有孔虫,海棲珪藻,渦鞭毛藻シストの各化石群集も検出されており,内湾の真性海域で堆積した海成層である(下山ほか,1996).
本層は上部のみで,青灰色の礫混じり粘土,シルトを主体とする地層である.河川堆積物からなり,単層は横方向の延長性に乏しい.高木瀬層との境界部の,GL-34.3mに厚さ約1cmの黄白色火山灰薄層を挟んでいる.この火山灰は火山ガラスの屈折率(1.507-1.511)から阿多テフラ(Ata)の可能性が高い.
本層は黄灰色―灰色を呈する輝石角閃石デイサイト質の軽石質火山灰を主体とする非溶結火砕流堆積物である.最上部はやや風化してローム状を呈するが下部は新鮮な暗灰色ガラス質火山灰である.軽石もまじえる.角閃石,輝石,斜長石を多く含み,火山ガラスの屈折率は1.507~1.511(平均1.509)なので,阿蘇-4テフラ(Aso-4)と考えられる.
本層は暗灰色砂礫層からなり,礫径はpebbleを主体とし,最下部に向かってcobbleが多くなる.礫種は主に花南岩,石英,結晶片岩や安山岩などからなる.
クロスラミナの発達する暗灰色細粒砂とシルトの細互層からなる.最下部に礫混じりの薄い粗粒砂層が発達する.全体に腐植の混入が認められ,特にGL-23.2~-23.4mには腐植に富んだシルトが発達している.この有機物濃集部の14C年代値は10,360±370y.BPである(下山・松本ほか,1994).ボーリング地点の場所は旧干拓地で,蓮池層上部を欠いている.
本層は暗灰色貝殻混じりのシルト層を主体としている.GL-13.05mには厚さ2mmの黄灰色のガラス質火山灰が挟まれている.火山ガラスは色ガラスを含むバブルウォール型で,その屈折率は1.507~1.517(平均1.5107)であることから,アカホヤ火山灰(K-Ah)に由来するものと考えられる.本層最上部を覆う校庭の人工埋積土の基底は水田床土で,やや撹乱された酸化鉄の沈着層があり,褐色で緻密な表層皮膜が形成されている.
佐賀県杵島郡白石町福富の,旧福富町役場敷地内において掘削されたボーリングから全長201mのオールコアが得られた.このコアは軟弱な粘土層,砂層,テフラ,砂礫層,貝殻質層等からなり,GL-41~-123mに火山岩礫からなる優勢な礫層が発達するのが特徴である.これらの堆積物を下山・松本ほか(1994)の地層区分に基づいて下位から牛屋層,川副層,中原層下部,高木瀬層,中原層上部,阿蘇-4火砕流堆積物,三田川層,蓮池層下部,有明粘土層の9層に分けた(第9.3図).ボーリング地点は,有明粘土層が表層まで達しているので,干潟を埋め立てた場所である.

下山・松本ほか(1994)を一部修正.凡例は第9.2図参照.
本層は武雄地域―鹿島地域の地下にのみ分布し,佐賀地域のコアでは未検出である.岩相は全体に細粒な凝灰質の粘土及び細粒砂の互層で,粘土は非常に続成の進んだ強固結状・還元状態にあり,しばしば破断口をもち,暗青緑色,茶褐色,乳灰色など様々な色を呈する.氾濫原からデルタまでの堆積物と考えられる.
本層最上部は延長性の良い固結粘土が占めるが,それより下位ではしばしば礫まじり砂層と粘土層の互層となる.福富コアの川副層は牛屋コアのそれに比べて全体に砂質粘土のレンズ状の挟みや互層が多く,本層は牛屋と福富の間で横方向に細粒になる岩相変化している.福富コア中のGL-109~-112mには火山灰層があり,下山・松本ほか(1994)はこれを福富火山灰(Ft)と呼んだ.珪長質の軽石質テフラで,雲母を含みほぼ均質である.FT年代値は約60万年前である(第6.2表).層序及び火山灰分析の結果,福富火山灰(Ft)は由布川火砕流堆積物(Yfg:星住・竹村,1996;町田・新井,2003)の可能性が高い.本層上部は更新世中期と考えられる.岩相が変化に富み,粘土には植物の根の跡がみられる.本層の大部分は河成とみられるが,福富火山灰(Ft)の直上の粘土層から貝化石(チヨノハナガイ)が産しており,一部は海成層である.本層は複数の海進期を含んでいる.
高木瀬層を挟んで上部と下部に分かれる.シルト,砂礫からなり,単層は横方向の延長性に乏しい.礫は硬く,未風化で,中程度の固結度である.三角州,氾濫原,扇状地を構成した非海成の地層である.
本層は青灰色のシルト・粘土を主体とし,貝殻片を混入する地層である.含有貝化石のほとんどがヌマコダキガイで占められていて,しばしば密集状に産する.貝類化石の外,有孔虫,海棲珪藻,渦鞭毛藻シストの各化石群集も検出され,高木瀬層は明らかに内湾の真性海域で堆積した海成層である.高木瀬層基底部にスコリア質の二次堆積火山灰を含み,火山ガラスの屈折率は1.513~1.554(平均1.524)なので,阿蘇-3火砕流起源と考えられる.
本層は黄灰色―灰色を呈する輝石角閃石デイサイト質の軽石質火山灰を主体とする非溶結性の火砕流堆積物である.最上部はやや風化してローム状を呈するが下部は新鮮な暗灰色ガラス質火山灰である.軽石もまじえる.角閃石,輝石,斜長石を多く含み,火山ガラスの屈折率は1.507~1.511(平均1.509)なので,阿蘇-4テフラ(Aso-4)と考えられる.
本層は暗灰色砂礫層からなり,礫径はpebbleを主体とし,最下部に向かってcobbleが多くなる.礫種は主に花南岩,石英,結晶片岩や安山岩などからなる.
ごく薄く,クロスラミナの発達する暗灰色細粒砂とシルトの細互層からなる.全体に腐植の混入が認められる.
本層は暗灰色貝殻混じりのシルト層を主体としている.GL-11mにはガラス質火山灰が濃集する部分がある.火山ガラスは色ガラスを含むバブルウォール型で,その屈折率は1.507~1.517(平均1.5107)であることから,GL-11mがアカホヤ火山灰(K-Ah)の降灰層準と考えられる.
佐賀市川副町大字鹿江の旧川副町役場敷地において掘削されたボーリングから,全長120mのオールコアが得られた(位置は第9.1図参照).このコアは軟弱な粘土層,砂層,テフラ,砂礫層,貝殻質層等からなり,GL-41~-120mに火山岩礫からなる優勢な礫層が発達するのが特徴である.これらの堆積物を下山・松本ほか(1994)の地層区分に基づいて下位から川副層,中原層下部,阿蘇-3火砕流堆積物,高木瀬層,中原層上部,阿蘇-4火砕流堆積物,三田川層,蓮池層下部,有明粘土層,蓮池層上部の10層に分けた(第9.4図).

下山・松本ほか(1994)を一部修正.凡例は第9.2図参照.
本層の模式地である.本層最上部は,延長性の良い,暗緑灰色―緑黒の固結粘土が占めるが,GL-76.7m以下は砂層が主体となる.粘土は続成の進んだ強固結状・強還元状態で,コアは棒状でしばしば破断口をもつ.砂層部分は細礫混じりの粗粒砂を主体としている.ところどころに砂層とシルト層の細互層を挟む.シルトと互層には腐植物を含む.GL-80.6~-88.5mには厚さ約8mの砂礫層がある.礫質部分はcobble~pebble主体の礫からなり,礫種は花崗岩を主体とする.
阿蘇-3火砕流堆積物及び高木瀬層により上下に二分される.本層下部は暗灰色砂礫と暗緑灰色砂層からなり,下部の最上部とGL-56.6~-61.9mにシルト層を挟む.本層上部は暗緑灰色の砂層からなり,濃緑色の硬質粘土やシルト層を挟む.腐植質粘土や木片を含む部分がある.
河川成堆積物と考えられる.
岩相は全体として暗灰―暗緑色を呈する軽石質火山灰で,スコリア,火山ガラス,自形斑晶,岩片からなる火砕流堆積物である.岩相と火山ガラスの広い屈折率レンジ(1.513-1.553)から阿蘇-3テフラ(Aso-3)と考えられる.
本層は上部が暗緑灰色の凝灰質シルトを主体とし,下部は二次堆積軽石と砂層の互層からなる.貝化石はまれで,タラシノイデス生痕が発達する.海成層と考えられる.
本層は黄灰色―灰色を呈する輝石角閃石デイサイト質の軽石質火山灰を主体とする非溶結性の火砕流堆積物である.最上部はやや風化してローム状を呈するが,下部は新鮮な暗灰色ガラス質火山灰である.軽石もまじえる.角閃石,輝石,斜長石を多く含み,火山ガラスの屈折率は1.507~1.511(平均1.508)なので,阿蘇-4テフラ(Aso-4)と考えられる.
本層は暗灰色砂礫層からなる.礫径はpebbleを主体とし,最下部に向かってcobbleが多くなる.礫種は主に花崗岩,石英,結晶片岩や安山岩などからなる.最下部に軽石を混入する.最上部には比較的硬い黒色の腐植質粘土が発達する.-23.7~-24.0mに厚さ3mmのガラス質火山灰薄層を挟んでおり,火山性クロボク土と考えられる.火山灰の火山ガラスは主にバブルウォール型からなり,屈折率のレンジは1.498~1.500である.色付きガラスを含まない.この火山灰はその特徴から姶良-Tn(AT)火山灰に対比できる(町田・新井,2003).河川成堆積物である.
本層下部(GL-16.5~-22.0m)は暗オリーブ灰色の粘土混じり砂層を主体とし,クロスラミナの発達する暗灰色細粒砂とシルトの細互層部分がある.最下部に粘土混じりの薄い細粒砂層が発達し,腐植の混入が認められる.特にGL-20.6~-22.0mには木片が濃集する.この木片濃集部に含まれる木片の14C年代値は10,071±160y.BPである(下山・松本ほか,1994).
本層上部(GL-1.0~-5.9m)は暗緑灰色のシルト層からなり,アシの地下茎や腐植をまじえる.最上部は水田土壌で,酸化しており褐色の斑点がある.塩性湿地と河川成堆積物と考えられる.
本層は暗緑灰色の貝殻混じりの砂質シルト層を主体としている.貝殻はシヅクガイやチヨノハナガイが目立っており,内湾成堆積物である.GL-9.6~9.7mには厚さ10mmのガラス質火山灰を挟む.火山ガラスは色ガラスを含むバブルウォール型で,色付きガラスを含む.火山ガラスの屈折率は1.507~1.517(平均1.5107)であることから,アカホヤ火山灰(K-Ah)と考えられる.
産総研柳川コアは,5万分の1地質図幅「佐賀」地域の地質研究の一環として,筑紫平野柳川地域の地下第四系の標準層序区分と地下の地層の物理特性などについての標準データを得る目的で,産業技術総合研究所によって,福岡県柳川市矢加部の有明海沿岸道路において掘削された.孔口標高は3.6mである.掘削されたボーリングから全長80mのオールコアが得られた(位置は第9.1図参照).地表からGL-0.7mまでが人工盛土で,それ以下が自然の地層である.地層は完新統から中部更新統までの,粘土層,砂層,砂礫層,火山灰層,貝殻質層等からなる.これらの堆積物を下山・松本ほか(1994)の地層区分に基づいて下位から川副層,中原層下部,高木瀬層,中原層上部,阿蘇-4火砕流堆積物,三田川層,有明粘土層,蓮池層上部,人工埋積土の9層に分けた(第9.5図).GL-18.8~-60.8mに礫混じり砂層からなる厚い中原層が発達するのが特徴である.第9.6図に有明海沿岸のコア柱状図の比較を示す.


柳川コア川副層上部のGL-60.8~-70.3mには,水平延長性の良い,厚さ約10mの,かなり固結した暗青灰―暗緑灰色粘土層が占める.粘土は均質で,続成の進んだ固結状・強還元の状態にある.GL-64.4~-66.0mの粘土にはシデライト(炭酸鉄)の斑点が見られる.粘土層と粘土層の間にはしばしばシルト層と細粒砂層と細互層が発達し,木葉化石や炭質物を含む.
柳川コア川副層のGL-70.3m以下は砂質である.砂質部分は中粒砂―粗粒砂層を主体としている.本層の砂質部分は筑紫平野の主要な帯水層である.下部の砂層中には5mm径の軽石を含んでいる.特にGL-77.2~-77.6mには軽石が密集している.軽石質白色火山灰の2次堆積物と見られる.そのオリジンを想定して,これを柳川テフラと呼ぶ.柳川テフラには,有色鉱物として黒雲母が多く,緑色角閃石のほか斜方輝石を含む.軽石は全て珪長質軽石型が占め,火山ガラスの屈折率は,1.4994~1.5005,斜方輝石の屈折率は1.694~1.702と1.703~1.710のバイモーダル,緑色角閃石の屈折率は1.679~1.690,斜長石の屈折率は1.541~1.562である.これらの特徴は,瀬高テフラ(富田ほか,2008)によく似ている.柳川テフラから抽出されたジルコンのFT年代値は0.39±0.09Maという値が得られた(第6.2表).この値は,「大牟田」地域内で得られた類似テフラである瀬高テフラの0.68±0.14Ma(富田ほか,2008)よりも1σを超えて若いように見える.しかし本地域周辺で得られた本テフラ類似の福富テフラの年代(0.6±0.3Ma佐賀県白石町福富),清里テフラの年代(0.67±0.09Ma荒尾市牛水)は瀬高テフラとほぼ同じ0.6~0.7Maを示している(第6.2表).本テフラの火山ガラスや斑晶鉱物の組成・屈折率などの特徴が瀬高テフラにほぼ一致することから,柳川テフラの年代も瀬高テフラの0.6~0.7Maに近いと考えられる.しかし年代がやや若い値を示した理由は不明である.
珪藻分析の結果,上部の固結粘土層から海棲珪藻のMelosira sulcataが高率で産出し,ほとんどが海産種(第9.7図,第9.8図)なので,内湾奥の海成粘性土層と考えられる.砂質部分には一部にマッドドレイプを伴うタイダライトが発達するので,河口域あるいは砂質干潟環境の堆積物と考えられる.川副層は複数の海進期を挟んでいると考えられるが,柳川テフラの上位の海成層は0.6~0.7Maの高海面期(ステージ15)に対比できる可能性がある.
本層中部シルト層の花粉分析の結果,ブナ属や温帯針葉樹が多く検出されることから,冷温帯下部の気候が推定され,この層準は現在よりかなり冷涼であったと推定される(第9.9図).

海棲種のみを表示.珪藻分析:文化財コンサルタント(株)

珪藻分析:文化財コンサルタント(株)

花粉分析:文化財コンサルタント(株)
本層は暗青灰色の粘土,シルト,暗オリーブ灰色の礫混じり砂層を主体とする非海成の地層である.柳川コアの砂層はしばしば酸化して,褐色を呈している.単層は横方向の延長性に乏しい.中原層は高木瀬層を挟んで下部と上部に分けられる.珪藻分析(第9.8図)の結果,中原層下部は淡水種が多いが,高木瀬層に近づくにつれて海棲種が多く混じるようになるので,河川河口域の堆積物と考えられる.一方,中原層上部の粘土層やシルト層にはMelosira sulcataやThalassiosira excentricaの海棲種が高率で産出するが,汽水種や淡水種も混じっている.しかし,貝化石が全く産しないほか,粘土層には植物の地下茎が認められる.また砂層や砂礫層が近隣のコアに比べてかなり厚い.したがって中原上部の粘土層は河口からの逆流浮泥堆積物を主体とする汽水堆積物と考えられ,砂層や砂礫層は河口域の洪水堆積物の可能性がある.中原層下部は海進期,中原層上部は高海面期の陸側堆積体と考えられる.
中原層上部の中部に粘土の薄層の花粉分析の結果,ブナ属や温帯針葉樹が多く検出されることから冷温帯下部の気候が推定され,この層準は現在よりかなり冷涼であったと推定される(第9.9図).
本層は暗緑灰色の粘土を主体とし,貝殻片を大量に混入する地層である.柳川コアの貝化石は,ほとんど大型のマガキ殻(スミノエガキタイプ)で占められていて,密集状に産することから,カキ礁を形成していた可能性がある.現在のマガキは有明海湾奥海域の,河口に近い潮間帯中部の泥底に群棲している.貝化石の外,底生有孔虫も検出されている.珪藻分析の結果,海水内湾種のMelosira sulcataがやや高率で,海水泥質干潟種のNitzschia punctataが低率で検出され,淡水産種が14%検出されている(第9.8図).貝と化石と珪藻分析の結果から,高木瀬層の堆積環境は真性海域であり,内湾奥の河口に面した泥質干潟と考えられる.高木瀬層基底部にスコリア質火山灰を含み,阿蘇-3火砕流起源と考えられる.高木瀬層は高海面期堆積体の一部であるが,阿蘇-4火砕流堆積物~阿蘇-3火砕流堆積物間の唯一の海成層なので,最終間氷期で最も海面が高かった時期であるステージ5e時期の海側堆積物と考えられる.
貝殻混じりシルト層の花粉分析の結果,アカガシ亜属が卓越し,暖温帯上部の気候が推定される.このことから,現在にくらべやや気温が低かったと推定される(第9.9図).
本層は黄灰色―灰色を呈する輝石角閃石デイサイト質の軽石質火山灰を主体とする非溶結性の火砕流堆積物である.最上部はやや風化してローム状を呈するが下部は新鮮な暗灰色ガラス質火山灰である.軽石もまじえる.角閃石,輝石,斜長石,磁鉄鉱を多く含み,鉱物組成と岩相上の特徴それに深度から隣接するコアの阿蘇-4テフラ(Aso-4)(火山ガラスの屈折率は1.507~1.513(平均1.508))に対比できる.
本層は暗褐色砂礫層を主体とし,細粒砂―中粒砂の薄層をまじえる.礫径は20~30mmが主体である.全体に酸化色を帯び,特に酸化が著しい部分は褐色を示す.礫種は主に結晶片岩,安山岩,花崗岩,石英などからなる.最下部のGL-14.7~-15.2mには軽石の円礫を含み,基質に砂礫のほか下位の阿蘇-4火砕流堆積物由来の火山灰を混じる.ラハール堆積物と考えられる.
本層は暗緑灰色貝殻混じり砂質粘土層を主体とし,粘土混じり砂層を挟む.貝殻は上部の,GL-3.7~-4.9mでは,マガキ,アゲマキガイ,テリザクラガイ,カワアイガイなどの潮間帯種が多く,最下部ではウミタケガイ,スミスシラゲガイなど潮下帯種が多い.
このほか,フジツボ殻やカニ爪の化石を産する.上部の珪藻分析の結果,内湾種群の代表種であるMelosira sulcataが高率を示すほか,内湾種群の主要構成種であるThalassiosira属も検出され,更に海水泥質干潟種群の標徴種であるNavicula marinaが検出された(第9.7図).貝化石と珪藻化石の結果は一致しており,海域である内湾泥質干潟での堆積を示唆する.
柳川コアの有明粘土層の堆積年代を明らかにするため,14C年代測定(AMS法)と火山ガラス含有ピーク層準が調べられた.GL-4.1mとGL-8.5mの木片試料の14C年代値は4,020±30y.BP(IAAA-81479)と,5,300±40y.BP(IAAA-81480)である.2σ最頻の暦年代較正値幅は,それぞれ2,020BC-2,470BCと4,239BC-4,038BCである.下限付近のGL-9.7m付近にはガラス質火山灰が濃集している.火山ガラスは色ガラスを含むバブルウォール型で,その屈折率は1.507~1.517(平均1.5107)であることから,アカホヤ火山灰(K-Ah)に由来すると考えられる.この結果は,本コアの有明粘土層に海進期堆積体部分をほとんど含まず,約7,300~4,500年前の期間に堆積した高海面期堆積体で占められていることを示唆している.
暗緑灰色粘土層を主体とし,上部に植物の根(アシの地下茎)や腐植物をまじえる.貝殻を全く含まず,最下部に粘土混じり砂の薄層がある.クロスラミナの発達する暗緑灰色細粒砂とシルトの細互層からなるタイダライトが見られる.最下部に礫混じりの薄い粗粒砂層が発達する.蓮池層上部の堆積環境は,タイダライトとアシの地下茎それにカニ巣穴生痕の存在から,河川下流の感潮域あるいは塩性湿地の汽水域が示唆される.一方,珪藻分析の結果は,内湾種群の代表種であるMelosira sulcataが高率を示すほか,内湾種群の主要構成種であるThalassiosira属も検出され,更に海水泥質干潟種群の標徴種であるNavicula marinaが検出されるため,海域である内湾泥質干潟での堆積を示唆する(第9.7図).珪藻分析の結果は植物化石や生痕の結果と矛盾する.しかし,現在の有明海奥部では大潮上げ潮時に,内湾水によって泥質干潟の泥が巻き上げられ浮泥となって河川内を逆流し,汽水―淡水環境で堆積するので,珪藻群集は,内湾種群や海水泥質干潟種群それに淡水種群が入りまじり,混合群集を形成している.六角川ではThalassiosira属を含む珪藻が河口から約30kmも上流の,淡水環境に堆積している(Shimoyama and Nishida,1999).珪藻分析の結果は,浮泥の堆積環境を含んでおり,蓮池層上部の堆積環境を汽水―淡水とした植物化石や生痕の結果と矛盾しない.
(下山正一)
筑紫平野から有明海にかけての重力図(森尻ほか,2001,2002から一部引用;第10.1図)では,有明海北岸の久留米市市街地から佐賀市街地を通り白石町に延びる,東北東―西南西方向の負のブーゲー異常域が認められる.一方この南側の大牟田市から鹿島市飯田にかけては,正のブーゲー異常の尾根が有明海をまたいで東―西方向に延び,更にその南には北西―南東方向の低重力の谷が認められる.重力図を第四系基盤の等深度線図(富田ほか,2008;第10.2図)と比較して見ると,第10.1図の負のブーゲー異常地域は基盤が深い場所にほぼ対応していることが読み取れる.大島(1977)は地下水などの深井戸のボーリング資料に基づいて第四紀層基盤の上限深度と基盤岩の種類を明らかにし,第四紀層は本地域南東部の柳川市北部付近で600m以上,同市南部で300mに達することを示した.一方有明海では三池炭田の石炭探査ボーリングと音響探査記録によって第四紀層基盤の上限深度が判明している(新エネルギー・産業技術総合開発機構,1992).ただ温泉・地下水深井戸と石炭探査ボーリングでは,第四紀層の部分がコアを採取しないボーリングであったため,岩相などの詳細と層序区分は不明である.しかし第四紀層基盤の上限深度については,これらの資料から編集して描くことができ,第10.2図が作成された.この図には有明海北岸から筑紫平野南部にかけて第四紀層基盤の大きな窪みが示されている.これは上記の負のブーゲー異常域の位置と調和的で,第四紀層が厚く堆積していることを裏付ける.また第四紀層の堆積盆地は大牟田市―鹿島市飯田の基盤岩の尾根状の高まりによって,南北に分離されている.北側の堆積盆地の基盤岩最深部は柳川付近に,南側の堆積盆地の基盤岩最深部は太良町大浦沖に存在し,それぞれ600m以上に達する.

森尻ほか(2001, 2002)より一部引用.ブーゲー異常が負異常の地域を地紋で示す(数値は mgal,仮定密度 2.3 g/cm3).
H:高重力異常域,L:低重力異常域.

本地域には位置と変位の向きが確実に認定された活断層(確実度I)は知られていない.活断層と推定されるもの(確実度II)と活断層の可能性があるリニアメント(確実度III)については,本研究と活断層研究会編(1980,1991),九州活構造研究会編(1989)及び中田・今泉編(2002)の研究を総合すると,第10.3図に示す①から④の断層が本地域北西部に東西系の断層群として分布していると考えられる.
①は九州活構造研究会編(1989)による都渡城―川久保断層群に属し,山地と平野の傾斜の変換線として現れるもので,佐賀市川上付近を通過する(確実度III).このリニアメントの西方延長地域(「武雄」地域)は男女神社付近とその南の今山―杉町を通る2条の確実度II~IIIの断層に続く(九州活構造研究会編,1989).
②は九州活構造研究会編(1989)による都渡城―川久保断層群に属し,佐賀市都渡城から川久保の北にかけての地域,及び帯隈山神籠石付近に見られるリニアメントである(確実度II~III).西部では佐賀花崗岩と三郡変成岩類の境界に,東部では山麓の三郡変成岩類と三田川層の境界付近に位置しているので,断層組織地形とも見なせる.佐賀市川久保の北西部ではリニアメントが直線状に連続し,解析扇状地面が切断されているように見えるが,変位地形はあまり明瞭なものではない(九州活構造研究会編,1989).ここには長崎自動車道路がほぼ平行して作られたため,現在では低断層崖を確認することができない.
③は中田・今泉編(2002)による無名の推定活断層で,本報告では城原断層と仮称する.城原断層は活断層研究会編(1980,1991)と九州活構造研究会編(1989)には示されておらず,中田・今泉編(2002)でも推定断層として地図上に位置のみが示されており,断層に関する記載がないため詳細は不明である.この場所では断層位置と見られる部分が低位段丘の縁を通っており,段丘の南縁が南落ちの低断層崖である可能性がある.
④は推定伏在活断層で本報告では久富断層と仮称する.久富断層は試錐資料(下山・松本ほか,1994)によって,地下の阿蘇-4火砕流堆積物と三田川層(低位段丘堆積物)が,この位置で北に比べて南側が急に大きく沈んでいる(地質図の断面図参照)ことから,これらの地層を切る断層が伏在していると考えられる.

①:九州活構造研究会編(1989)による都渡城-川久保断層群の D(確実度 III)
②:同じく都渡城-川久保断層群の A,Ca,Cb,Cc(A,Ca,Cb:確実度 III,Cc:確実度 II)
③:中田・今泉編(2002)による無名の推定活断層(本報告では城原断層と仮称)
④:推定伏在活断層(本報告では久富断層と仮称)
本地域を含む福岡県筑後地域から佐賀県の被害地震について,宇佐美(2003),活断層研究会編(1980,1991)及び九州活構造研究会編(1989)によって記述する.本地域内で発生した地震としては1831年11月14日(日付は新暦に換算)に佐賀市南部の有明海北部沿岸のほぼ直下で発生した推定マグニチュード6.1の地震がある.この地震で佐賀城の石垣が崩れ,武家屋敷や民家が潰れたり破損したりする被害があった.また1848年1月10日には福岡県大川市南東で推定マグニチュード5.9の地震があり,柳川市で家屋倒壊などの被害があった.一方震源地が本地域から離れた地震によっても,揺れや有明海の津波によって本地域内で被害が発生している.周辺地域に震源を持つ被害地震としては,飛鳥時代(679年)の筑紫地震(水縄山地付近か?)や,1792年5月21日に眉山崩壊で津波被害(佐賀領内死者17名,蓮池領内死者1名)を引き起こした雲仙岳付近の地震,1899年7月28日の熊本地震(マグニチュード6.3,柳川付近で家屋倒壊)などの例がある.最近では2005年3月20日の福岡県西方沖地震(マグニチュード7.0)の時に,佐賀県みやき町北茂安で周辺地域よりも大きく揺れ,震源に近い福岡市と同じ震度6弱を記録した(気象庁,2005).
佐賀市久富の巨勢川調整池では,埋蔵文化財発掘中に調整池内の地層(蓮池層上部)に液状化と流動化に伴う脱水変形と見られる構造がいくつか検出された.第10.4図(佐賀市教育委員会,2009)はその1つで,粘土層に下位の砂層から砂脈が貫入している様子が観察された.その下の砂層も液状化により変形している.蓮池層上部の堆積年代は約7,300年前なので,それ以降に地震の強い揺れによって砂脈が生じたと考えられる.この地震を起こした震源断層は不明である.

(日野剛徳)
有明海沿岸低平地域の表層軟弱粘土層を対象とした最初の地盤工学的立場からの研究は,「有明海・不知火の第四系」(有明海研究グループ,1965)に遡ることができる.また鬼塚(1982)による「有明粘土」(「九州・沖縄の特殊土」所収;山内監修)が軟弱粘土層研究を発展させた.これらの資料は1980年代前半までに行われた先導的な研究である.有明海沿岸における表層軟弱粘土層の地盤環境に関する研究には,大坪らによる一連の研究(大坪ほか,1987など)がある.この研究は,有明粘土に認められる高鋭敏性の成因に塩分溶脱現象の影響による視点をもたらした点で先駆的であり,後の有明粘土の物理化学的性質に関する研究の端緒となった.
他方,1980年代前半までの有明海沿岸低平地域の表層軟弱粘土層に関する地盤工学的研究は個別的な取り組みのみであり,定性的であった.1980年代中頃からは佐賀大学理工学部建設系学科(現,佐賀大学理工学部都市工学科)の三浦ほかがこの視点を改め,地盤工学的課題の定量的研究の方向に導いた.このほか,国の機関・自治体や民間の技術者と研究者で構成された低平地防災技術研究会(1984年発足)による組織横断的な活動もその後の定量的研究に弾みをつけた.これらの活動は,後に佐賀大学低平地防災研究センターの設立を促した.同センターは,有明海沿岸低平地域の表層軟弱粘土層研究を中心として現在まで引き継がれている.
以上のように培われてきた表層軟弱粘土層の地盤工学及び地盤環境に関する研究は,1990年代中頃に地質学的見地から指摘された地層の堆積環境の違いを区別することによって,新たな展開を迎えた.土質工学会の「堆積環境が土質特性に及ぼす影響に関する研究委員会」(1992~1995;現在の地盤工学会)の九州地区部会において,それまでは一様な海成粘土層とされてきた有明粘土層(有明海研究グループ,1965)が,地質学的研究により海成の有明粘土層と非海成の蓮池層に区分された.この成果は下山・松本ほか(1994)によって発表された.その後,土質工学会・堆積環境が地盤特性に及ぼす影響に関する研究委員会(1995)において,海成の有明粘土層と非海成の蓮池層に区分されたことの地盤工学的な重要性が認識された.また有明粘土層と蓮池層を併せて完新統と呼ぶことも明確化されたので,本章における以後の表層軟弱粘土層は完新統として記述する.このような地層の認識法の進展によって,表層軟弱粘土層においてこれまでは不明であったいくつかの地盤工学的・地盤環境的課題は解決が図られた(三浦ほか,1996).更に,既往の見解が覆される結果も生じている(八谷ほか,2002).このように有明海沿岸低平地における表層軟弱粘土層の地盤工学的・地盤環境的課題の解決策として一定の成果は挙げられたが,残された課題も多く,表層軟弱粘土層研究を巡る混沌とした状態は今でも続いている.
本章では,本地域と周辺の代表的な完新統ボーリングコア試料についての工学的諸特性を取り上げ,地層の堆積環境の理解に基づく完新統の地盤環境の変遷がその土質特性に及ぼす影響について述べる.
有明海沿岸低平地では,第四紀層の地盤環境は地層が堆積した当時のまま現在に至っているのではなく,現在の地盤環境は堆積当初の環境から変化していて,両者の間にギャップが生じていることが少なくない.例えば現在陸域にある有明粘土層はもともと海底で海水を含んだまま堆積した海成層であるが,現在は雨水の浸透や下位層からの揚水の影響で,有明粘土層中の地下水が淡水ないし低塩分環境となっていることがある.逆に淡水環境で堆積した陸成の三田川層から高塩分の地下水が得られる場合もある(三浦ほか,1996:八谷ほか,2002).このような二次的な地盤環境の変化は,地盤の高鋭敏性化,高圧縮性化,軟弱化等の地盤劣化を引き起こす要因になると考えられるが,そのメカニズムは解明の途上にある(日野,2007).また,最近の研究では井戸の掘削に伴う地下水流動の変化や過剰揚水に伴って,もとは還元環境であった地層がかなりの深さのところでも酸化されている事例も見出されている(国土交通省九州地方整備局佐賀河川総合開発工事事務所,2007).本章ではこの現象を地下風化と呼ぶことにし,具体的な事例については後述する.
第9.1図に,本研究で研究対象とした産総研柳川コア,南里コア,嘉瀬コア及び川副コアの掘削位置を示す.各コアの調査は古い順に,川副コア(80m級オールコア及び代表的な粘土層からのシンウォールサンプリング,1993年),南里コア(30m級オールコア及び完新統における1m間隔毎のシンウォールサンプリング,1994年),嘉瀬コア(50m級オールコア及び完新統における1m間隔毎のシンウォールサンプリング,2003年),産総研柳川コア(80m級オールコア及び完新統における連続シンウォールサンプリング,2008年)である.以下に筑紫平野の各地で掘削されたボーリングコア試料について,土質試験を行って得られた結果をコア別に記述する.
本ボーリングではオールコア(標準貫入試験を伴わず欠損部分のない連続ボーリングコア)試料を採取した.オールコアの掘削に際しては,掘削後の1m試料を直ちにコアパックに封入して風化を防ぎ,試験室に持ち帰って20℃の恒温室で保管した.しかる後にコアパックに切り込みを入れ,ワイヤーソーやカッターを用いてコアを半割りし,この中心部分を用いて岩相,混入物,色調観察及び酸化還元電位(ORP)の測定を直ちに行った.更に火山灰層,放射性炭素年代,生物必須元素(TOC,TN,TS),pH及び塩濃度の各試料を風化しないうちに早急に分取し,写真撮影の後,それらの迅速な分析を行った.
上記の方法で復元された産総研柳川コアの完新統を中心とした堆積当初の環境を第11.1図に示す.当該コアは地下から地表にかけて粘土層・砂層の互層状,あるいはこれらの混じり合う地層による複雑な地層構成になっている.表層部分の軟弱粘土層は岩相及び貝殻の含有の有無を根拠として(下山・松本ほか,1994;下山,1996),地下から地表にかけて海成の有明粘土層(aAc)及び非海成の蓮池層上部(aHu)に区分され,両者を併せて完新統に区分された.また,有明粘土層の下位の地層は非海成の更新統に属する三田川層(dM)に区分された.有明粘土層の堆積当時の水深は,混入物の箇所に記載される種々の貝殻の種類から潮間帯中部から下部の環境(現在の有明海における干潟の環境)であったと考えられ,当時の粘土・砂等の堆積する場は潮流が卓越あるいは停滞する著しい変化を伴う環境であったと考えられる.
有明粘土層に認められる種々の貝殻は,現在も有明海の各水深環境で生息する海棲貝類のものである.第11.2図に有明海の観測定点(8地点)におけるNaCl濃度の測定結果を示す(佐賀県,1975-1996;辻ほか,1998).同図において,近年の有明海沿岸低平地域では大洪水(1990年)と大渇水(1994年)に見舞われている.当該検討の結果から,有明海では観測定点の違いに伴う傾向の違いこそあるが,塩濃度の値は平均20g/lを下回っていない.更に今日の有明海における6m以上の最大干満差,反時計回りの潮流などの海象は,8,000年前から生じていたと考えられている(下山,1996).これらのことから,有明粘土層が海棲貝類の貝殻を含有することは,当該地層を取り巻く堆積当初の水環境は少なくとも20g/l以上の海水環境にあったと解釈でき,今日の有明粘土層における間隙水の塩濃度が20g/lを下回っている場合は塩分溶脱現象が生じていると判断される.


佐賀県(1975–1996),辻ほか(1998).
第11.1図には層準毎に生物必須元素(有機態炭素・窒素・硫黄),C/N比,酸化還元電位(ORP),pH及び塩濃度を併記した.堆積物中の生物必須元素について,全有機態炭素(TOC)は堆積時に分解しやすい成分が既に失われていると考えられるため,地層における保存性成分とみなすことができる.全窒素(TN)は分解が進行するとその一部がアンモニア態となり,地下水とともに溶出して失われるか,あるいは外部から供給される場合がある.全硫黄(TS)は地盤環境の酸化還元環境が酸化側に傾けば,一部が酸化態の可溶性硫酸へと変化し減少する可能性がある.C/N比(全有機態炭素と全窒素の比)は有機物の起源推定に用いられる指標であり,プランクトン等の水生生物に由来する有機物はC/N比<9の関係を示し,陸上高等生物に由来するものはC/N比>10の関係を示すことが知られている(Meyers,1994).
全有機態炭素について,現在の有明海における粘性土堆積物の値は概ね0.8重量%示す(日野・下山ほか,2005)のに対し,有明粘土層の下端ではその結果を上回り1.1重量%の値を示した.全窒素については有明粘土層全体で0.1重量%未満の定量下限値を示し,C/N比としての計算が不可能であった.
他方,酸化還元電位(ORP)については有明粘土層の下端に認められる-200~-300mV程度の還元状態を除き,地表に向かうにつれて0~+200mV程度の酸化状態を示し,pHについては地表に向かうほどに9程度の弱アルカリ性から6程度の酸性側に傾き,塩濃度については全層を通じて2g/l以下の強い塩分溶脱現象が生じていることが確認された.
生物必須元素やC/N比は土・水系における土の固体分に関わる性質として,塩濃度・pH・酸化還元電位は液体分に関わる性質として見なせる.後述する嘉瀬コアにおいては,復元された堆積当初の環境と酸化還元電位・pH・塩濃度等の液体分からなる性質による地盤環境との間でギャップが認められたが,固体分からなる性質との間では明瞭なギャップは確認できていない.これらのことから,塩分溶脱等の二次的な地盤環境の変化はまず液体分からなる性質に現れること,嘉瀬コアについては二次的な地盤環境の変化の始まりにあると考えられること,などの見解を導いている(日野・下山ほか,2005).このような見解に対し,産総研柳川コアの場合は生物必須元素からORPに至る全ての数値で著しい変化を示しており,二次的な地盤環境の変化が強く進んでいると判断される.同様の事例は筑後川以西の有明海沿岸低平地域・白石地区の須古に広がる山系裾野の低平地部にわずかに確認できているのみで(八谷ほか,2002),沿岸部ではほとんど確認されておらず(日野ほか,2009),柳川地域の完新統堆積物が佐賀県側と著しい差異を持つことが明らかになった点で注目される.
酸化還元電位について,現在の有明海潮間帯域に堆積する浮泥・底泥(有明粘土層の堆積当初の環境)の値は,表層数cmを掘り下げると直ちに-100~-200mVの還元状態を示す(日野,2003).有明粘土層はこのような浮泥・底泥の累重に伴い大気との接触から遠ざかる形で形成されるものであり,地層形成後も堆積当初の環境をとどめている場合はなおも還元状態にあると考えられる.今回の調査では酸化環境を示す0~+200mVの値を示しているところがあり,粘性土層は低透水性のため地盤環境の変化は小さいというこれまでの定説を覆すような結果が得られた.
第11.3図には,土質試験結果から鋭敏性と圧縮性に関するデータをまとめた.有明粘土層(aAc)における複雑な地層構成は粒度組成の結果にも現れており,G.L.8m付近を境として砂質土に富む層と粘性土に富む層に区分できる.蓮池層上部(aHu)は有明海と河川との間の大きな潮位差のもとで生じる分級作用を受けて堆積した地層で(下山・松本ほか,1994;下山ほか,1996),粘土分主体の均質性は有明海沿岸低平地域において典型的なものであり,特筆すべき特徴は認められない.
自然含水比(wn)(=土中の水分の重さ(g)/土の乾燥重さ(g)×100(%):JIS A 1203),液性限界(wL)(土の液状から塑性状の変化点を示す含水比:JIS A 1209)及び塑性限界(wp)(土の塑性状から半固体上の変化点を示す含水比:JIS A 1209)からなるコンシステンシー特性の観点から,完新統全体として自然含水比が液性限界を上回り液性指数(IL)(=(wn-wp)/(wL-wp))は1を超えている.つまり,液性限界の結果として示される土固有の保水能力を上回る水分量(自然含水比)が含まれていることを意味しており(嘉門・浅川,1988),このような場合の土にあっては乱さない状態では固形的な様相を示しても,乱せばたちどころに液状的様相と化す特性を有していることになる.
鋭敏比(St)について,乱さない試料の場合は一軸圧縮試験(JIS A 1216)を用い,同一試料を乱した場合は室内ベーンせん断試験(試料作製はJGS 0821-2000に準ずる,D=2cm,H=4cmの4枚羽根,回転速度=6°/min:地盤工学会,2000a)を用いてそれぞれの強さを求め,St=非排水せん断強さ(cu)(=一軸圧縮強さqu/2)/練返し強さ(cur)として値を求めている.鋭敏比は有明粘土層では10~50の値を示し,特にG.L.8m以深では100~300の値を得た(第11.3図).この数値は筑後川以西の有明海沿岸低平地域においては,大坪らによる一連の研究(大坪ほか,1987)以降では後述する南里コアで200程度の値が確認されたのが最大であるが(北村ほか,2008),それを凌駕するものがあることが明らかになった.すなわち産総研柳川コアでは地下の有明粘土層の鋭敏性が大きいという点においても,筑後川以西の地域とは大きく異なる特徴が認められた.筑後川以西のコアについては後述する.
圧縮指数(Cc)は,土の圧密試験(JIS A 1217)による間隙比(e)-載荷荷重log p(kN/m2)の関係からなる曲線(第11.12図Bなど)の最急勾配部を求めることで導いている.産総研柳川コアの圧縮指数は有明粘土層の砂分優勢な深さの値は0.5程度であるが,高鋭敏性を示すG.L.8m以深では2程度の値を示し,高圧縮性を示している.他方,圧縮指数に関する同様の傾向は蓮池層上部にも認められるが,蓮池層上部の場合は液性指数や鋭敏比はノーマルに近いものであり,粘土分含有量のみがこれらの数値に関与する理論どおりの挙動が推定でき,解析不能な問題にならないと考えられる.むしろ有明粘土層の下部に認められる高鋭敏性・高圧縮性による地盤の挙動は複雑で,軟弱地盤対策に際し力学条件を見誤れば沈下・変形に関する予測が大きく変動する危険性を秘めており,これを回避するための適切な評価が求められることになる.

第11.4図に,南里コアにおける堆積当初の環境の復元と現在の地盤環境の対比を示す.南里コアでは800mにわたる試験道路工区の内,600mの距離幅を伴うI工区(No.1地点)及びIII工区(No.6地点)(三浦ほか,2000)から得られた2つのオールコア及び1m間隔毎シンウォールサンプリングを用い,前者をA地点,後者をF地点として検討した.
南里コアの完新統は下位から非海成の蓮池層下部(aH1),海成の有明粘土層下部・中部・上部(aAc3・aAc2・aAc1)及び非海成の蓮池層上部(aHu)からなる.有明粘土層にはG.L.10m付近とG.L.5m付近に砂層(aAs2とaAs1)が挟在している.このような地層構成は筑後川以西・嘉瀬川以東の佐賀地区で典型的に認められる(吉岡ほか,1994).前者の水平連続性は乏しく後者はそれに富むが,両層ともに後述する嘉瀬コアの掘削位置付近で途切れる(日野ほか,2008).更に,これらのコアにおける鬼界-アカホヤ火山灰の層準はほぼAs2層の深さに相当して堆積していることが明らかにされている(下山ほか,1996).
pHは蓮池層上部では3~5の酸性の値を示し,有明粘土層ではaAc3層中のG.L.12m程度まではほぼ8程度で海水相当の弱アルカリ性を示し,これ以深の有明粘土層及び蓮池層下部では5~8の幅広い値を示している.塩濃度については地表から地下に向かって増加傾向の垂直分布を示し,有明粘土層中の値は2~15g/l,蓮池層下部では高いもので15g/lの値が得られている.
南里コア(F地点)で特徴的なことは,海成の有明粘土層よりも非海成の蓮池層下部のほうが塩濃度の値が高いという,現在の地盤環境が堆積時の環境から変化したことが確認されたことである.この事実は南里コア近傍で以前に掘削された川副コアですでに検出されていたが,南里コアでの再確認によって疑えないことがはっきりした.これによって有明粘土層に認められる塩分溶脱に伴う高鋭敏性の発現メカニズムについて,人為的な揚水に伴う地下水の鉛直方向の流動の影響が初めて指摘された(三浦ほか,1996).

南里コアA地点の鋭敏性と圧縮性を第11.5図Aに,F地点の結果を第11.5図Bに示す.三浦ほか(1996)は既にこの地域の粘性土について以下の指摘をしている.
鋭敏比(St)はA・F両地点ともに練返し強さが最も小さい有明粘土層中のaAc1層で最も大きい200程度の,下位のaAc2層においては50~80程度の値が認められ,その下位では更に小さくなり,地下に向かって減少する傾向を示す(第11.5図A,B).圧縮指数(Cc)はF地点における有明粘土層中のaAc2層で2.3程度の高い値が認められ,典型的な高鋭敏性・高圧縮性地盤としての性質を示している.


第11.6図に,嘉瀬コアの完新統を中心とした堆積当初の環境の復元結果を示す.嘉瀬コアの完新統は下位から,非海成の蓮池層下部(aHl),海成の有明粘土層(aAc),非海成の蓮池層上部(aHu)に区分され,非海成の上部更新統三田川層(dM)に重なる.有明粘土層に含まれる貝の種構成が示す海の水深は,下位から潮間帯(いわゆる干潟の環境),潮下帯(いわゆる海底地盤の環境),潮間帯低潮亜帯と推移し,鬼界-アカホヤ火山灰の層準(G.L.9.0m)と縄文海進時における最大氾濫面とは3m程度離れている(第11.6図).嘉瀬コアの完新統の岩相は均質で,南東側に位置する産総研柳川コアとは大きく異なり,完新統の岩相は均質である.これは,嘉瀬コアの位置が当時の粘土・砂等の堆積する場のうち,粘土が集中する古有明海の最奥部領域にあったためと考えられる(下山,1996).G.L.2m付近及び7.5m付近に薄く認められる2層の砂層の存在は潮流に伴うラグ堆積物であり,南里コアの有明粘土層中に示したaAs1層及びaAs2層に相当するものと考えられる.

第11.6図に層準別の生物必須元素,C/N比,酸化還元電位(ORP),pH及び塩濃度を示す.生物必須元素の全硫黄(TS)は有明粘土層下部付近に得られている値で標準的な0.2重量%程度であり,減少した傾向は認められない.一方,全有機態炭素濃度(TOC)については有明粘土層中において下方に減少する傾向にあるが,概ね0.8重量%程度の値を示すものであり,現在の有明海における粘土質堆積物と同程度である.全窒素(TN)も有明粘土層を通じて変化せず,C/N比は10程度の値を示した.均質な有明粘土層が堆積している間,有機物の供給メカニズムが変わったとは考えにくい.窒素についても有明粘土層からの溶脱,あるいは外部から供給された可能性は低い.以上のことから,生物必須元素及びC/Nの視点によれば,有明粘土層における著しい地盤環境の変化は生じていないことが示された.
酸化還元電位(ORP)について,有明粘土層の中心付近では-300~-400mVのやや顕著な還元状態の値が得られているが,これより地表と地下に向かって還元状態が弱まり,酸化状態に近づく傾向が認められる.
pHについて,有明粘土層ではほぼ全層にかけて弱アルカリ性にあるが,塩分溶脱の程度が著しいところでは最も値が高く,9程度の値を示している.蓮池層上部では7~8程度と有明粘土層よりも低い値を示す.
塩濃度について,まず垂直分布は塩分溶脱現象を示している.塩濃度が地表から地下にかけて増加する傾向は,前述の南里コアと同様に嘉瀬川以東の佐賀地区における典型的な例である.かつ,このような傾向は有限要素法(FEM)を用いた1次元拡散解析の観点からも説明がついていない(Sakamoto et al.,2006).塩濃度のみに限れば,鬼界-アカホヤ火山灰(K-Ah)層準付近の有明粘土層は堆積当初の環境をとどめているか,あるいは変化がまだ極めて小さいと判断される.これより上位の有明粘土層は塩分溶脱が著しい.以上のことから,塩分溶脱等の二次的な地盤環境の変化はまず液体分からなる性質に現れ,嘉瀬コアでは二次的な地盤環境の変化の始まりにあると考えられる(日野・下山ほか,2005).
第11.7図に嘉瀬コアにおける完新統の鋭敏性と圧縮性を示す.これらの値は蓮池層上部と有明粘土層の違いを問わずほぼ均質である.嘉瀬コアの蓮池層下部は砂質土的であるが,嘉瀬コア掘削位置から西に向かうにつれて粘性土が優勢なものも現れるなど,地域によって層相が変化することに注意しておく必要がある(日野ほか,2008).
嘉瀬コアでも自然含水比(wn),液性限界(wL)及び塑性限界(wp)からなるコンシステンシー特性の観点から,完新統全体として自然含水比が液性限界を上回り,液性指数(IL)は1を超えている.他方鋭敏比(St)の値は20を下回っており(第11.7図),産総研柳川コアや南里コアの有明粘土層に比べると高鋭敏性はかなり小さいといえる.圧縮指数(Cc)は最大で2.5程度のものを示し高圧縮性にあるが,IL,Stの性質にも照らしてノーマルに近いものであり,粘土分が優勢であることのみが関与し理論どおりの地盤の挙動が推定できるため,嘉瀬コア周辺の完新統に関して問題が発生する可能性は小さいと考えられる.

前節で各コアについて述べてきたように,酸化還元電位は完新統の地表及び地下に向かうにつれて地層が還元状態から酸化状態に移り変わる傾向が認められる.同様の傾向は,嘉瀬コア以西の地区でも数多く確認されている(日野ほか,2009).
第11.8図は,川副コアを用いて酸化還元電位(ORP),pH,塩濃度等を測定した結果である(三浦ほか,1996).同図に示すように,有明粘土層において鬼界-アカホヤ火山灰の上下の地層で酸化還元電位がプラスの値を示すところがあり,コアのその部分は著しく酸化し赤褐色を帯びていた.この調査結果が以後の完新統に認められるユニークな酸化還元電位の垂直分布を求めるきっかけとなり,今日のオールコア解析では酸化還元電位の測定が必須の調査項目になった.

第11.9図は,産総研柳川コア全体(80m)の層序区分と生物必須元素等の測定結果を示したものである.G.L.50m付近には,海生の貝化石を含む海成後期更新統の高木瀬層(dT)が確認されており,生物必須元素の全有機態炭素(TOC)は2.2重量%,全窒素(TN)は0.1重量%の定量下限値未満を示し,深部の地層でありながら酸化還元電位(ORP)は-100mVとプラス側に傾いており,pHは7程度,塩濃度は6g/l(ただし掘削後106日経過試料の値)より小さいなど,二次的な地盤環境の変化が著しい.また,同図右端に酸化層(灰色)として示しているように,今回の調査から数層の砂礫層には二次的に褐色化して著しい酸化状態にある層準を挟むことが確認された(裏表紙参照).これは,筑後川以西の有明海沿岸低平地域におけるボーリングコアと比較すると,極めてユニークな特徴といえる.
第11.10図A,Bに,産総研柳川コアから分取し,掘削直後,106日経過後,更に過酸化水素水処理(地盤工学会,2000b)した各試料のpHの深さ分布を示す.これらの結果から,海成層である有明粘土層(aAc)及び高木瀬層(dT)を挟む上下の地層には,潜在的に強酸性に傾く傾向を有していることがわかった.この原因の一つにはこれらの海成層に含まれる生物起源黄鉄鉱(FeS2:第11.11図)が還元環境から酸化環境に変化した際に,硫酸を溶脱した可能性が挙げられる(根上ほか,2003).酸素に富む水が問題の砂礫層群に流入しているなら,海成層群のpHは第11.10図Aに認められるように,まるで地下から地表に向けての風化による酸性化をたどると考えられることから,今後はアルカリ性下で強度を発現する深層混合処理工法やセメント杭などの軟弱地盤対策に及ぼす影響の究明が課題になると考えられる.地下から地表に向けて生じる地盤環境の変化のことを,以下地下風化と呼ぶ.




Biogenic pyrite:生物起源黄鉄鉱,Diatom remains:海生珪藻の破片
第11.12図A,Bに産総研柳川コアの完新統における土木設計に必要な地盤の諸特性を表す値(設計定数)を示す.第11.12図Aには,コンシステンシー特性(自然含水比(wn),液性限界(wL),塑性限界(wp):),湿潤密度(ρt)(=円柱状湿潤試料の重さ(g)/円柱状湿潤試料の体積(cm3):JIS A 1225・JIS A 1224),間隙比(e)(土粒子の密度(ρs図はρt)(JIS A 1202):自然含水比及び湿潤密度の各値を用いて計算により算出),非排水せん断強さ(c)(一軸圧縮試験(qu):前述,c=qu/2)及び圧密係数(cv)(土の圧密試験(JIS A 1217)における圧密係数―平均圧密圧力の関係において,圧密降伏応力(pc)以降の正規圧密領域における平均値から算出)の各土質特性は,軟弱地盤対策に際し主として概略設計に必要な定数として用いられるものである.第11.12図BBに示す間隙比(e)―圧密圧力(p)関係は,沈下量の算定に際して必要となる.詳細設計の際には更に土の三軸圧縮試験(JGS 0520~0524)などの値も加えられる.
第11.12図Aにおいて,G.L.8m付近を境に各土質特性が階段状に変化すること,またG.L.4m付近では地層区分に違いが認められること,などのことから,産総研柳川コアが概略設計に供される場合は上記の各深さをもとに完新統を3つに区分することで設計精度は向上すると考えられる.
第11.13図A,Bは,南里コアの掘削位置に近接する国による有明海沿岸道路(大川佐賀道路)の建設予定地(佐賀県,2007)の地下を対象に求めた概略設計に供する設計定数である(日野・林ほか,2005).佐賀県における国の有明海沿岸道路は筑後川以西―嘉瀬川以東の佐賀地区に建設される約10kmの地域高規格道路であり,当該予定地の地下の土質特性は第11.13図Aに示すように,ばらつきとともにG.L.10m付近を境にして階段状の垂直分布を示す傾向が認められる.このようなばらつきが認められるのは,前述した有明海の海象に伴い砂泥質干潟が発達する沿岸の上流域にあたることにもより,当時の粘土・砂等の堆積する場は潮流が卓越する著しい動的環境であったためと考えられる(下山ほか,1996).また,南里コアで述べたように,佐賀地区では完新統中に水平連続性の乏しいaAs1層及び水平連続性に富むaAs2層の2層の砂層を含むこと,完新統全体として不均質地盤であることなどに注意して軟弱地盤対策に臨む必要がある.
第11.14図A,Bは,嘉瀬コアの完新統における設計定数を示したものである.有明海湾奥部に認められる反時計回りの潮流に符合するように,産総研柳川コア,佐賀地区と有明海沿岸低平地域を西側に巡ってくるにつれて設計定数が均質な垂直分布を示す傾向が見受けられる.第11.14図Aの結果は,G.L.2m付近の蓮池層上部(aHc)と有明粘土質(aAc)に区分を設けて概略設計に供するのが工学的判断としての共感も得やすいと考えられるが,細かく見るとG.L.7m付近にもう一つの区分が設けられる可能性がある.

wn:自然含水比,wL:液性限界,wP:塑性限界,ρt:湿潤密度,e:間隙比,c:非排水せん断強さ,cv:圧密係数





本地域範囲からは外れるが,嘉瀬川以西の有明海北西岸低平地域では,第11.15図に示す佐賀県政による有明海沿岸道路(佐賀福富道路)の建設が進められており,以上までの検討の視点を伴う多数のボーリング調査が進められている(日野ほか,2009).第11.16図は,有明海沿岸道路(佐賀福富道路及び福富鹿島道路)における最近のボーリング状況を示したものである.これは,筆者の研究室で管理している2008年度現在のデータを平面的にプロットしたものであるが,全てを収集し切れておらず,今後更に数量が増加する.現時点での状況のもとで説明を進めると,ボーリングは平成14年度から河川域周辺を中心に開始されており,平成19年度までのほぼ秋から冬の期間に50m級基準ボーリングが約2.5km間隔で6地点,これを縫う形で30m級ボーリング(内2地点分は後に基準ボーリング化)が約500m間隔の22地点実施されている.第11.15図に示す有明海沿岸道路(佐賀福富道路)の6本の基準ボーリング結果を用いて
について検討し,一覧表として取りまとめた.*印が多い地区ほど既往の軟弱地盤対策技術にプラスアルファの技術力が求められる可能性を示している.これらの検討はいまだ定性的見解を導くまでにとどまっており,今後定量的見解に発展させる必要がある.






佐賀県(1974-1996)
(日野剛徳・松浦浩久)
地下水の揚水に起因する地盤沈下は,単純には次のようなメカニズムで説明される.地下水位の低下に伴い,元の地下水位よりも下位にあった地層の浮力が消失し,この浮力を失った地層の荷重が新たな外力となって地層に作用し,粘性土層にあっては圧密(砂礫層にあってはわずかながら圧縮)が生じ,結果として地表面の沈下となって現れる.地下水位が回復した場合でも,一般的な粘性土の膨張量は圧密量の1/10程度以下との弾塑性挙動のため,沈下量の復活までは補えない.従って地盤は沈下方向のみ累積的に進行することになる(地盤工学会,1999).
地盤工学ハンドブック(地盤工学会,1999)では,完新統における地盤環境の変遷がその土質特性に及ぼす影響について既に論じられているが,今後はこれを地盤沈下のメカニズムに定量的に組み込むことが新たな課題といえる.特に地球温暖化に伴う海面上昇が懸念される今日では,地下水の塩水化の進行に関する懸念も生じることになり,結果として土質特性にどのような変化が生じ,地盤沈下に影響を及ぼすことになるのかを見極める必要がある.最近金田ほか(2003)は,仮想の自然堆積地盤を対象に,水~土連成弾塑性計算により地下水位低下に起因する地盤沈下のメカニズムを探る研究を進め,以下の興味深い3点を指摘した.
1) 地下水位低下があるレベルを超えると,遅れ大沈下が認められる.これは土の構造の喪失に起因する塑性圧縮軟化による過剰間隙水圧の上昇によるものである.
2) 1次元多層系地盤では,地盤深部の粘土層にも遅れ大沈下を引き起こし,数100年にわたって沈下を続ける可能性がある.
3) 地下水位の低下履歴がある地盤は乱され,新たな荷重に対して脆弱になっている可能性がある.
以上のような物理化学的な視点と,後述する力学的な視点による地盤沈下のメカニズムへのアプローチは,相互に密接にリンクするべきものであり,さらに第四紀地質学が両者の根幹を支えるものとして重要である.
筑後川以西の佐賀・白石地区における地盤沈下の概況は,佐賀県発行の「地盤沈下の概況」シリーズ集に詳しく報告されている.佐賀県(2009)による代表的な水準点での1971-2009(S46-H19)年度の地盤沈下等量線図(第12.1図A)と沈下量経年変化(第12.1図B)を見ると,1957年度に観測が開始されて以降の累積最大沈下量は白石町における124cmで,1971年度以降の累積地盤沈下面積は329km2に及んでいる.近年では大渇水の1994(H6)年度に地下水の揚水量が増加し,年間最大沈下量,1cm以上の地盤沈下面積ともに観測史上最大値を記録した.
第12.2図Aに示すように,1974(昭和49)年7月の佐賀県公害防止条例(現,環境の保全と創造に関する条例)による地下水揚水の規制以降,佐賀・白石地区では地下水揚水量が大幅に減少している.第12.2図Bに示すように,白石地区(佐賀県六角川以西の低平地域)でも2001(平成13)年4月から佐賀西部広域水道用水の供給が開始されたことに伴い,地下水揚水量は大幅に減少している.
以上のように佐賀・白石地区では地盤は沈下する一方であるが,その速度の変化が揚水量の変化に対応することから,地盤沈下のメカニズムは地下水揚水によって地層粒子の間隙水が失われ,地層の圧密が進行することによるものと理解される.

佐賀県(2009)から佐賀・白石地区を切り出し,縮尺と沈下量の数字を拡大した.数値は累積沈下量で,単位は cm.



ここで述べる筑後地区(筑後平野)とは,有明海沿岸低平地域(筑紫平野)のうち,本地域中央部を流れる筑後川以東の地域を指す(第1.2図).
筑後地域の地盤沈下については,鬼塚・根上(2006)が詳細な検討を行った.九州農政局計画部資源課(1988)による筑後地区における1973-1987年の14年間の累積沈下量の等量線(第12.3図)には,大牟田市三池と大和干拓の海岸線沿いの矢部川河口を挟む地域に最も地盤沈下が大きい地域が見られ,大和干拓では約103cmに達する(鬼塚・根上,2006).また橋本干拓と明治開でも40cmほどの沈下が認められる.次いで1985-2001年の16年間の資料(第12.4図;福岡県筑後農林事務所,2000-2004)では,1973-1987年に最も沈下の著しかった矢部川河口を挟む地域では累積沈下量が10cm程度に減速しているが,北西に数キロ離れた明治開付近では累積沈下量が大きくなり,95cmを超えている.ところが,2001-2002年の1年間における地盤の変動の資料(第12.5図;福岡県筑後農林事務所,2000-2004)では,大和干拓,橋本,明治開干拓など海岸に近い所では反対に隆起を示し,最大で6~7cmに達している(鬼塚・根上,2006).このように,大和干拓では1996年頃から,橋本,明治開干拓では1999年頃から以前の沈下とは逆の隆起が続いている.橋本,明治開干拓の地盤隆起は2001年がピークであり,2004年頃には隆起量は小さくなったもののなお隆起傾向は続いている(鬼塚・根上,2006).
鬼塚・根上(2006)は矢部川河口を挟む狭い地域における地盤沈下から地盤隆起への変化のうち,地盤沈下については水利用のための第四紀層中の帯水層からの揚水に加え,有明海海底で第四紀層の下位に伏在する古第三紀層中の石炭採掘のために坑内湧水を排出したこと,または石炭の採掘自体が関係した可能性があることを指摘した.また,近年の地盤隆起については炭鉱閉山(1997年)後の地下水位の回復によるという見方を示した.
上記の見解に対し,地盤沈下は主として第四紀層における地層粒子の隙間を満たす水(間隙水)が揚水で失われて地層の圧密が起こるのに対し,石炭を含む古第三紀層は岩石化しており,ほとんど圧密が起こらないと考えられること,坑内水は堆積岩の亀裂を伝わって坑内に湧出するので,地盤沈下に関係する場合も,上述した第四紀層の地盤沈下とはメカニズムが異なると考えられること,石炭採掘の影響については,この地区での採掘は海底のみなので,陸部の地盤沈下には無関係であること,地下の採掘跡が地表に影響する場合は,一挙に落ち込む陥没という形で発生するので,地盤沈下現象に当てはめにくいこと,更に地盤隆起のメカニズムにいたっては,地盤沈下は鉛直下方にのみ累積的に進むという前述の経験則に合致しないことなどの疑問が投げかけられている.前述した佐賀・白石地区に比べると,筑後地区の地盤沈下と隆起については以上の点から複雑なメカニズムが存在していることが示唆される.


福岡県筑後農林事務所.

福岡県筑後農林事務所.
内田ほか(2006,2008)は筑紫平野全域の水文環境について地下水の化学組成,酸素・水素同位体比,電気伝導度,地下水温を検討した.このうち地下水(湧水を含む)については,白石地区(「武雄」地域内)と佐賀地区では山間部から平野周辺部では涵養域型の水質を示すCa-HCO3型が多数分布し,平野中心部に向かってNa-HCO3型とNa-Cl型が増加する傾向を指摘し,山間部周辺で涵養された雨水などが平野の中心部から沿岸部に流動する過程で地層中のイオン交換によって水質が変化していると考えた.一方,筑後地域では場所・深さにかかわらずCa-HCO3型を示し,山間部だけでなく平野部でも地下水の涵養量が多いと推察した.
筑紫平野の地下の温度勾配は観測井の地下水温分布から,白石地域では4-6℃/100mで最も大きく,佐賀地区では3℃/100m,で筑後地区では1-2℃/100mと小さいことを示した.筑後地区の温度勾配が小さい理由は,地下水流動系の涵養面積が広く,地下水の鉛直方向のフラックスが卓越しているためと考えた(内田ほか,2006;2008).
第12.6図は,1979年時点での筑紫平野地下の更新統E層(福田,1969=川副層に相当;第6.1表)を中心とする地下水の塩化物イオン濃度の分布曲線(山海堂,1988)を示したものである.途中が途切れているが,筑後地区の値は佐賀地区・白石地区よりもE層の地下水の塩水化が激しい様子が読み取れる.鬼塚・根上(2006)は9年後の1988年のデータ(九州農政局計画部資源課,1988)によって,塩化物イオン濃度が更に上昇し,橋本,明治開干拓,昭代干拓では5,000~10,000mg/lの値を示していることを報告した.
三浦ほか(1986)は佐賀・白石地区における地下水揚水が地下水質に及ぼす影響について報告した.三浦・日野(2007)は,佐賀地区のある地点における完新統中の第二種特定有害物質の調査事例を示した(第12.7図).完新統は厚さ約12mで,下位から非海成の蓮池層下部(aHl),海成の有明粘土層(aAc),非海成の蓮池層上部(aHu)に区分される.完新統の下位には更新世三田川層(dM)の砂層,礫層,粘土層,砂層とサイクル的に地層が堆積している.第12.7図に示すように,酸化還元電位(ORP)の値は表層から還元環境を示すマイナスの値である.有明粘土層のpHは8~9で,海水の平均値を超える弱アルカリ性を示している.蓮池層上部のpHは7~8である.11.2.1で述べたように,堆積当初の有明粘土層の塩濃度は20g/l程度と推定されている.その後の地盤環境の変化で塩分溶脱が進み,現在では10g/l以下となっている.しかしながら,その値はなお農業用水における可溶性塩類の許容値3000ppm(日本植物生理学会,2009)より高い.
上述のような環境にある完新統中の間隙水を抽出して人の健康の保護に関する環境基準26項目(環境省,2009)の分析を行なったところ,第12.7図に示したようにヒ素の溶出量は基準値以下であったが,第二種特定有害物質に指定されるフッ素及びホウ素が基準値を超えて検出された.この周辺地域では,ヒ素が検出されたところもある.ヒ素は海成層の還元環境の下でバクテリアの働きによって形成される生物起源黄鉄鉱(第11.11図)中の硫黄を一部ヒ素が置き換えた状態で存在しており,地層が酸化環境に変化すると硫黄とともにヒ素が地下水中に溶出することが知られている(島田,2001;2003など).海水が支配的な環境での堆積物であること,過去から今日にかけて周辺の人為的汚染源は認められないこと,などのことから,ヒ素・フッ素・ホウ素等の第二種特定有害物質は自然由来によるものと考えられている.
11.3で述べたように,地下風化は地盤環境を大きく変える.上述した佐賀県の事例では完新統中の間隙水へのヒ素の溶出量は基準値以下であったが,本地域南東部の福岡県大川市周辺などでは飲料用水の基準を超えるヒ素に汚染された地下水が問題になった(福岡県県南地域地下水汚染原因等検討委員会,1995;Shimada,1996;山口・島田,1996;島田,1998;2001;2003など).行政の情報公開による地域住民への周知とともに,以後地下水を飲用水として利用しないようにするための上水道整備等の対策が施されており,現在のところ健康被害は発生していない.しかし,今後地下風化が進んだ場合,筑紫平野の広い範囲でヒ素が地下水中に溶出してくる可能性は否めない.また11.2.3で述べたように,完新統と下位の更新統中の帯水層との間では地下水が地層境界を越えて下位層準への流動が生じている.完新統が地下風化し,もとの地盤環境にまで復元できない場合,長期にわたって汚染源として地下水に影響を及ぼすことになる.地下水にまつわる問題では,地盤沈下対策については揚水量をコントロールすることによって一定の成功を収めた今,水質に関して新たな課題に直面しているといえる.


本地域南東部に位置する柳川温泉(柳川市三橋町柳河蓮蒲)は泉温55度,泉質はナトリウム炭酸水素塩塩化物泉(中性低張性高温泉)で,pH7.4である.本地域南部の温泉の泉質にナトリウム炭酸水素塩型が多い(飯盛ほか,2005)点は,佐賀平野南部における地下水の一般的水質の傾向と同じであるが,泉源は地下水として利用される第四紀層中の帯水層よりも遙かに深く,基盤の三郡変成岩類に達する場合がある.
北東部の上峰温泉(上峰町坊所)は泉温29.3度,泉質は単純弱放射能泉(放射能30.8×10-10Ci/kg)である.上峰温泉で泉質が弱放射能泉になっているのは,北側に分布する佐賀花崗岩から放射性物質が温泉水に流入しているためと考えられる.
採石場跡が佐賀市大和町都渡城南と佐賀県みやき町石貝団地にある.都渡城南は蓮華変成岩の角閃岩を,石貝団地では佐賀花崗岩を対象に採石していた.