大洲地域の地質 地図画像
地域地質研究報告 5万分の1地質図幅
地域地質研究報告 5万分の1地質図幅「大洲地域の地質」
坂野 靖行水野 清秀宮崎 一博
著者情報
  • 坂野 靖行

    地質情報研究部門

  • 水野 清秀

    地質情報研究部門

  • 宮崎 一博

    地質情報研究部門

キーワード: areal geology, geological map, 1:50000, Ōzu, Ehime, Hiji Kawa, Shikoku, Chichibu, Sanbagawa, Jurassic, Cretaceous, Miocene, Pleistocene, Holocene, accretiorary complex, metamorphic complex, K-Ar age, fission-track age, submarine active fault, bedded cupriferous iron sulfide deposit, Ōkuki mine, landslide

発行:2010 年 (独立行政法人 産業技術総合研究所 地質調査総合センター )

Abstract

QUADRANGLE SERIES, 1:50,000 Kōchi(13) No.59

Geology of the Ōzu District

By

Yasuyuki BANNO* , Kiyohide MIZUNO* and Kazuhiro MIYAZAKI*

* Institute of Geology and Geoinformation

(Written in 2009)

The Ōzu district is located in the western part of Ehime Prefecture, Shikoku Island, Japan with latitude and longitude ranging from 33°30′12′′0 to 33°40′12′′0 north and 132°29′51′′0 to 132°44′50′′9 east, respectively. The region is underlain by a Jurassic accretionary complex of the Northern Chichibu terrane, Sanbagawa Metamorphic Complex, Miocene dyke and Quaternary sediments.

Summary of the geology in the Ozu district is shown in Figure 1.

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Fig. 1 Summary of the geology in the Ōzu district

Jurassic accretionary complex of the Northern Chichibu terrane

The Yamatosaka unit is one of the Jurassic accretionary complexes of the Northern Chichibu terrane and distributed narrowly in the southeastern corner of the district. It consists of muddy mixed rocks (with clasts of chert and sandstone) and mudstone.

Sanbagawa Metamorphic Complex

The late Early Cretaceous to Late Cretaceous high-pressure and low-temperature Sanbagawa Metamorphic Complex is widely distributed in the district. It can be divided into six units, which are the Ōzu, Nakaidani, Fukuoka, Kannan, Uchiko and Iyo units. The Ōzu, Nakaidani and Fukuoka units, Kannan unit and Uchiko and Iyo units correspond to the metamorphosed Chichibu Accretionary Complex, Mikabu Greenstones and Sanbagawa Crystalline Schists, respectively. The Ōzu and Uchiko units are composed mainly of pelitic schist. The Nakaidani unit mainly comprises pelitic phyllite and metachert. The Fukuoka unit mainly consists of mafic schist, metachert and pelitic schist. The Kannan unit is composed mainly of metamorphosed basalt tuff and lava, metagabbro, metadolerite and metachert. The Iyo unit mainly comprises mafic, pelitic, psammitic and siliceous schists. The Ōzu, Nakaidani, Fukuoka, Kannan and Uchiko units were exposed to the pumpellyite-actinolite facies metamorphism. The southern part of the Iyo unit also suffered the pumpellyite-actinolite facies metamorphism, whereas the northern part of the Iyo unit underwent intermediate metamorphism between glaucophane schist and greenschist facies. In the Iyo unit, the metamorphic grade increases to the north, i.e. structurally upward. The K-Ar phengite ages from the Uchiko and Iyo units are 94.6 and 86.9 Ma, respectively.

Miocene dyke

The Miocene dykes intrude into the Iyo unit of the Sanbagawa Metamorphic Complex. It is composed of rhyolite and dacite.

Quaternary

The Quaternary sediments are distributed along major river streams of the district. They comprise the Early Pleistocene Tomisuyama Formation, Middle Pleistocene Iyoki Formation, river terrace deposits and alluvium. The river terrace deposits range in age from Middle to Late Pleistocene and are divided into the higher, middle and lower terrace deposits. The Tomisuyama and Iyoki Formations and river terrace deposits are composed mainly of gravel and sand, and the Tomisuyama and Iyoki Formations intercalate peaty layers and some volcanic ash layers. The alluvium is classified into backmarsh and valley floor deposits, natural levee deposits, fan and talus deposits, and river bed deposits.

Active tectonics

There are submarine active faults in the Sea of Iyo. It is composed of many ENE-WSW normal faults. The recurrence interval of 2,500 - 3,500 years is estimated for major faults.

Economic geology

There are many closed mines that mined bedded cupriferous iron sulfide deposits in the Iyo, Uchiko and Kannan units of the Sanbagawa Metamorphic Complex. The Ōkuki mine is famous for the highest copper production in the western part of the Ehime Prefecture. Small manganese and silica stone deposits in the Sanbagawa Metamorphic Complex were once worked.

In the southern part of the district, metagabbro and metamorphosed basalt tuff and lava of the Kannan unit are quarried for aggregate at two localities.

Many landslide configurations are found in the mountain range where the Sanbagawa Metamorphic Complex and Jurassic accretionary complex of the Northern Chichibu terrane are exposed.

大洲地域の地質

大洲地域の地質

坂野靖行*・水野清秀*・宮崎一博*

* 地質情報研究部門

地質調査総合センターは,1882年にその前身である地質調査所が創設されて以来,国土の地球科学的実態を解明するために調査研究を行い,様々な縮尺の地質図を作成してきた.その中で,5万分の1地質図幅は,自らの地質調査に基づく最も詳細な地質図であり,基本的な地質情報が網羅されている.大洲地域の地質は,この5万分の1地質図幅シリーズの一環として作成されたもので,5万分の1縮尺の地質図幅と地域地質研究報告(説明書)から構成されている.

「大洲」地域における現地調査は,平成18~20年度に実施した.調査研究と執筆について,三波川変成コンプレックスを坂野・宮崎が,ジュラ紀付加コンプレックス(秩父累帯北帯)・岩脈を坂野が,第四系・海域の活断層を水野が担当し,地形を水野が主に担当した.全体のとりまとめを坂野が行なった.なお三波川変成コンプレックスの現地調査については肱川東部を坂野が,肱川西部を宮崎が担当した.

群馬大学の熊原康博博士には第四紀堆積物の露頭情報を御教示いただいた.また千葉大学の百原新博士には大型植物化石の同定をしていただいた.海底活断層図の作成・掲載に当たって,四国総合研究所の池田倫治博士,四国電力株式会社の大野裕記博士,高知大学の岡村真教授には便宜をはかつていただいた.また,内子町五十崎の竜王荘から温泉に関する情報を提供していただいた.ここに記して謝意を表する.

所内では,「大洲」地域及び南隣「卯之町」地域の秩父累帯の地質について地質標本館副館長酒井彰氏に,「大洲」地域の岩脈について地質調査情報センターの角井朝昭総括主幹及び地質情報研究部門の松浦浩久主任研究員に御教示いただいた.また,評価部の七山太総括主幹及び活断層・地震研究センターの杉山雄一主幹研究員には,伊予灘に分布する海底活断層に関する資料の提供・助言などを受けた.

本研究に用いた岩石薄片の作製は,地質標本館大和田朗・佐藤卓見・福田和幸及び元地質標本館の野神貴嗣の各氏による.また,本報告で用いた試料のうち,GSJ R88369などのGSJ R No.のついている岩石試料は地質標本館に登録・保管されている.

(平成21年度稿)

第1章 地形

(水野清秀・坂野靖行)

「大洲」注)地域は,愛媛県西部に位置し,世界測地系では北緯33°30′12″0~33°40′12″0,東経132°29′51″0~132°44′50″9,日本測地系では北緯33°30′~33°40′,東経132°30′~132°45′の範囲を占めている(第1.1図).

「大洲」地域では,中央構造線が地域北西部に位置する伊予灘海域中に海岸線とほぼ平行に通過すると推定され(緒方,1975),その南側にあたる陸域全体が外帯隆起帯である四国山地にあたる.四国山地の中でも,「大洲」地域は標高が低く,1,000mを越えるところはない.この地域はOhmori(1990)が推定した,四国の中でも100万年間の平均隆起量が小さい地域と一致している.山地中には,ひじ川が先行河川として存在しており,その流域である大洲市街地付近や支流河川である小田川・中山川沿いには丘陵地が広がり,また河川に沿って段丘や低地が点在している.

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第1.1図 「大洲」地域とその周辺の地形概略図

国土地理院発行数値地図 50 m メッシュの標高データをカシミール 3D で表示.緯度・経度は世界測地系.

1.1 山地

「大洲」地域の大半は山地が占めており,山地は北側の壼神つぼがみ山―牛ノ峰―秦皇しんのう山を脊梁とする出石いずし山脈と南側の神南かんなん山―大登山・大迫山―大森山などの神南山・御在所山山地に分けられる(愛媛県,1972第1.2図).出石山脈の山頂は標高700~900m程度で,最高点は壼神山山頂970.5mである.出石山脈は主に三波川変成コンプレックスの苦鉄質片岩からなる.標高729.6mの黒山周辺は中新世の珪長質岩脈が分布するので,急峻な地形を示す.神南山・御在所山山地の標高は400~700m程度で,主に三波川変成コンプレックスの御荷鉾緑色岩類や苦鉄質片岩からなる.神南山周辺では主に御荷鉾緑色岩類の変斑れい岩及び変成玄武岩凝灰岩及び溶岩が分布する.これらの岩石は比較的塊状であり,浸食に対する抵抗力が強い.そのため神南山周辺は急峻な地形を示す.神南山・御在所山山地の南東部では三波川変成コンプレックスとジュラ紀付加コンプレックス(秩父累帯北帯)との境界付近に発達する東北東―西南西方向の高角断層と平行に500~700mの山頂(大迫山,大森山)を有する山稜が続いている.

山地を開析する谷の方向は東北東―西南西方向及び北北西―南南東方向に発達することが多い(第1.2図).東北東―西南西方向の谷地形は,基盤岩類の一般的な地質構造及び大規模な断層をある程度反映している.伊予灘に面した地域に見られる北北西―南南東方向の谷は,この地域に特徴的な同方向の短い高角断層群の方向に調和的である.伊予灘沿いの直線的な海岸は,そのすぐ沖にある中央構造線活断層系の方向と平行であり(国土地理院,1992a),海岸平野や海成段丘は分布せずに急峻な地形を呈している.また本地域内の山地は結晶片岩類を主体としており,地すべり地形が多数みられる(鹿島,2006防災科学技術研究所,2007).

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第1.2図 「大洲」地域の地形区分概略図

地形区分の名称及び丘陵地の範囲は愛媛県(1972)に基づく.基図は国土地理院発行数値地図 50 m メッシュの標高データを使用して,カシミール 3D を用いて作成.

1.2 丘陵

本地域の丘陵は,肱川下流域の上須戒かみすがい・白滝丘陵,大洲盆地周縁に分布する大洲丘陵,内山盆地周辺及び小田川・中山川の両岸にかけて発達する内子丘陵に区分される(愛媛県,1972第1.2図).これらの丘陵には三波川変成コンプレックスの結晶片岩類を不整合で覆う前期更新世の冨士とみす山層や中期更新世の五百木いよき層及び高位段丘堆積物が分布する.大洲丘陵及び内子丘陵を構成する基盤岩類は主に三波川変成コンプレックスの泥質片岩である.泥質片岩は苦鉄質片岩よりも風化しやすいため,大洲丘陵及び内子丘陵では地形が急峻ではなく,なだらかな地形となっている.

本地域では,丘陵地や段丘面の分布に基づき,古くから地殻変動の議論がなされている(今村・三野,1932三野,1933桑代,1962佃,1992中田,1996熊原,1998など).肱川下流部では,丘陵頂面や高位段丘面は下流の中央構造線側から上流の南南東方向に向かって高度を下げており(桑代,1962中田,1996熊原,1998),中部更新統の五百木層基底の分布高度は,大洲市白滝の標高250m程度から大洲市上須戒かみすがいで140m前後,大洲市街地より更に南の「卯之町」地域の北部で最も標高が低く90m程度となっている.更に本地域南東部から「卯之町」地域東部の範囲を中心に段丘面の西への傾動が指摘されている(佃,1992熊原,1998).

1.3 低地・盆地

「大洲」地域では低地の分布は広くなく,本地域南西部の大洲市街地付近に認められる春賀はるか八多喜はたき低地,大洲低地,菅田すげた台地・低地を併せる広義の大洲盆地と,中央南部の内子・五十崎いかざき市街地付近に認められる内子台地・低地と五十崎低地を併せた内山盆地とに区分される(愛媛県,1972第1.2図).大洲盆地の中心に位置する大洲低地は面積約10km2の沖積平野である(第1.3図).大洲盆地では,肱川の両側に微高地の自然堤防帯があり,更にその外側は後背湿地となっているが,下流部では東側の支流沿いに小規模な扇状地が見られる.大洲盆地南部の菅田町菅田すげた付近と内子市街地には中位及び低位段丘からなる台地がみられる.

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第1.3図 大洲市街地付近の低地,丘陵及び山地

大洲市根元越峠北東より南東を望む.

1.4 水系

「大洲」地域の水系は,出石山脈の脊梁の北側のものと南側の肱川水系のものに分けられる.出石山脈の脊梁の北側のものは北北西―南南東方向の直線状の谷に沿って伊予灘へ流れる河川である(横松郷川,豊田川など).肱川水系は本地域の大部分を占める.肱川は神南山の南では西方向に流れ,大洲盆地より下流では北西方向に流れる.神南山の南東部では北側から小田川が肱川に合流し,大洲盆地より下流では東側から矢落川,西側からは久米川・上須戒かみすがい川などの支流が合流している.小田川は内山盆地付近で北側から中山川及び麓川と,神南山東部で東側から御祓みそぎ川と合流する.小田川は内山盆地東方では西南西方向に流れ,御祓川も西南西方向に流れる.この東北東―西南西方向は,四国山地全体に卓越する谷線群の方向と一致している.

肱川の支流である小田川や中山川に沿っては,中部更新統五百木層や段丘堆積物が分布しているが,肱川本流の下流部に沿っては,これらの地層は分布していない.すなわち,肱川の下流部は隆起山地にほぼ直交して浸食をし続ける先行河川となっていて,肱川沿いに段丘堆積物が分布するのは,大洲市上須戒などの支流河川沿いと南隣「卯之町」地域の範囲である.

第2章 地質概説

(坂野靖行・水野清秀・宮崎一博)

2.1 「大洲」地域関連の地質図

「大洲」地域を含む広域地質図幅としては,50万分の1地質図幅「高知」(飯山ほか,1952),20万分の1地質図幅「松山」(野田・神津,1911;地質調査所地質部編図課,1957)及び7万5千分の1地質図幅「久万」(佐藤,1929)が発行されている.いずれも20世紀前半頃に作成されたものである.このことは,この地域及びその周辺地域は古くから地質学的及び鉱床学的に関心がもたれていた地域であることを示している.これ以外には広域調査大久喜地域地質図(金属鉱物探鉱促進事業団,1970),5万分の1表層地質図「大洲」(愛媛県,1972),愛媛県地質図(永井,1957地質調査所監修,1962永井ほか,19671980桃井ほか,1991),四国地方土木地質図(四国地方土木地質図編纂委員会編,1998)がある.なお個々の地質体に関する研究史については,それぞれの章・節で示す.

2.2 地質区分

本報告では,複数の岩石や地層から構成される複合岩体は,“コンプレックス”と称し,その中の構造単位を“ユニット”と記述した.したがって,従来“・・岩類”や“・・層”として表現されていたものの一部は,本報告において,“・・コンプレックス”もしくは“・・ユニット”と表現されている.

第2.1図に「大洲」地域及びその周辺地域の地質概略図を示す.本報告では,脇田ほか(2007)が四国中央部「伊野」地域で適用した地質区分に従い,白亜紀の低温高圧型変成作用で生じた変成岩類を三波川変成コンプレックスとした.「大洲」地域の大部分は三波川変成コンプレックスが占めており,南東部隅に秩父累帯の付加コンプレックスがわずかに分布している(第2.1図).

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第2.1図 「大洲」地域及びその周辺地域の地質概略図

桃井ほか(1991)榊原ほか(1998)君波ほか(2008)及び本報告の調査結果をもとに作成.大洲ユニット,中居谷ユニット及び福岡ユニットに相当する地質体は弱変成付加コンプレックスとして秩父累帯の構成メンバーとされることが多いが,本報告ではこれらを白亜紀の低温高圧型変成作用を被った変成岩類と見なし,伊予ユニット,内子ユニット,神南ユニットとともに三波川変成コンプレックスの構成メンバーとして位置づけた.

2.3 地質概説

「大洲」地域の付加コンプレックスは秩父累帯北帯の北端を占める山鳥坂やまとさかユニットから構成される.山鳥坂ユニットは前期ジュラ紀付加コンプレックスと考えられ,泥質混在岩及び泥岩を主体とする.泥質混在岩は泥質基質中にチャート及び砂岩の岩塊を含む.

本報告の三波川変成コンプレックスは「大洲」地域南東隅から北西に向かって,中居谷,福岡,神南かんなん,内子及び伊予の各ユニットと,地域南西隅に位置し神南ユニットの南側にわずかに分布する大洲ユニットから構成される(第2.1図).中居谷ユニット及び福岡ユニットは秩父累帯北帯の付加コンプレックスを原岩とする変成岩類に相当する.大洲ユニットは秩父累帯の付加コンプレックスを原岩とする変成岩類に相当すると多くの研究者により考えられているが,変成した秩父累帯北帯付加コンプレックスに相当するという考え(Murata,1982)と,変成した秩父累帯南帯付加コンプレックスに相当するという考え(Kashima,1969松岡,1998)とがあり,見解の一致を見ていない.神南ユニットは御荷鉾緑色岩類に,内子ユニット及び伊予ユニットは三波川結晶片岩類に相当する.

大洲ユニット,中居谷ユニット及び福岡ユニットに相当する地質体は弱変成付加コンプレックスとして秩父累帯の構成メンバーとされることが多いが,本報告ではこれらを白亜紀の低温高圧型変成作用を被った変成岩類と見なし,伊予ユニット,内子ユニット,神南ユニットとともに三波川変成コンプレックスの構成メンバーとして位置づけた.

大洲ユニットは主に泥質片岩からなる.中居谷ユニットは主に泥質千枚岩,変成チャートからなり,福岡ユニットは主に苦鉄質片岩,変成チャート,泥質片岩からなる.神南ユニットは主に変成玄武岩凝灰岩及び溶岩,変斑れい岩及び変成ドレライト,変成チャートからなる.内子ユニットは主に泥質片岩からなり,伊予ユニットは主に苦鉄質片岩,泥質片岩,砂質片岩,珪質片岩からなる.

大洲・中居谷・福岡・神南・内子の各ユニットの変成岩類はパンペリー石―アクチノ閃石相の変成作用を被っている.伊予ユニットでは,南部はパンペリー石―アクチノ閃石相の変成作用を被っており,北部は南部より変成度が高く緑色片岩相と藍閃石片岩相との間の中間的な性質の変成作用を被っている.内子ユニット及び伊予ユニットのフェンジャイトK-Ar年代はそれぞれ94.6±2.4,86.9±2.2Maである.

本地域北部において中新世の珪長質岩脈が三波川変成コンプレックスの伊予ユニットに貫入する.珪長質岩脈は斜長石,黒雲母の斑晶を含む流紋岩ないしデイサイトである.

「大洲」地域の第四系は,肱川,小田川,中山川などの主要河川及びその支流に沿って分布する.第四系は,段丘面を保存していない地層,段丘堆積物,完新統に区分される(第2.2図).段丘面を保存していない地層は下部更新統の冨士とみす山層と中部更新統の五百木いよき層に区分される.両層とも礫層を主体とし,植物化石を含む有機質層や火山灰層を挟んでいる.段丘堆積物は高位段丘堆積物(中部更新統の上部),中位段丘堆積物(上部更新統の下部),低位段丘堆積物(上部更新統の上部)に区分される.これらは礫層を主体とする地層である.完新統は後背湿地及び谷底低地堆積物,自然堤防堆積物,扇状地及び崖錐堆積物,現河床堆積物に区分される.この他には主に更新世―完新世に活動したと思われる地すべり堆積物が山腹に多く分布する.

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第2.2図 「大洲」地域の地質総括図

第3章 ジュラ紀付加コンプレックス[秩父累帯北帯]

(坂野靖行)

3.1 研究史

本地域の秩父累帯北帯の調査研究は20万分の1「松山」図幅(野田・神津,1911)に始まる.この図幅では「大洲」地域の南東部は秩父古生層に塗色されている.その後,7万5千分の1「久万」図幅(佐藤,1929)及びその南隣の7万5千分の1「卯之町」図幅(鈴木,1935)が出版され,それらの成果を基にして改訂版20万分の1「松山」図幅(地質調査所地質部編図課,1957)が公表された.20万分の1「松山」図幅(地質調査所地質部編図課,1957)によると,御荷鉾及び三波川変成岩類の南側には上部古生層の千枚岩及び片岩が,更にその南側には上部古生層の砂岩及び粘板岩などが分布している.Kashima(1969)は「大洲」地域の南方に分布する秩父累帯北帯を才太郎層,宇和川層,小藪おやぶ層などに区分した.Murata(1982)は四国西部の秩父累帯の調査を行い,秩父累帯は北傾斜の衝上断層で境されたナップの累重からなるとした.山北(1998)は「大洲」地域及びその南方に分布する秩父累帯北帯を沢谷ユニット,遊子川ゆすがわユニット,住居附すまいづくユニット,上吉田ユニット,柏木ユニットに区分した.100万分の1日本地質図(地質調査所,1992)では,「大洲」地域南部に分布する付加コンプレックスはジュラ紀付加コンプレックスとして塗色されている.

「大洲」地域及びその周辺地域の秩父累帯北帯からの産出化石については3.4形成年代に記述する.

3.2 概要

本地域南東隅(大洲市河辺町山鳥坂やまとさか及び河辺町川崎付近)に小範囲に分布する秩父累帯北帯のジュラ紀付加コンプレックスを本報告では山鳥坂ユニットとした.本ユニットは主に泥質混在岩及び泥岩からなる.本ユニットの構成岩類は千枚岩と呼べる程度までの片理は発達せず,本ユニットの北側に分布する泥質千枚岩を主体とする中居谷ユニットの構成岩類と野外において識別可能である.

3.3 山鳥坂ユニット(Yc,Yx)

山鳥坂ユニットはKashima(1969)の宇和川層の北東側延長部,Murata(1982)の名野川―大野山デッケの一部,松岡ほか(1998)及び山北(1998)の上吉田ユニットの一部に相当する.

本ユニットは本地域南西部隅に小範囲に分布する.大洲市肱川町中居谷から東北東に延びる高角断層により北限は三波川変成コンプレックスの中居谷ユニット及び福岡ユニットと接する.山鳥坂ユニットは本地域南東側に更に広く分布するものと予想される.本ユニットは主に泥質混在岩及び泥岩(Yx)からなり,チャート(Yc),砂岩を伴う.泥質混在岩及び泥岩は大部分が泥質混在岩からなり,一部に泥岩が認められる.泥質混在岩の泥質基質及び泥岩は黒色,暗灰色,灰色を示し,風化すると褐色を帯びたクリーム色を呈する.泥質混在岩は泥質基質中にチャート,砂岩の大小様々な岩塊を含む(第3.1図a,b).チャート及び砂岩の側方連続性は悪く,地質図に示す規模のものは2地点を除いて認められなかった.チャートの厚さは90m以下である.チャートは白色,灰白色,黒灰色,緑灰色を示し,単層の厚さ数cmの層状チャートである(第3.1図c).砂岩の厚さは5m以下である.砂岩は灰白色で塊状を呈する(第3.1図d).風化するとやや緑がかった色になる.

地層の走向は東北東―西南西方向が卓越する.傾斜は10~30°と低角である.見かけの層序の上位にチャート岩塊が卓越し,下位に砂岩岩塊が卓越する.

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第3.1図 山鳥坂ユニットの主な岩相

(a) チャート岩塊を含む泥質混在岩(大洲市河辺町山鳥坂上大成).

(b) 砂岩岩塊を含む泥質混在岩(大洲市河辺町山鳥坂上大成).

(c) 層状チャート(大洲市河辺町山鳥坂上大成).

(d) 砂岩(大洲市河辺町山鳥坂上大成).

ハンマーの長さは約34 cm.

3.4 形成年代

本地域内の山鳥坂ユニットから化石の産出報告はないが,南隣「卯之町」地域に分布する山鳥坂ユニットの南側延長部と考えられる地質体から化石が報告されている.Kashima(1969)は大洲市肱川町大谷付近の小藪川・大谷川流域に分布する石灰岩より石炭紀・ペルム紀の紡錘虫を報告した.Murata(1982)は大洲市肱川町宇和川付近の肱川流域に分布するチャートからペルム紀・三畳紀のコノドントを報告した.鹿島(19871988)は大洲市肱川町山鳥坂付近の河辺川流域に分布する泥質岩より放散虫を発見し,その時代を中期ジュラ紀とした.山北(1998)及び榊原ほか(1998)は,鹿島(1988)に掲載されているSEM写真から判断して鹿島(19871988)が記載した放散虫化石の年代は前期ジュラ紀であるとしている.本報告では,この放散虫化石から山鳥坂ユニットを前期ジュラ紀付加コンプレックスとした.

第4章 三波川変成コンプレックス

(坂野靖行・宮崎一博)

本報告では,白亜紀に低温高圧型変成作用により生じた変成岩類を三波川変成コンプレックスとして扱う.本報告で三波川変成コンプレックスに区分した地質体には,三波川結晶片岩類,御荷鉾緑色岩類及び変成した秩父累帯付加コンプレックスが含まれる.

4.1 研究史

本地域の三波川変成コンプレックスの調査研究は20万分の1「松山」図幅(野田・神津,1911)に始まる.この図幅では「大洲」地域は北側が結晶片岩類に,南側が秩父古生層に塗色されている.その後,7万5千分の1「久万」図幅(佐藤,1929)では,結晶片岩類は緑色片岩を主体とする出石いずし層と石墨片岩を主体とする御荷鉾層とに区分された.また,改訂された20万分の1「松山」図幅(地質調査所地質部編図課,1957)では,結晶片岩類は御荷鉾及び三波川変成岩類として記述された.

秀(1972)は長浜大洲地方肱川流域(上述の御荷鉾及び三波川変成岩類の分布域にほぼ対応する地域)の基盤岩類の地質調査を行い,それを北側の三波川帯と南側の御荷鉾帯とに区分した.そして,三波川帯の見かけの岩相層序は,下位から上位にかけて(1)泥質片岩を主とし砂質片岩・珪質片岩・苦鉄質片岩を挟む岩相(小島ほか,1956の三縄層下部層及びそれより下位の地層に対比),(2)厚い苦鉄質片岩を主体とし,上位に点紋泥質片岩が出現する岩相(小島ほか,1956の三縄層主部層に対比),(3)泥質片岩を主体とする岩相(大洲層;秀,1972が命名)であることを示した.そして,御荷鉾帯は御荷鉾緑色岩類及び泥質片岩からなることを示した.更に秀(1972)は三波川帯において二つの横臥褶曲構造,すなわち大洲市八多喜はたき町付近において大洲横臥褶曲構造及び大洲市長浜町出海いずみ付近にて点紋片岩を核とする長浜同斜横臥褶曲構造の存在を報告した.原ほか(1977)は,八幡浜地域での地質調査の結果得られた大洲横臥褶曲構造の不連続性を説明するために,八幡浜から東北東へ大洲,内子へ延びる八幡浜断層の存在を予想し,八幡浜断層と御荷鉾緑色岩類との間に分布する泥質片岩層を大洲層と再定義した.Takeda et al.(1981)は,八幡浜断層を境に北側を三波川帯に,南側を三波川南縁帯(大洲層及び御荷鉾緑色岩類)に区分した.そしてTakeda et al.(1981)武田ほか(1991)及び武田ほか(2000)はパイルナップ構造が三波川帯の基本構造であると考え,三波川帯は下位から中山―肱川ナップ,佐礼谷されだにナップ,寺野ナップ,双海ふたみナップの各ナップ群から構成されるとした.丸山ほか(1976)は伊予市中山町中山中平村において緑色片岩化した枕状溶岩を発見し,枕状部の下部への垂れ下りの形態から,この地域の地層は逆転していないとした.桑原(1986)は八幡浜市から伊予市中山町中山にかけての地域に分布する三縄層主部層に対比された厚い苦鉄質片岩層から枕状溶岩を多数見出し,その堆積状態から地層の逆転は存在しないことを示した.「大洲」地域北東隅付近に分布し,秀(1972)により三縄層主部層の最上部に位置するとされた点紋泥質片岩層は唐崎マイロナイト(唐崎層)と呼ばれる主に角閃岩に由来するマイロナイトを伴うことが知られている(例えば武田ほか,19812000吉村・高木,1999).唐崎マイロナイトと周囲の三波川結晶片岩類との関係については様々な意見があり,武田ほか(1987)は唐崎マイロナイトは三波川結晶片岩類中のテクトニックブロックであるとし,吉村・高木(1999)及び武田ほか(2000)は,唐崎マイロナイトは三波川結晶片岩類の構造的上位に位置するナップであるとしている.

御荷鉾緑色岩類は,金属鉱物探鉱促進事業団(1970)鈴木ほか(1971)Suzuki et al.(1972)により詳細に研究された.彼らは,御荷鉾緑色岩類が斑れい岩・石英閃緑岩・輝緑岩・玄武岩(一部は枕状溶岩)・苦鉄質凝灰岩・苦鉄質火山礫凝灰岩から構成されることを示し,それらの岩相分布が示された地質図を公表した.

御荷鉾緑色岩類とその南方に分布する秩父累帯の非変成付加コンプレックスとの間には,秩父累帯に属するとされる弱変成岩類が分布することが知られている.すなわち,20万分の1「松山」図幅(地質調査所地質部編図課,1957)では,御荷鉾及び三波川変成岩類の南側は上部古生層の千枚岩及び片岩に塗色されており,更にその南側は上部古生層の砂岩及び粘板岩などに塗色されている.鹿島(1967)は四国西部の秩父累帯の研究を行い,大洲市街地の南方に分布する秩父累帯の久米古生層は主に黒色千枚岩―粘板岩から構成され,その変成度は南に漸次低下していることを示した.榊原ほか(1998)は大洲市街地から河辺川下流にかけての地域に分布する秩父累帯の弱変成付加コンプレックスの研究を行った.彼らは八幡浜断層より北側に分布する変成岩類を三波川変成岩に,同断層より南側に分布する地質体を御荷鉾緑色岩類と秩父累帯の弱変成付加コンプレックスに区分し,御荷鉾緑色岩類は秩父累帯に帰属するものとした.そして,秩父累帯の構成岩類を(1)御荷鉾緑色岩類,(2)主に苦鉄質準片岩・泥質準片岩・砂岩泥岩互層起源の準片岩・チャートより構成される肱川ユニット,(3)主に砂岩泥岩互層及び層状チャートよりなる鹿野川ユニット,そして(4)泥質片岩を主体とする大洲ユニットに区分した.

四国西部の御荷鉾緑色岩類及びその南側に分布する秩父累帯の弱変成付加コンプレックスの苦鉄質岩を基にした変成作用の研究は,橋本・鹿島(1970)鈴木(1972)榊原ほか(1998)によりなされた.橋本・鹿島(1970)は四国西部(「大洲」地域の南縁部及びその南方延長部)の御荷鉾緑色岩類及び秩父累帯の苦鉄質岩の変成鉱物組合せから,この地域はパンペリー石及びスティルプノメレンが特徴的に出現するパンペリー石帯と,上述の二つの鉱物に加えて緑れん石及びアクチノ閃石が広く分布する角閃石帯に分けられ,北縁部に角閃石帯が,南部にパンペリー石帯が分布し,北に向かって変成度が上昇することを明らかにした.鈴木(1972)は四国中・西部において橋本・鹿島(1970)と同様の変成岩岩石学的研究を行い,四国中・西部の御荷鉾緑色岩類及び秩父累帯が3つの帯に分けられることを示した.すなわちZone I及びZone IIはそれぞれ橋本・鹿島(1970)のパンペリー石帯,角閃石帯に相当し,Zone IIIはパンペリー石が不安定でアクチノ閃石が安定な帯である.そして,「大洲」地域付近ではZone IとZone IIの境はほぼ御荷鉾緑色岩類の南限近くに存在し,御荷鉾緑色岩類中央部ではZone IIが,御荷鉾緑色岩類北縁部から三波川結晶片岩類南縁部にかけてはZone IIIが分布し,変成度が北に向かって上昇していることを明らかにした.榊原ほか(1998)は苦鉄質変成岩類の鉱物組合せから,三波川変成岩・御荷鉾緑色岩類・大洲ユニット・肱川ユニットはパンペリー石―アクチノ閃石相の変成作用を被っており,鹿野川ユニットはブドウ石―パンペリー石相の条件で変成されていることを明らかにした.武田ほか(19851991)は「大洲」地域の三波川帯の泥質片岩の鉱物組合せを調べ,この地域の三波川帯の大部分は緑泥石帯に属することを明らかにした.そして,ざくろ石帯の点紋泥質片岩が厚い緑色片岩層中に3層準の薄層として出現することを報告した.

「大洲」地域及びその周辺地域で三波川変成コンプレックスに相当する地質体から放散虫化石やコノドントが見つかつており,それらは原岩の形成年代を知る上で重要である.これらの微化石についての研究史と記載は4.2概要で述べる.

本地域内の三波川変成コンプレックスの放射年代の報告はなされていないが,周辺地域より同コンプレックスに相当する地質体の泥質岩のフェンジャイトK-Ar年代が得られている.これについては4.9変成作用及び変成年代に記述する.

4.2 概要

本地域の三波川変成コンプレックスは,大洲ユニット(再定義),中居谷ユニット,福岡ユニット,神南かんなんユニット,内子ユニット,伊予ユニットの6つのユニットから構成される(第2.1図).大洲ユニットは後述するように,榊原ほか(1998)の大洲ユニットを再定義したもので,以下単に大洲ユニットと記述する.大洲ユニット以外の各ユニットは本報告で新たに提案されたものである.

大洲ユニットを除く各ユニットは概ね東北東―西南西方向の帯状分布をなし,南から北へ中居谷ユニット,福岡ユニット,神南ユニット,内子ユニット,伊予ユニットの順に配列している.これらのユニット間の境界は東北東(一部で東西)走向の高角断層である.大洲ユニットは本地域南西部隅に小範囲に分布し,北側を大洲市街地付近から概ね南西方向に西予市三瓶みかめ町付近まで延びる大洲―三瓶断層(武田ほか,1977第2.1図)に,東側を南北方向の高角断層により区切られ,神南ユニットと接する.

内子ユニット及び伊予ユニットを構成する変成岩類は三波川結晶片岩類に相当する.神南ユニットを構成する変成岩類は御荷鉾緑色岩類に相当する.中居谷ユニット及び福岡ユニットは変成した秩父累帯北帯付加コンプレックスに相当する.従来大洲ユニットに相当する地質体は変成した秩父累帯付加コンプレックスに相当すると考えられているが,本地域南西部隅の大洲市街地の南方においては秩父累帯北帯と南帯の分布に関して見解が分かれており(Kashima, 1969Murata, 1982松岡,1998),大洲ユニットが変成した秩父累帯北帯付加コンプレックスに相当するのか,あるいは変成した秩父累帯南帯付加コンプレックスに相当するのかは明瞭ではない.更に君波ほか(2008)は,本地域南隣の「卯之町」地域及び南西隣「八幡浜」地域に分布する大洲ユニットの南西側延長部に相当する変成岩ユニット[君波ほか(2008)の大洲ユニットI及び大洲ユニットII]を,岩相構成や砂岩の組成的特徴,泥質岩のフェンジャイトK-Ar年代から,四万十帯の深部相とした.本報告では,Kashima(1969)Murata(1982)松岡(1998)榊原ほか(1998)に従い,大洲ユニットを変成した秩父累帯付加コンプレックスとして記述する.

三波川変成コンプレックスの岩石は変成作用によって再結晶しているため,化石の産出報告は限られている.Murata(1982)は南隣の「卯之町」地域において,中居谷ユニットの南西側延長部と考えられる小田川沿いに分布する地質体のチャートからペルム紀・三畳紀のコノドントを報告している.須鎗ほか(1981)も上述の地域に分布する石灰岩から石炭紀のコノドントを報告している.神南ユニットではドレライト中のチャートゼノリスより前期ジュラ紀以後の放散虫化石が報告されている(Sakakibara et al., 1993).内子ユニットでは石灰岩から三畳紀のコノドントが(須鎗ほか,1981),チャートからペルム紀・三畳紀のコノドントが産出している(Murata, 1982).Murata(1982)は南隣の「卯之町」地域北西隅付近の大洲ユニットの南西側延長部と考えられる地質体のチャートからペルム紀・三畳紀のコノドントを,松岡(1998)は南隣の「卯之町」地域の八幡浜市鳥越付近の大洲ユニットの南西側延長部と考えられる地質体[松岡(1998)の斗賀野層群]の泥岩より後期ジュラ紀の放散虫化石を報告している.中居谷ユニット及び福岡ユニットの泥質岩からは時代決定に有効な化石の報告はないが,南隣の「卯之町」地域の秩父累帯北帯付加コンプレックスの泥岩からジュラ紀の放散虫化石が報告されているので(鹿島,19871988),これらはジュラ紀付加コンプレックスが変成したものである可能性がある.大洲ユニットは,八幡浜市鳥越付近に分布する斗賀野層群が大洲ユニットの南西側延長部に相当すると仮定した場合はジュラ紀の付加コンプレックスが変成したものと考えられる.神南ユニットは産出化石からジュラ紀の付加コンプレックスが変成したものと考えられる.内子ユニット及び伊予ユニットの泥質岩からは時代決定に有効な化石の報告はないが,神南ユニットの原岩の年代とほぼ同じか,より若い時代の付加コンプレックスが変成したものである可能性がある.

4.3 大洲ユニット

大洲ユニットは榊原ほか(1998)により命名された.榊原ほか(1998)によると,大洲市冨士とみす山では御荷鉾緑色岩類は低角断層を介して大洲ユニットの上位に重なり,御荷鉾緑色岩類の北側(冨士山北麓)にも大洲ユニットが分布するとしている.両者の境界が低角断層であるのならば,冨士山南麓にも大洲ユニットの泥質片岩が分布すべきであるが,実際には御荷鉾緑色岩類の変成玄武岩凝灰岩・変成ドレライト・変斑れい岩が分布している.この大洲ユニットと御荷鉾緑色岩類の分布から,鹿島(1967)の地質図で示されたように,少なくとも冨士山西部付近では両者はほぼ南北方向の高角度の断層により境されるという考え方が妥当であると判断した.本報告では,大洲ユニットを大洲―三瓶断層の南側,冨士山西部に位置する南北方向の高角断層の西側に分布する泥質片岩を主体とする変成岩ユニットとして再定義する.大洲ユニットは鹿島(1967)の久米古生層久米相の北部,松岡ほか(1998)の斗賀野ユニットの北縁部に相当する.大洲ユニットは本地域南西側に更に広く分布するものと予想される.

本ユニットは泥質片岩から主に構成され,これに少量の変成チャート及び苦鉄質片岩を伴う(第4.1図).地質図に示す規模の変成チャート及び苦鉄質片岩は認められなかった.

変成岩類の片理の走向は東西方向が卓越する.片理は70~80°程度の北又は南傾斜が卓越する.

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第4.1図 大洲ユニットの主な岩相

(a) 泥質片岩(大洲市北只権の森:南隣の「卯之町」地域).

(b) レンズ状変成チャートを含む泥質片岩(大洲市柚木).

Ch:変成チャート.ハンマーの長さは約34 cm.

4.3.1 岩相

苦鉄質片岩(地質図では省略)

泥質片岩にはさまれた層厚10m程度の苦鉄質片岩が大洲市柚木ゆのき(肱川右岸)の道路沿いに分布する.苦鉄質片岩は緑色を示し,弱い片理が発達する.

岩石記載

パンペリー石緑泥石アクチノ閃石片岩(GSJ R88369)(第4.2図a,大洲市柚木)

  • 主要構成鉱物は,残留単斜輝石,アクチノ閃石,緑泥石,パンペリー石,アルバイト,リューコクシンであり,少量の石英,炭酸塩鉱物を伴う.アクチノ閃石の形態定向配列による片理が発達する.パンペリー石は黄緑色の細粒結晶集合体として産する.

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第4.2図 大洲ユニットの苦鉄質片岩及び泥質片岩の薄片写真

(a) パンペリー石とアクチノ閃石を含む苦鉄質片岩(大洲市柚木).

(b) 泥質片岩(大洲市北只権の森:南隣の「卯之町」地域).

Act:アクチノ閃石,Chl:緑泥石,Pmp:パンペリー石.(a),(b) ともに下方ポーラ.

泥質片岩(Op)

泥質片岩は黒色,暗灰色,銀灰色を呈し,片理が発達している(第4.1図a).泥質片岩は幅数m以下のレンズ状の変成チャートを含む(第4.1図b).変成チャートは白色,灰白色,薄赤茶色を示し,厚さ数cmの石英からなる層の間に変成泥岩が挟まれる層状構造を示す.

岩石記載

緑泥石フェンジャイト片岩(GSJ R88370)

  • 第4.2図b,大洲市北只椎の森,南隣の「卯之町」地域内)

    主要構成鉱物はフェンジャイト,緑泥石,石英,アルバイト,石墨であり,少量のスフェーンを伴う.フェンジャイト,緑泥石,石墨からなる薄層と石英とアルバイトからなる薄層が1~3mm程度の間隔で繰り返す縞状構造が発達する.フェンジャイトと緑泥石は形態定向配列をなし,片理を形成している.緑泥石は部分的に酸化しており,そのようなものは褐色を示す.

4.4 中居谷ユニット

中居谷ユニットは榊原ほか(1998)の肱川ユニットの北東縁部,松岡ほか(1998)及び山北(1998)の上吉田ユニットの一部に相当する.

中居谷ユニットは,本地域南東部隅の大洲市肱川町中居谷付近に小範囲に分布する.中居谷から東北東方向に延びる高角断層により南限はジュラ紀付加コンプレックス(秩父累帯北帯)の山鳥坂ユニットと接し,大迫山から東北東方向に延びる高角断層により北限は福岡ユニットと接する.両断層は耳取峠東方で収斂し一つになるため,本ユニットの分布は耳取峠東方でいったん途切れるが,その東方の泉ヶ峠付近において北東―南西方向及び北西―南東方向の断層に囲まれた狭い範囲に本ユニットが分布し,北側において福岡ユニットと南側において山鳥坂ユニットと接する.

中居谷ユニットは,弱い片理の発達する泥質千枚岩及び変成チャートから主に構成され,これに少量の変成玄武岩凝灰岩及び溶岩・変成砂岩・結晶質石灰岩を伴う.変成玄武岩凝灰岩及び溶岩・変成砂岩・結晶質石灰岩は,露頭においてブロックとして認められる程度の大きさのものであり,地質図に示す規模のものは認められなかった.

変成岩類の片理の走向は東北東―西南西方向が卓越する.片理の傾斜は10~20°程度の低角が卓越する.

4.4.1 岩相

変成玄武岩凝灰岩及び溶岩(地質図では省略)

中居谷ユニットにおいては変成玄武岩凝灰岩及び溶岩の産出は少ない.野外では黄緑色,緑色及び濃緑色を呈する.凝灰岩起源の変成岩では片理が発達するのに対して,溶岩起源の変成岩では片理はほとんど発達しない.溶岩起源の変成岩は,露頭において泥質千枚岩中のブロックとして産出する(第4.3図a).

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第4.3図 中居谷ユニットの主な岩相

(a) 泥質千枚岩中に見られるブロック状の変成玄武岩溶岩(中央のやや突出した部分)(大洲市肱川町中居谷中城:南隣の「卯之町」地域).

(b) 層状構造を示す変成チャート(大洲市肱川町中居谷嘉城:南隣の「卯之町」地域).

(c) 泥質千枚岩中のレンズ状変成チャート(大洲市肱川町中居谷中城).

(d) 泥質千枚岩(大洲市枝の瀬:南隣の「卯之町」地域).

(e) 薄い変成砂岩のレンズを挟む泥質千枚岩(大洲市枝の瀬:南隣の「卯之町」地域).

(f) 比較的片理の発達のよい泥質千枚岩(大洲市肱川町中居谷中城:南隣の「卯之町」地域).

(g) (f) の露頭近傍に見られる泥質千枚岩.(f) のものより片理の発達が悪い(大洲市肱川町中居谷中城:南隣の「卯之町」地域).

ハンマーの長さは約34 cm.シャープペンの長さは約15 cm.シャープペンの幅は約1 cm.

岩石記載

アルカリ輝石緑泥石アクチノ閃石アルカリ角閃石変成玄武岩凝灰岩(GSJ R88371)

  • 第4.4図a,大洲市肱川町中居谷中城)

    主要構成鉱物はアルカリ角閃石,アクチノ閃石,緑泥石,アルカリ輝石,アルバイト,フェンジャイト,リューコクシンであり,少量の石英,炭酸塩鉱物を伴う.アルカリ角閃石,アクチノ閃石,緑泥石,フェンジャイトは形態定向配列をなし,片理を形成している.アルカリ角閃石は緑がかった青色―淡緑色の多色性を示す長柱状結晶が普通であるが,大型粒子のものは青紫色―青緑色の多色性を示す.アクチノ閃石は淡緑色の長柱状結晶であり,アルバイト中に特徴的に産する.ほぼ無色を示す残留単斜輝石の縁に緑色のアルカリ輝石が産する.

パンペリー石アルカリ輝石アクチノ閃石緑泥石変成玄武岩溶岩(GSJ R88372)

  • 第4.4図b,c,大洲市肱川町中居谷中城,南隣の「卯之町」地域内)

    主要構成鉱物は,残留単斜輝石,緑泥石,アクチノ閃石,アルカリ輝石,アルバイト,リューコクシンであり,これに少量のパンペリー石,スティルプノメレンを伴う.原岩の組織が保存されており,残留単斜輝石斑晶と主にアルバイト,アクチノ閃石及び緑泥石からなる斜長石斑晶仮像が認められる.ほぼ無色を示す残留単斜輝石の縁に,緑色から黄緑色の多色性を示すアルカリ輝石が産する.パンペリー石は緑泥石と接して産することが多く,緑色から黄緑色の多色性を示す細粒の結晶集合体である.スティルプノメレンは褐色から淡黄褐色の多色性を示し,束状から放射状になって産する.

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第4.4図 中居谷ユニットの変成玄武岩凝灰岩,変成玄武岩溶岩及び泥質千枚岩の薄片写真

(a) アルカリ角閃石及びアクチノ閃石を含む変成玄武岩凝灰岩(大洲市肱川町中居谷中城).

(b),(c) パンペリー石,アクチノ閃石及びアルカリ輝石を含む変成玄武岩溶岩(大洲市肱川町中居谷中城:南隣の「卯之町」地域).

(d) 泥質千枚岩(大洲市肱川町中居谷中城:南隣の「卯之町」地域).

Act:アクチノ閃石,Chl:緑泥石,Na-amp:アルカリ角閃石,Na-cpx:アルカリ輝石,Pmp:パンペリー石,Re-cpx:残留単斜輝石.すべて下方ポーラ.

結晶質石灰岩(地質図では省略)

層厚数mの薄い結晶質石灰岩が泥質千枚岩中に産する.野外で灰白色を示す.

変成チャート(Nq)

層厚は50m以下であり,野外で白色,灰白色,灰色,黒灰色,赤色を呈する.層状チャートを原岩とし,厚さ数cmの石英からなる層の間に変成泥岩が挟まれる層状構造が認められる(第4.3図b).露頭において変成チャートは泥質千枚岩中のレンズ状のブロックとして認められることがある(第4.3図c).

泥質千枚岩(Np)

炭質物を含み黒色ないし暗灰色を呈する.大洲ユニット・福岡ユニット・神南ユニット・内子ユニット・伊予ユニットの泥質片岩に比べ細粒であり,かつ片理の発達が弱い(第4.3図d).薄い変成砂岩のレンズを挟むことがあり,レンズに平行な片理が発達する(第4.3図e).一つの露頭において片理の発達する部分と,あまり発達しない部分が認められることがある(第4.3図f,g).両者の薄片観察の結果によれば,片理の発達のよい部分は未発達のものに比べフェンジャイトをより多く含む.

岩石記載

緑泥石フェンジャイト千枚岩(GSJ R88373)

  • 第4.4図d,大洲市肱川町中居谷中城,南隣の「卯之町」地域内)

    主要構成鉱物はフェンジャイト,緑泥石,スフェーン,石英,アルバイト,炭質物であり,これに少量の燐灰石が加わる.フェンジャイトと緑泥石は形態定向配列をなし,片理を形成している.少量の斜長石砕屑粒子が認められる.

変成砂岩(地質図では省略)

泥質千枚岩中にレンズ状ブロックとして産する.片理はほとんど発達しない.灰白色ないし灰色を呈する.

4.5 福岡ユニット

福岡ユニットは榊原ほか(1998)の肱川ユニットの一部,松岡ほか(1998)及び山北(1998)の柏木ユニットの一部に相当する.

福岡ユニットは,本地域南東部,大迫山から東北東に延びる高角断層により,中居谷ユニット及びジュラ紀付加コンプレックス(秩父累帯北帯)の山鳥坂ユニットと接し,その北側(内子町福岡,北表及び山鳥坂やまとさか)に分布する.北限は内子町福岡奈良野付近から東北東方向に延びる高角断層により神南ユニットと境される.東北東―西南西方向の帯状分布を示し,分布幅は1~1.5kmである.福岡ユニットは苦鉄質片岩,変成チャート,泥質片岩から主に構成され,これに少量の結晶質石灰岩が加わる.ただし,地質図に示す規模の結晶質石灰岩は認められなかった.

変成岩類の片理の走向は東北東―西南西方向が卓越する.片理の傾斜は10~30°程度の低角が卓越する.

4.5.1 岩相

苦鉄質片岩(Fm)

本ユニットにおいて最も広範囲に出現する.本ユニットの北側に位置する神南ユニットの変成玄武岩凝灰岩及び溶岩に比べ,片理の発達がよい(第4.5図a).野外では黄緑色,緑色,暗緑色を呈する.

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第4.5図 福岡ユニットの主な岩相

(a) 苦鉄質片岩(喜多郡内子町東子).

(b) 層状構造を示す変成チャート(喜多郡内子町山鳥坂おやぶの東方).

(c) 苦鉄質片岩中のレンズ状変成チャート(喜多郡内子町東子).

(d) 泥質片岩中のレンズ状変成チャート(喜多郡内子町山鳥坂おやぶの南方).

ハンマーの長さは約34 cm.

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第4.6図 福岡ユニットの苦鉄質片岩及び泥質片岩の薄片写真

(a) パンペリー石とアクチノ閃石を含む苦鉄質片岩(喜多郡内子町北表北浦).

(b) アクチノ閃石を含む苦鉄質片岩(喜多郡内子町北表新田).

(c) 泥質片岩(喜多郡内子町北表戌の森).

Act:アクチノ閃石,Chl:緑泥石,Ep:緑れん石,Pmp:パンペリー石.すべて下方ポーラ.

岩石記載

パンペリー石緑れん石緑泥石アクチノ閃石片岩(GSJ R88374)

  • 第4.6図a,喜多郡内子町北表北浦)

    主要構成鉱物は残留単斜輝石,アクチノ閃石,緑泥石,緑れん石,パンペリー石,アルバイト,リューコクシンであり,少量のフェンジャイト,炭酸塩鉱物を伴う.アクチノ閃石,緑泥石の形態定向配列による片理が発達する.アルバイトは片理にほぼ平行な脈として産する.パンペリー石はアルバイト脈中に特徴的に出現し,細粒の結晶集合体で緑色,黄緑色の多色性を示す.

緑れん石緑泥石アクチノ閃石片岩(GSJ R88375)

  • 第4.6図b,喜多郡内子町北表新田にいだ

    主要構成鉱物はアクチノ閃石,緑泥石,緑れん石,アルバイト,リューコクシンであり,これに少量の石英が加わる.アクチノ閃石,緑泥石は形態定向配列を示し,よく発達した片理を形成する.アクチノ閃石は淡緑色の長柱状結晶である.片理にほぼ平行な幅約1mm程度のアルバイトに富む薄層が認められる.

結晶質石灰岩(地質図では省略)

層厚数m以下の薄い結晶質石灰岩が苦鉄質片岩中に産する.野外で灰白色を示す.結晶質石灰岩の近傍には変成チャートが出現することが多い.

変成チャート(Fq)

層厚は50m以下であり,野外で白色ないし灰色を呈する.層状チャートを原岩とし厚さ数cm~10cmの石英からなる層の間に変成泥岩が挟まれる層状構造が認められる(第4.5図b).しばしば著しい褶曲構造を示し,高角度の傾斜を示すことがある.露頭において変成チャートは苦鉄質片岩または泥質片岩中のレンズ状ブロックとして認められることがある(第4.5図c,d).

泥質片岩(Fp)

層厚60m以下の泥質片岩が,内子町山鳥坂おやぶの南方及び東方に分布する.泥質片岩は暗灰色ないし銀白色を呈する.泥質片岩はしばしば厚さ1m以下の変成チャートのレンズ状ブロックを包含する(第4.5図d).

岩石記載

緑泥石フェンジャイト片岩(GSJ R88376)

  • 第4.6図c,喜多郡内子町北表戈の森)

    主要構成鉱物はフェンジャイト,緑泥石,石英,アルバイトであり,これに少量の炭酸塩鉱物,スフェーン,燐灰石が加わる.緑泥石は部分的に酸化しており,そのようなものは褐色を示す.フェンジャイトと緑泥石は形態定向配列をなし,片理を形成している.

4.6 神南ユニット

神南ユニットを構成する変成岩類は御荷鉾緑色岩類に相当する.神南ユニットは大洲市冨士山より東方においては冨士山から神南山を経て内子町立石八ツ松にかけての地域に帯状に分布する.分布の延びの方向は東北東―西南西方向もしくは東西方向であり,分布幅は約3kmである.ただし大洲市平畑ひらはた付近では北西―南東から西北西―東南東方向の高角断層によって東西方向に延びる地質体の分布がずれる.冨士山東方においては,本ユニットの北限及び南限は高角断層により区切られ,南限では福岡ユニットと,北限では内子ユニットと接する.

冨士山西方においては,4.3で述べたように南北方向の高角断層により冨士山東方における本ユニットの東西方向に延びる分布が途切れ,冨士山付近に分布する神南ユニットの西縁部は断層の西側に分布する大洲ユニットと接する.この断層以西の本ユニットの構成岩類は大洲市多賀(大洲北中学校グラウンドの東;変成玄武岩凝灰岩及び溶岩が分布),大洲市常盤町(国道56号線沿い;変斑れい岩が分布),大洲城址付近及び大洲市西大洲付近に出現する(大洲市多賀及び大洲市常盤町付近は第四紀の冨士山層に覆われるため,地質図上では神南ユニットの構成岩類は表現されていない).すなわち冨士山西方(南北方向の高角断層の西側)の神南ユニットは東北東―西南西方向に延びた細長い帯状に分布し,その分布幅は約0.5kmと狭く,冨士山付近のものよりも相対的に北側に位置する.冨士山西方の神南ユニットの南限は大洲―三瓶断層で区切られ,大洲ユニットと接する.北方に位置する内子ユニットとの関係は,第四系に覆われるため明瞭ではないが,冨士山東方の場合と同様に両者の境界は高角断層と考えられる.

神南ユニットは変成玄武岩凝灰岩及び溶岩,変斑れい岩及び変成ドレライト,変成チャートから主に構成され,これに少量の結晶質石灰岩,泥質片岩を伴う.これ以外には地質図に示せない規模のものとして蛇紋岩がある.蛇紋岩は内子町下今岡の南方の道路沿い25mにわたって分布する.

変成岩類の片理の走向は,東部では東北東―西南西方向が,西部では東西方向が卓越する.片理は40~60°程度の北傾斜が卓越する.

榊原ほか(1998)は冨士山西方に分布する分布幅約0.5kmの苦鉄質変成岩(本報告で神南ユニットの構成岩類としたもの)は御荷鉾緑色岩類に相当せず,榊原ほか(1998)の大洲ユニットの構成岩類に相当するとした.彼らはその根拠の一つとして,冨士山西方に分布する苦鉄質変成岩は変成玄武岩溶岩及び凝灰岩であり,冨士山付近のものは変斑れい岩を主体とし,両者の岩相はやや異なることを挙げている.今回の結果では,冨士山西方の大洲市常盤町において変斑れい岩が認められた.この変斑れい岩の分布は金属鉱物探鉱促進事業団(1970)及びSuzuki et al.(1972)によって公表された地質図でも報告されている.したがって本報告では,冨士山西方(大洲市西大洲付近)に分布する苦鉄質変成岩は御荷鉾緑色岩類に相当すると判断し,これらを神南ユニットの構成岩類と考えた.

4.6.1 岩相

変斑れい岩及び変成ドレライト(Kg)

変斑れい岩及び変成ドレライトは塊状であり,変成玄武岩溶岩よりも粒度が粗い(第4.7図a).主に大洲市冨士山から神南山付近に分布する.

変斑れい岩は灰白色,淡緑色を示し,まれに黒色を呈する.黒色を示すものは,黒色を示さないものに比べ不透明鉱物をより多く含む.肉眼で輝石の劈開が認められる.変形が強い場合は,片理が発達し,肉眼で斜長石のポーフィロクラストが認められることがある.

変成ドレライトは緑色を呈する.粒度は変斑れい岩よりも細粒で,変成玄武岩溶岩よりも粗い.しかし,部分的には変斑れい岩との識別が難しい場合もある.変成ドレライトは,鈴木ほか(1971)で述べられているように変斑れい岩と変成玄武岩凝灰岩及び溶岩との間に出現することが多い.露頭において変成ドレライトと変成玄武岩凝灰岩及び溶岩との境界にはせん断部分は認められず,両者はぴったりと接している.

変斑れい岩及び変成ドレライトと変成玄武岩凝灰岩及び溶岩との関係は明瞭ではない.(1)変成作用以前に,斑れい岩及びドレライトは玄武岩凝灰岩及び溶岩に貫入した岩床状岩体(Suzuki et al., 1972),または(2)斑れい岩及びドレライトは,付加コンプレックス形成時における玄武岩凝灰岩の基質中に含まれる大きなブロック,の二通りの解釈が可能である.

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第4.7図 神南ユニットの主な岩相

(a) 塊状を呈する変斑れい岩(大洲市上西).

(b) 片理が発達する変成玄武岩凝灰岩(喜多郡内子町神南山山頂の北方).

(c) 変成凝灰質礫岩(大洲市冨士山山頂の西方:転石).

(d) 塊状を呈する変成玄武岩溶岩(喜多郡内子町五十崎神南の西方).

(e) 枕状溶岩の構造を示す変成玄武岩溶岩(喜多郡内子町五十崎神南).

(f) 褶曲構造を示す変成チャート(大洲市藤の川の東方).

(g) 変成チャートのレンズ状ブロック(下部の白色部)を含む泥質片岩(喜多郡内子町佛谷).

ハンマーの長さは約34 cm.シャープペンの長さは約15 cm.

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第4.8図 神南ユニットの変斑れい岩,変成ドレライト,変成玄武岩凝灰岩及び変成玄武岩溶岩の薄片写真

(a) 変斑れい岩(大洲市上西).

(b) 変成ドレライト(大洲市土肥).

(c) パンペリー石とアクチノ閃石を含む変成玄武岩凝灰岩(大洲市藤の川の北約1,100 m).

(d) アクチノ閃石を含む変成玄武岩溶岩(喜多郡内子町神南山山頂の北約430 m).

Act:アクチノ閃石,Br-amp:褐色角閃石,Chl:緑泥石,Ep:緑れん石,Pmp:パンペリー石,Re-cpx:残留単斜輝石.すべて下方ポーラ.

岩石記載

パンペリー石アクチノ閃石緑泥石変斑れい岩(GSJ R88377)

  • 第4.8図a,大洲市上西)

    原岩の等粒完晶質の組織が保存されており,残留単斜輝石,主に緑泥石よりなるかんらん石仮像,微細鉱物の集合体で黒く濁ったように見える斜長石仮像から構成される.斜長石仮像からパンペリー石及び緑泥石が認められた.残留単斜輝石の割れ目や縁の部分にアクチノ閃石,緑泥石が存在する.

パンペリー石アルカリ角閃石アクチノ閃石緑泥石変成ドレライト(GSJ R88378)

  • 第4.8図b,大洲市土肥)

    原岩の等粒完晶質の組織が保存されており,主に残留単斜輝石,褐色角閃石,微細鉱物の集合体で黒く濁ったように見える斜長石仮像から構成され,これに比較的少量の緑泥石,アルバイト,リューコクシンなどが伴われる.残留単斜輝石や斜長石仮像の大きさは前述のパンペリー石アクチノ閃石緑泥石変斑れい岩中のものに比べ小さい.残留単斜輝石は褐色角閃石によって部分的に置換されている.褐色角閃石の縁に青紫色のアルカリ角閃石が生じていることがある.残留単斜輝石,褐色角閃石,アルカリ角閃石の縁には淡緑色長柱状のアクチノ閃石が産する.斜長石仮像からパンペリー石が認められた.

変成玄武岩凝灰岩及び溶岩(Km)

本ユニットにおいて最も広範囲に出現する.変成玄武岩凝灰岩及び溶岩は野外で黄緑色,緑色,青緑色及び濃緑色を呈し,変斑れい岩及び変成ドレライトに比べ明らかに細粒である.

凝灰岩起源の変成岩では片理が発達することがある(第4.7図b).凝灰岩起源のものは細粒であるが,幅5mm~1cm程度の礫を有する凝灰質礫岩の部分も存在する(第4.7図c).一方,溶岩起源のものは片理はほとんど発達せず,しばしば塊状となる(第4.7図d).また枕状溶岩の構造を示すものがあり,例えば内子町五十崎神南いかざきかんなんの東方及び西方において認められる(第4.7図e).

岩石記載

緑れん石アクチノ閃石パンペリー石緑泥石変成玄武岩凝灰岩(GSJ R88379)

  • 第4.8図c,大洲市藤の川の北約1,100m)

    主要構成鉱物は残留単斜輝石,緑泥石,パンペリー石,アクチノ閃石,緑れん石,アルバイト,リューコクシンであり,少量の石英を伴う.アクチノ閃石及び緑泥石は形態定向配列をなし,弱い片理を形成している.アクチノ閃石は淡緑色で長柱状を示し,残留単斜輝石の縁に出現することが多い.パンペリー石は緑泥石と接して産することが多く,黄緑色の細粒結晶集合体である.

アクチノ閃石緑泥石緑れん石変成玄武岩溶岩(GSJ R88380)

  • 第4.8図d,喜多郡内子町神南山山頂の北約430m)

    主要構成鉱物は残留単斜輝石,緑れん石,緑泥石,アクチノ閃石,アルバイト,リューコクシンであり,少量の石英,炭酸塩鉱物を伴う.原岩の組織が保存されており,残留単斜輝石斑晶と主にアルバイト,緑泥石,アクチノ閃石からなる斜長石斑晶仮像が認められる.基質部分は主に残留単斜輝石,緑れん石,アクチノ閃石,緑泥石,リューコクシンから構成される.

結晶質石灰岩(Kl)

最大層厚130mの結晶質石灰岩が,内子町上日の地から内子町喜田村まで連続する.野外では白色ないし灰白色を呈する.

変成チャート(Kq)

最大層厚1,200mの厚い変成チャートが内子町大久喜おおぐきから東方へ内子町只海ただのうみ川上にかけて連続する.これ以外の変成チャートの層厚は70m以下である.野外では白色,灰白色,灰色,灰緑色,肌色,赤色,黒色など様々な色を示す.厚さ2~5cm程度の石英からなる層の間に変成泥岩が挟まれる層状構造が認められる.しばしば著しい褶曲構造を示すことがある(第4.7図f).

泥質片岩(Kp)

最大層厚290mの泥質片岩が内子町本村から内子町立石八ツ松にかけて連続する.これ以外の泥質片岩の層厚は50m以下である.泥質片岩は黒灰色ないし銀灰色を呈する.片理にほぼ平行な石英脈が発達する.部分的に微褶曲が発達する.泥質片岩は厚さ2m以下の変成チャートのレンズ状ブロック(第4.7図g)及び厚さ15cm以下の変成砂岩のレンズ状ブロックを特徴的に含む.

4.7 内子ユニット

内子ユニットは佐藤(1929)の御荷鉾層,秀(1972)の大洲層にほぼ相当する.

内子ユニットは大洲市平野町平地ひらじから内子市街地を経て内子町大瀬中央にかけての地域に帯状に分布する.分布の延びの方向は東北東―西南西方向もしくは東西方向であり,分布幅は約2~7kmである.本ユニットの北限は大洲市高山寺こうせんじ山より東北東方向に延びる高角断層により区切られ,その北側には伊予ユニットが分布する.この高角断層は内子町幟立のぼりたてから水無権現にかけての地域で主に北北西―南南東方向の断層で変位する.本ユニットの南限は,大洲市街地東方では東西から東北東方向に延びる高角断層により境され,その南側に神南ユニットが分布する.なお,この高角断層は大洲市平畑付近で西北西―東南東方向の断層で変位する.大洲市街地西方では,本ユニットの南側に神南ユニットの変成岩類が分布する.両者の関係は第四系に覆われるため明瞭ではないが,冨士山東方の場合と同様に両者の境界は断層と考えられる.

内子ユニットは泥質片岩から主に構成され,これに少量の苦鉄質片岩,珪質片岩,砂質片岩,石灰質片岩を伴う.ただし,地質図に示す規模の砂質片岩及び石灰質片岩は認められなかった.本ユニットの変成岩類の片理の走向は東北東―西南西方向が卓越し,傾斜は50~60°程度の北傾斜が卓越する.

4.7.1 岩相

苦鉄質片岩(Um)

層厚200m以下の苦鉄質片岩が本ユニットの南部に出現する.側方への連続性は良くない.黄緑色,濃緑色を呈する.色調の異なる薄層が繰り返す場合があり,これに平行な片理が発達する(第4.9図a).やや変形した枕状溶岩の構造を示す部分が認められることがある(第4.9図b).

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第4.9図 内子ユニットの主な岩相

(a) 縞状構造を呈する苦鉄質片岩(喜多郡内子町石積).

(b) 枕状溶岩起源の苦鉄質片岩(喜多郡内子町石積).

(c) 緻密な外観を呈する珪質片岩(喜多郡内子町程内の南方).

(d) 片理にほぼ平行な石英脈が発達する泥質片岩(喜多郡内子町石積).

(e) 砂質片岩(喜多郡内子町富浦).

(f) 薄い石灰質片岩を挟む泥質片岩(喜多郡内子町知清の南方).

ハンマーの長さは約34 cm.(b) と (f) のスケールの長さは約17 cm.

岩石記載

パンペリー石緑れん石アクチノ閃石緑泥石片岩(GSJ R88381)

  • 第4.10図a,大洲市山高)

    主要構成鉱物は緑泥石,アクチノ閃石,緑れん石,パンペリー石,石英,アルバイト,フェンジャイト,リューコクシンであり,少量の炭酸塩鉱物を伴う.緑泥石,アクチノ閃石の形態定向配列による片理がよく発達している.パンペリー石は緑色の細かな柱状結晶の集合体である.

緑れん石緑泥石アクチノ閃石片岩(GSJ R88382)

  • 第4.10図b,喜多郡内子町中土)

    主要構成鉱物は残留単斜輝石,アクチノ閃石,緑泥石,緑れん石,アルバイトであり,少量の石英を伴う.アクチノ閃石,緑泥石は形態定向配列をなし,片理を形成している.アクチノ閃石は淡緑色の長柱状結晶である.

珪質片岩(Uq)

層厚は40m以下である.野外において淡灰色,白色,まれに黒色を示し,比較的緻密な外観を呈する(第4.9図c).変形した層状チャート様の外観を示す場合もある.

泥質片岩(Up)

本ユニットにおいて最も広範囲に出現する.泥質片岩は黒色,暗灰色,銀灰色を呈する.片理にほぼ平行な大小さまざまな石英脈が発達する(第4.9図d).石英脈の発達の程度は場所により異なる.全体に微褶曲が発達し,片理にほぼ平行な石英脈が褶曲している.泥質片岩は層厚30m以下の砂質片岩層をはさむことがある.砂質片岩は灰色ないし灰白色を呈し,泥質片岩に比べ片理の発達がやや弱い(第4.9図e).砂質片岩は石英及び斜長石の砕屑粒子を特徴的に含む.またごくまれに泥質片岩は薄い石灰質片岩を挟むことがある(第4.9図f).

岩石記載

緑泥石フェンジャイト片岩(GSJ R88383)

  • 第4.10図c,喜多郡内子町向河内)

    主要構成鉱物はフェンジャイト,緑泥石,石英,アルバイト,石墨であり,少量のスフェーン,不透明鉱物を伴う.フェンジャイト,緑泥石,石墨からなる薄層と石英とアルバイトからなる薄層が数mm程度の間隔で繰り返す縞状構造が発達する.フェンジャイトと緑泥石は形態定向配列をなし,片理を形成している.

緑泥石緑れん石フェンジャイト片岩(GSJ R88384)

  • 第4.10図d,喜多郡内子町石積)

    主要構成鉱物はフェンジャイト,緑れん石,緑泥石,石墨,石英,アルバイトであり,少量のスフェーン,燐灰石,不透明鉱物を伴う.緑れん石は淡黄緑色の半自形から短柱状を示す.フェンジャイト,緑れん石,緑泥石,石墨からなる薄層と石英とアルバイトからなる薄層が数mm程度の間隔で繰り返す縞状構造が発達する.フェンジャイトと緑泥石は形態定向配列をなし,片理を形成している.

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第4.10図 内子ユニットの苦鉄質片岩及び泥質片岩の薄片写真

(a) パンペリー石とアクチノ閃石を含む苦鉄質片岩(大洲市山高).

(b) アクチノ閃石を含む苦鉄質片岩(喜多郡内子町中土).

(c) 泥質片岩(喜多郡内子町向河内).

(d) 緑れん石を含む泥質片岩(喜多郡内子町石積).

Act:アクチノ閃石,Chl:緑泥石,Ep:緑れん石,Pmp:パンペリー石.すべて下方ポーラ.

4.8 伊予ユニット

伊予ユニットは佐藤(1929)の出石層,秀(1972)により三縄層下部層以下の地層・三縄層主部層に対比された地質体,武田ほか(1991)の中山―肱川ナップ(南縁部を除く),佐礼谷ナップ,双海ナップの3つのナップの集合体にほぼ相当する.

本ユニットは大洲市高山寺山より東北東方向へ延びる高角断層の北側から伊予灘沿岸(大洲市長浜町黒田くろんたから伊予市双海ふたみ町上灘)にかけて分布し,苦鉄質片岩,泥質片岩,砂質片岩,珪質片岩,石灰質片岩,変斑れい岩,角閃岩から構成される.本ユニットの見かけの層序を第4.11図に示す.大洲市上須戒から大洲市田処に続く東北―南西方向の高角断層以北では見かけの層厚は3,500m以上である.本地域に広く分布する見かけの層序の中位に位置する厚層の苦鉄質片岩(層厚1,700m;三縄層主部層の一部に相当)を基準に,これより上位の泥質片岩を主体とし角閃岩を伴う部分(三縄層主部層の一部に相当;伊予灘沿岸付近に分布),及びこれより下位の泥質片岩,砂質片岩,苦鉄質片岩を主体とする部分(三縄層下部層以下の地層に相当;伊予ユニット南西部の肱川流域に分布)に区分することができる.見かけ層序の中位に位置する厚層の苦鉄質片岩は,層厚100m以下の泥質片岩及び珪質片岩を挟む.またこの厚い苦鉄質片岩層の見かけ上の上部において,層厚100m以下の変斑れい岩が苦鉄質片岩中に挟まれて産出する.この厚い苦鉄質片岩層より見かけ上の上位に位置し伊予灘沿岸付近に分布する泥質片岩は,これよりもより下位に位置する泥質片岩と異なり,肉眼においてアルバイトの斑状変晶(点紋)がしばしば認められる.またこの泥質片岩の東西方向の分布は主に北北東―南南西方向の断層により変位する.

変成岩類の片理の走向は東西方向が卓越する.片理の傾斜は,全般的には10~30°程度の低角が卓越するが,本ユニット北部では30~50°程度の北傾斜となる.

伊予灘沿岸付近に分布する泥質片岩に伴われる角閃岩はマイロナイト化しており,角閃石はポーフィロクラストを形成する.この角閃岩は本地域北隣の「郡中」地域において,より大規模なものが分布し,唐崎マイロナイトと呼ばれている(吉村・高木,1999武田ほか,2000).武田ほか(2000)は(1)唐崎マイロナイトは低圧型の角閃岩相の変成作用を受けた変成岩類を起源とし,緑色片岩相条件下でマイロナイト化を受けたこと及び(2)唐崎マイロナイトは周囲の泥質片岩と共に三波川変成作用に伴う変形作用を被っていることを示した.彼らの結論に従うと,唐崎マイロナイトは少なくともある時期から周囲の泥質片岩と共に三波川変成・変形作用を被ったと考えられる.そこで,本報告では角閃岩を別のユニットに分けず,伊予ユニットの構成メンバーの一つとして取り扱った.

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第4.11図 伊予ユニットの地質柱状図

地層の対比は秀(1972)に従った.

4.8.1 岩相

角閃岩(Ia)

伊予市双海町大久保閏住うるすみ及び双海町上灘大栄おおえの東方にわずかに分布する.層厚は100m以下である.構成鉱物の量比の違いを反映した緑色部と白色部の縞状構造が発達し,肉眼またはルーペで角閃石粒子が認められる.縞状構造に平行に弱い片理が発達し,比較的緻密な外観を呈する(第4.12図a).角閃岩の縞状構造の走向・傾斜は周囲の泥質片岩の走向・傾斜と調和的である.角閃岩と泥質片岩の岩相境界は両者の片理とほぼ平行である.角閃岩はまれに幅10cm程度のアクチノ閃石岩のレンズを挟むことがある.

岩石記載

角閃岩(GSJ R88385)

  • 第4.13図a,伊予市双海町上灘大栄の北約800m,北隣の「郡中」地域内)

    主要構成鉱物は緑色角閃石,緑れん石,アクチノ閃石であり,これに少量のフェンジャイト,緑泥石,スフェーンが加わる.全体にマイロナイト化しており,緑色角閃石はポーフィロクラストを形成する.アクチノ閃石は淡緑色で長柱状を示し,緑色角閃石の縁に特徴的に出現する.フェンジャイト,アクチノ閃石及び緑泥石は形態定向配列をなし,片理を形成している.

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第4.12図 伊予ユニットの主な岩相

(a) 比較的緻密な外観を呈する角閃岩(伊予市双海町大久保閏住).

(b) 弱い片理が発達する変斑れい岩(大洲市長浜町今坊峯今坊).

(c) 斜長石のポーフィロクラストが認められる変斑れい岩(伊予市双海町串法師).

(d) 苦鉄質片岩の薄層(中央部)を挟む変斑れい岩(大洲市長浜町今坊峯今坊).

(e) 縞状構造が発達する苦鉄質片岩(伊予郡砥部町高市日の浦の北方:東隣の「久万」地域).

(f) 枕状溶岩起源の苦鉄質片岩(喜多郡内子町下横平).

(g) 緻密な外観を呈する珪質片岩(伊予市双海町串上浜の南方).

(h) 微褶曲が発達する泥質片岩(大洲市八多浪).

(i) 砂質片岩のレンズ(中央のやや明るく見える部分)を挟む泥質片岩(大洲市森の北西方).

(j) 砂質片岩層(やや明るく見える部分)を挟む泥質片岩(大洲市中場).

(k) 片理の発達が弱い砂質片岩(大洲市多田).

シャープペンの長さは約14 cm.ハンマーの長さは約34 cm.(e) のスケールの長さは約17 cm.(f) と (g) では,ハンマーは丸印の中にある.

変斑れい岩(Ig)

変斑れい岩は粗粒かつ緻密な外観を呈し,弱い片理が発達する(第4.12図b).緑色の基質中に白色から灰白色の斜長石ポーフィロクラストが含まれる(第4.12図c).斜長石のポーフィロクラストが多数含まれるものは白色から灰白色を呈する(第4.12図d).苦鉄質片岩と変斑れい岩の岩相境界は,両者の片理とほぼ平行である(第4.12図d).

苦鉄質片岩(Im)

本ユニットにおいて最も広範囲に出現する.苦鉄質片岩は黄緑色,緑色,暗緑色を呈する.風化したものは,新鮮なものに比べ色調が淡くなる.変成鉱物の量比の違いを反映したさまざまな色調の層の繰り返しが認められる場合がある(第4.12図e).まれに片理のほぼ平行あるいは斜交する石英脈が発達することがある.また,やや変形した枕状溶岩の構造がまれに認められることがある(第4.12図f).

岩石記載

パンペリー石緑泥石アクチノ閃石緑れん石片岩(GSJ R88386)

  • 第4.13図b,喜多郡内子町高谷)

    主要構成鉱物は緑れん石,アクチノ閃石,緑泥石,パンペリー石,リューコクシン,アルバイトであり,少量の石英,不透明鉱物を伴う.アクチノ閃石,緑泥石は形態定向配列をなし,よく発達した片理を形成している.パンペリー石は緑色の細粒結晶集合体を示し,その集合体は常に緑れん石によって取り囲まれている.

緑泥石緑れん石アクチノ閃石片岩(GSJ R88387)

  • 第4.13図c,喜多郡内子町石畳いしだたみ落合)

    主要構成鉱物はアクチノ閃石,緑れん石,緑泥石,アルバイト,リューコクシンであり,これに少量の石英,炭酸塩鉱物が加わる.アクチノ閃石,緑泥石の形態定向配列による片理がよく発達している.アクチノ閃石は淡緑色の長柱状の形態を示す.

緑泥石緑れん石アルカリ角閃石片岩(GSJ R88388)

  • 第4.13図d,伊予市双海町大久保東越の東約1,300m)

    主要構成鉱物はアルカリ角閃石,緑れん石,緑泥石,アルバイト,リューコクシンであり,これに少量の石英,不透明鉱物,炭酸塩鉱物が加わる.アルカリ角閃石,緑泥石は形態定向配列をなし,よく発達した片理を形成している.アルカリ角閃石はやや緑がかった青色から淡青緑色を示す長柱状結晶である.不透明鉱物は柱状の形態を示し,おそらく赤鉄鉱と思われる.緑泥石及び緑れん石は,前述の緑泥石緑れん石アクチノ閃石片岩中のものに比べより濃い色調を示す.

石灰質片岩(Il)

層厚10m以下の薄い石灰質片岩が大洲市長浜町下須戒しもすがい峯大越の西方に分布する.下位は厚い苦鉄質片岩である.片理が発達する白色の片岩で,ほとんど方解石のみから構成される.

珪質片岩(Iq)

層厚は80m以下であり,側方への連続性は良くない.白色,灰白色,灰色,黒灰色,淡赤色,赤色など様々な色を呈し,緻密な外観を示す(第4.12図g).赤みがかつて見えるものは赤鉄鉱を含む.

泥質片岩(Ip)

泥質片岩は黒色,暗灰色,銀灰色を示す.片理にほぼ平行な石英脈が発達するが,石英脈の発達の程度は場所により異なる.全体に微褶曲が発達し,片理にほぼ平行な石英脈が褶曲している(第4.12図h).砂質片岩の近傍の泥質片岩はしばしば砂質片岩の薄層またはレンズを挟む(第4.12図i).見かけの層序の最上位に位置する泥質片岩は,本地域北部の伊予灘沿岸付近に分布する.この泥質片岩には,しばしば肉眼においてアルバイト斑状変晶(点紋)が認められ,ざくろ石が出現することがある.大洲市中場の北方から春賀はるかにかけての付近では,泥質片岩中に層厚10m以下の砂質片岩をしばしば挟むが(第4.12図j),地質図に示す規模ではないため泥質片岩(Ip)として地質図上で塗色した.

岩石記載

緑泥石フェンジャイト片岩(GSJ R88389)

  • 第4.13図e,喜多郡内子町石畳岡の成の北約1,700m)

    主要構成鉱物はフェンジャイト,緑泥石,石墨,石英,アルバイトであり,少量のスフェーン,燐灰石,電気石を伴う.フェンジャイト,緑泥石,石墨からなる薄層と石英とアルバイトからなる薄層が数mm程度の間隔で繰り返す縞状構造が発達する.フェンジャイトと緑泥石は形態定向配列をなし,片理を形成している.

緑泥石緑れん石フェンジャイト片岩(GSJ R88390)

  • 第4.13図f,大洲市居場)

    主要構成鉱物はフェンジャイト,緑れん石,緑泥石,石墨,石英,アルバイトであり,少量のスフェーン,燐灰石,炭酸塩鉱物を伴う.緑れん石は黄緑色の柱状を示す.また緑れん石は片理にほぼ平行な細粒結晶集合体の脈を形成することがある.フェンジャイト,緑れん石,緑泥石,石墨からなる薄層と石英とアルバイトからなる薄層が数mm程度の間隔で繰り返す縞状構造が発達する.フェンジャイトと緑泥石は形態定向配列をなし,片理を形成している.

ざくろ石緑泥石フェンジャイト片岩(GSJ R88391)

  • 第4.13図g,伊予市双海町大久保日喰ひじきの北西約800m)

    主要構成鉱物はフェンジャイト,緑泥石,ざくろ石,アルバイト,石英,石墨であり,少量の電気石,燐灰石,スフェーンを伴う.フェンジャイト,緑泥石,石墨からなる薄層と石英とアルバイトからなる薄層が数mm程度の間隔で繰り返す縞状構造が発達する.フェンジャイトと緑泥石は形態定向配列をなし,片理を形成している.アルバイト斑状変晶が認められる.ざくろ石は自形を示し,アルバイト斑状変晶中及び基質中に産する.

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第4.13図 伊予ユニットの角閃岩,苦鉄質片岩,泥質片岩及び砂質片岩の薄片写真

(a) 角閃岩(伊予市双海町上灘大栄の北約800 m:北隣の「郡中」地域).

(b) パンペリー石とアクチノ閃石を含む苦鉄質片岩(喜多郡内子町高谷).

(c) アクチノ閃石を含む苦鉄質片岩(喜多郡内子町石畳落合).

(d) アルカリ角閃石を含む苦鉄質片岩(伊予市双海町大久保東越の東約1,300 m).

(e) 泥質片岩(喜多郡内子町石畳岡の成の北約1,700 m).

(f) 緑れん石を含む泥質片岩(大洲市居場).

(g) ざくろ石を含む泥質片岩(伊予市双海町大久保日喰の北西約800 m).

(h) 砂質片岩(大洲市戒川石堂の西約600 m).

Ab:アルバイト斑状変晶,Act:アクチノ閃石,Chl:緑泥石,Ep:緑れん石,Gr-amp:緑色角閃石,Grt:ざくろ石,Kfs:カリ長石の砕屑粒子,Na-amp:アルカリ角閃石,Pl:斜長石の砕屑粒子,Pmp:パンペリー石,Qtz:石英の砕屑粒子.(h) は直交ポーラ,他は下方ポーラ.

砂質片岩(Is)

砂質片岩は見かけの層序の下位に出現し,本ユニット南西部の肱川流域に分布する.灰色から灰白色を示し,片理の発達は弱く塊状に近い(第4.12図k).ルーペにより石英及び長石の砕屑粒子が認められる.風化したものは,新鮮なものに比べより白っぽい外観となる.

岩石記載

砂質片岩(GSJ R88392)

  • 第4.13図h,大洲市戒川かいかわ石堂の西約600m)

    主要構成鉱物は石英,アルバイト,フェンジャイト,斜長石,カリ長石であり,少量の緑泥石,石墨,炭酸塩鉱物,ジルコンを伴う.斜長石,カリ長石,石英の長径0.2~1mm程度の砕屑粒子を多く含む.フェンジャイトの形態定向配列による片理が発達し,砕屑粒子の長軸は片理に平行である.石英の砕屑粒子は波動消光を示す.

4.9 変成作用及び変成年代

各ユニットは,苦鉄質岩の鉱物組み合わせに基づくと,低温高圧型の変成作用を受けている.各ユニットの苦鉄質岩中の変成鉱物の分布を第4.14図に示す.福岡ユニット,神南ユニット,内子ユニットではパンペリー石十アクチノ閃石+緑れん石+緑泥石の組み合わせによって特徴づけられるパンペリー石―アクチノ閃石相(饗場,1982)の変成作用を被っている.中居谷ユニットからは上述の組み合わせは発見できなかったが,パンペリー石+アクチノ閃石+緑泥石+スティルプノメレンの組み合わせが認められ,これによって特徴づけられるパンペリー石―アクチノ閃石相(橋本,1966)の変成作用を上記ユニットと同様に被っている.榊原ほか(1998)は南隣の「卯之町」地域の大洲ユニットから苦鉄質岩を見出し,その鉱物組み合わせから大洲ユニットはパンペリー石―アクチノ閃石相の変成作用を受けていることを示した.伊予ユニットでは,ユニット南部でパンペリー石+アクチノ閃石+緑れん石+緑泥石の組み合わせが認められるのに対して,北部ではパンペリー石は出現せず,赤鉄鉱を含まない場合は緑れん石+アクチノ閃石+緑泥石で,そして赤鉄鉱を含む場合は緑れん石+アルカリ角閃石+緑泥石の組み合わせによって特徴づけられる(第4.14図).このことは,(1)伊予ユニット南部はパンペリー石―アクチノ閃石相の変成作用を被っており,(2)同ユニット北部は南部よりも変成度が高く緑色片岩相と藍閃石片岩相との間の中間的な性質の変成作用を被っていることを示している.北部地域の見かけ層序の最上位付近からはパンペリー石が出現しないことから,伊予ユニットでは見かけ層序の下位から上位に向かって変成度が上昇していると考えられる.

伊予ユニットを除く各ユニットの泥質岩の鉱物組み合わせは緑泥石+フェンジャイトであり,ざくろ石を欠く.

したがって伊予ユニットを除く各ユニットの変成度は緑泥石帯(東野,1990)に相当する.伊予ユニットでは,北部の伊予灘沿岸付近に分布する見かけ層序の最上位に位置する点紋泥質片岩はしばしばざくろ石+緑泥石+フェンジャイトの鉱物組み合わせを示し(第4.15図),少なくともこの点紋泥質片岩が分布する部分はざくろ石帯(東野,1990)に属すると考えられる.点紋泥質片岩より構造的下位に位置する部分(厚層の苦鉄質片岩を主体とする三縄層主部層の一部及び泥質片岩,砂質片岩,苦鉄質片岩を主体とする三縄層下部層以下の地層)では泥質片岩からざくろ石は1試料を除いて認められず,伊予ユニットのかなりの部分が緑泥石帯に属すると考えられる.三縄層主部層の厚層の苦鉄質片岩分布域から例外的に見出された含ざくろ石泥質片岩は本地域北西隅の秦皇山南方から産出した(第4.15図).このことから三縄層主部層に対比される厚い苦鉄質片岩層のある層準から上位の部分がざくろ石帯に属すると考えられる.おそらく三縄層主部層の厚い苦鉄質片岩層分布域内にざくろ石帯と緑泥石帯との境界が存在すると思われるが,泥質片岩の分布が限られるため本研究では明確な境界線を確定することができなかった.

内子ユニットから泥質片岩1試料,伊予ユニットの見かけの層序の下位の部分(三縄層下部層以下の地層に相当する部分)から泥質片岩1試料を採取し,フェンジャイトのK-Ar年代を測定した(第4.1表).これらの試料は三波川変成コンプレックスの低変成度部である緑泥石帯より得られた.内子ユニットのK-Ar年代は約95Maであった.また伊予ユニットのK-Ar年代は約87Maであった.三波川変成作用のピーク年代は約ll6Maと考えられている(Isozaki and Itaya, 1990).そして冷却年代(K-Ar年代及びAr-Ar年代)はほぼ70~100Maであると考えられている(Itaya and Takasugi, 1988Takasu and Dallmeyer, 1990).今回得られたフェンジャイトK-Ar年代(約95Ma及び約87Ma)は上述のK-Ar年代及びAr-Ar年代の範囲(70~100Ma)の中に入る.

「大洲」地域周辺に分布する伊予ユニット・神南ユニット・大洲ユニット・中居谷ユニットの延長部分と考えられる変成岩ユニットから得られた泥質岩のフェンジャイトK-Ar年代が報告されている.磯﨑ほか(1990)は,本地域南隣「卯之町」地域の大洲市鳥首に分布する変成した秩父累帯北帯付加コンプレックスを構成する泥質千枚岩のフェンジャイトK-Ar年代141.3Maを報告した.この変成した付加コンプレックスは中居谷ユニットの南西側延長部に相当すると考えられる.榊原ほか(1998)は本地域南隣「卯之町」地域に分布する変成した秩父累帯付加コンプレックスを構成する泥質岩のフェンジャイトK-Ar年代を報告し,大洲ユニットの南側延長部では86.7~90.1Ma,中居谷ユニットの南西側延長部と考えられる地質体[榊原ほか(1998)の肱川ユニットの一部]では98.4~108.6Maである.君波ほか(2008)は南隣「卯之町」地域北西隅付近の大洲ユニットの南西側延長部に相当する変成した付加コンプレックス[君波ほか(2008)の大洲ユニット1]の泥質岩からフェンジャイトK-Ar年代として79.7及び84.8Maを報告した.武田ほか(1993)は南西隣「八幡浜」地域の御荷鉾緑色岩類に挟まれる泥質片岩のフェンジャイトK-Ar年代(88.6~97.1Ma)を報告した.更に武田ほか(2000)は,北隣「郡中」地域において,伊予ユニットの見かけの層序の最上位に位置する泥質片岩層の東側延長部[Takeda et al.(1981)の双海ナップ]からフェンジャイトK-Ar年代80.0~80.8Maを報告した.

榊原ほか(1998)は,彼らによって得られた大洲ユニット及び中居谷ユニットの延長部に相当する変成した秩父累帯付加コンプレックスのフェンジャイトK-Ar年代は約87~109Maの年代範囲に収まり,四国中央部の御荷鉾緑色岩類を構成する泥質岩及び御荷鉾緑色岩類分布域近傍の低変成度(緑泥石帯)の泥質な三波川結晶片岩の全岩40Ar-39Ar年代約85~98Ma(Takasu and Dallmeyer, 1990Dallmeyer et al., 1995)とかなり重複することから,四国西部の変成した秩父累帯付加コンプレックスは三波川変成作用を受けたことを示した.更に,榊原ほか(1998)は,上述の年代約87~109Maに比べ,磯﨑ほか(1990)によって得られた中居谷ユニットの延長部に相当する変成した秩父累帯付加コンプレックスの年代約141Maは明らかに古いことを指摘し,この古い年代を三波川変成作用以前の続成作用もしくは低温変成作用の不完全な若返りを反映した年代値と解釈した.本報告では榊原ほか(1998)に従い,本地域南隣「卯之町」地域に分布する中居谷ユニットの南西側延長部と考えられる地質体が受けた変成作用の年代は約98~109Maであると考えた.

「大洲」地域周辺において他の研究者により変成年代が得られた変成岩ユニットと本報告で区分したユニットとの対比が正しいと仮定した場合,本報告により得られた年代値とこれまでに報告された年代値をまとめると,伊予ユニット(約80~87Ma),内子ユニット(約95Ma),神南ユニット(約89~97Ma),中居谷ユニット(約98~109Ma)の順に南に行くほど古くなる傾向が認められる.ただし,大洲ユニットの年代範囲(約80~90Ma)はより北側に位置する神南ユニットや内子ユニットの年代範囲よりもやや新しく,むしろ伊予ユニットのそれに近い.

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第4.14図 苦鉄質岩中の変成鉱物の分布図
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第4.15図 伊予ユニットにおける泥質片岩中の変成鉱物の分布図
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第4.1表 三波川変成コンプレックス変成岩のフェンジャイト K–Ar 年代

第5章 岩脈(Dy)

(坂野靖行)

大洲市戒川樫谷から伊予市双海町上灘奥大栄おくおおえにかけて珪長質岩脈が三波川変成コンプレックスの伊予ユニットに貫入している.接触部が観察された近くの地点では,両者の境界面はほぼ直立である(第5.1図a).最も規模の大きなものは伊予市双海町串奥東から東北東方向に延び,伊予市双海町上灘奥大栄で北方向に屈曲して分布するもので,その最大の分布幅は1,100mである.この岩体には柱状節理が発達する部分がある(第5.1図b).これ以外の珪長質岩脈の分布幅は150m以下である.

珪長質岩脈は斜長石,黒雲母の斑晶を含み,基質がマイクロ結晶質な流紋岩ないしデイサイトである.灰色,淡灰色,灰白色を示す.肉眼において六角板状の黒雲母と柱状の斜長石の斑晶が認められることが多いが,肉眼で斑晶があまり目立たないものもある.斑晶があまり目立たないものにはいくらか色調の違う部分が縞状構造を示すことがある.大洲市戒川樫谷から長浜町黒田無事喜地へ至る道路沿いに分布する珪長質岩脈は上述のものとはやや岩相が異なり,斜長石,角閃石,斜方輝石斑晶を含み基質がマイクロ結晶質なものである.斜方輝石斑晶は単斜輝石の反応縁を持つことがある.

内子町牛ノ峯地蔵の南方(林道牛ノ峯線沿い)では珪長質岩脈は熱水変質作用を被っており,塊状の火山岩が部分的にやや黄色を帯びた白色粘土に変化している(第5.2図a).そして変質部の粘土化した部分では同心円状の赤褐色の帯が特徴的に出現する(第5.1図b,c).変質部と非変質部との境界は明瞭である(第5.1図a,b).

珪長質岩脈近傍の伊予ユニットの岩石は接触変成作用を受けて再結晶しているが,岩脈による接触変成作用の程度は大きくない.最も規模の大きな岩脈近傍では,岩脈から約30mの範囲内で苦鉄質片岩中にデカッセイト組織を示す大変微細な角閃石の集合体が認められることがある.

田崎ほか(1993)は,堀越(1964)により石鎚層群黒森層相当とされていた中央構造線に沿って分布する珪長質火山岩類の研究を行った.このうち伊予市双海町上灘の明神山岩体,内子町の石畳いしだたみ岩体,温泉郡川内町の土谷岩体は流紋岩質岩であることを示し,これらを明神山型酸性火山岩と一括して呼んだ.「大洲」地域において最大規模の珪長質岩脈は,田崎ほか(1993)の明神山型酸性火山岩体の石畳岩体に相当する.田崎ほか(1993)より石畳岩体の珪長質火山岩の全岩化学組成(第5.1表)及び斜長石K-Ar年代14.1Maが報告されている.

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第5.1図 岩脈

(a) 伊予ユニットの苦鉄質片岩(右)に貫入する珪長質岩脈(左)(伊予市双海町串鳥越峠の北方).丸印内のハンマー付近が境界.

(b) 柱状節理が発達する珪長質岩脈(喜多郡内子町石畳の北方).

(a),(b) ともにハンマーの長さは約34 cm.

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第5.2図 岩脈中に発達する変質帯

(a) 珪長質岩脈中に見られる脈状の形態を示す変質帯(中央)(喜多郡内子町石畳の北方).

(b) 珪長質岩脈中の楕円状の形態を示す変質帯(喜多郡内子町石畳の北方).

(c) 同心円状の赤褐色の帯が出現する変質帯(喜多郡内子町石畳の北方).

ハンマーの長さは約34 cm.(a) ではハンマーは丸印の中にある.

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第5.1表 岩脈の全岩化学組成(wt.%)

岩石記載

黒雲母デイサイト(GSJ R88455)

  • 第5.3図,喜多郡内子町石畳小狭の北約1,400m)

    斑晶として斜長石,黒雲母を含む.石基はカリ長石,斜長石,石英,黒雲母からなる.このほかに副成分鉱物として炭酸塩鉱物,不透明鉱物,ルチル,燐灰石を含む.斜長石及び黒雲母の斑晶は長径0.5~3mm程度の自形結晶である.斜長石の斑晶は累帯構造を示し,割れ目に炭酸塩鉱物が生成することがある.また全体が炭酸塩鉱物に置き換わった柱状を示す斑晶仮像(長径1.5mm以下)も出現する.この仮像はしばしばルチルを伴う.石基の斜長石は長径0.2mm以下の柱状をなし,カリ長石と石英は長径0.2mm以下の他形結晶である.石基の黒雲母は長径0.1mm程度の自形から半自形結晶である.

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第5.3図 岩脈の薄片写真

斜長石と黒雲母の斑晶を含む黒雲母デイサイト(喜多郡内子町石畳小狭の北約 1,400 m).

Bt:黒雲母斑晶,Car:炭酸塩鉱物からなる斑晶仮像,Pl:斜長石斑晶.直交ポーラ.

第6章 第四系

(水野清秀)

6.1 概要と研究史

四国西部に位置する肱川及びその支流に沿って,未固結堆積物が点々と分布している(鹿島ほか,1991満塩・鹿島,2000など).これらの地層は,古くから四国西部の地形発達や地殻変動の指標として使われてきた.また,最近では堆積物に挟まれるテフラの年代測定や植物化石などに基づいて層序区分や年代の推定が行われている.

大洲市街地の東方や内子・五十崎市街地の周辺に第四系が分布することは7万5千分の1「久万」図幅(佐藤,1929)に示されていたが,今村・三野(1932)三野(1933)は,肱川下流域に分布する浸食面・段丘面を3つに区分し,堆積物の記載を行うと共に,それらの分布に基づいて地殻変動の議論を行っている.地殻変動量については,第1章で触れたように,更に桑代(1962)を経て,Ohmori(1990)中田(1996)熊原(1998)らによって定量的な議論が行われている.

堆積物の層序や分布については,永井・宮久(1972)永井・鹿島(1972)によって,5万分の1のスケールでかなり具体的な分布が示された.また高橋(1974)は大洲市菅田町菅田に分布する堆積物の花粉分析を行い,鹿島ほか(19811982)水野・吉川(1991)は,肱川流域に分布する第四系に挟まれているテフラについて記載や対比を行っている.更に浅野ほか(1992)鹿島(1996)は第四系に挟まれているいくつかのテフラのフィッション・トラック年代測定を報告している.熊原(1998)は,このような研究を背景にして肱川流域の第四系を細分し,詳細な分布図を示した.この分布図をもとに,小池・町田編(2001)では5万分の1地形図上に各地形面の分布が表現されている.また山下ほか(2006)は,大洲・内子盆地の第四系を同様に細分し,詳細な地質図を示している.一方,肱川上流域にある宇和盆地の地下第四紀地質については,清水ほか(1980)をはじめとして,宇和町深層水源調査会(2007)川村・篠原(2008)などの報告があり,周辺の第四紀層の模式層序を構築する上で重要である.これらのほか,肱川支流や周辺地域に分布する第四系に関する報告・論文は多数にのぼっている.そのほか「大洲」地域及びその周辺の第四系について総括したものとして,鹿島ほか(1991)鹿島(1996)満塩・鹿島(2000)などがある.

これまでの研究によると,「大洲」地域及びその周辺の第四系は,沖積層,段丘堆積物のほか,更に古いいくつかの地層群に区分されてきた.「大洲」地域の範囲に限定すると,永井・宮久(1972)は沖積層以外の第四系を,大洲礫層・内子礫層と段丘礫層に,熊原(1998)は4つの段丘面構成層と段丘層に覆われるより古い地層に,山下ほか(2006)は段丘堆積物を3つの累層,それらより古い地層を冨士とみす山層,内子層,大洲層の3つに区分した.しかしながら,各研究者による地層群区分の基準は必ずしも同じではない.

段丘面を残していない地層群は,礫層を主体としていて,層相に基づいて区分することは極めて難しい.しかし地層に挟まれる火山灰層のフィッション・トラック年代や記載岩石学的特徴に基づく対比,産出する植物化石に基づく年代の推定などが行われてきた.フィッション・トラック年代測定の結果によると,段丘面を残していない地層は,中期更新世前半の地層群と,前期更新世の地層に分けられ(浅野ほか,1992鹿島,1996;本報告),また植物化石からは前期更新世以前の層準を示すメタセコイアを含む地層と含まない地層に分けられ(水野,2001山下ほか,2006),少なくとも2つの時代の地層群に区分ができる(水野,2001).詳細にみると両層の分布高度にも違いが認められることから,本報告では段丘面を残していない地層を下位より冨士山層(再定義),五百木いよき層(新称)に2分した.ただし,2層のどちらに属するかの判断基準が見つからない地域や冨士山層と五百木層の分布が重なっているがその境界が不明である場合もあり,そのような場合には,分布地点の標高から判断して区別した.

一方,段丘面が保存されている地層群は,段丘面と現河床との比高や開析の程度,堆積物の風化の程度などから,高位段丘堆積物,中位段丘堆積物,低位段丘堆積物の3つの地層群に区分した.完新世堆積物(いわゆる沖積層)は扇状地及び崖錐堆積物,自然堤防堆積物,後背湿地及び谷底低地堆積物,現河床堆積物に区分した.

6.2 冨士山層(Tm)

冨士山層の主要な露頭位置を第6.1図に,地質柱状図を第6.2図に示す.

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第6.1図 冨士山層,五百木層及び段丘堆積物の主な露頭位置

各地点番号は,第6.2図に対応.国土地理院発行の5万分の1地形図「大洲」使用.

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第6.2図 冨士山層,五百木層及び高位段丘堆積物の地質柱状図

各地点位置は,第6.1図参照.

定義

山下ほか(2006)の命名による.山下ほか(2006)は,大洲市冨士山東方の上西付近に分布する地層を冨士山層と呼んだため,ここを模式地とする.冨士山北麓や大洲市徳森とくもりなどに分布する,熊原(1998)のM段丘面構成層,山下ほか(2006)が中位段丘堆積物とみなした菅田すげた層は,段丘面を保持している新しい地層ではなく,平坦面はかなり開析されており,高位段丘堆積物よりは古いと考えられる.これらの地層は冨士山層と区別できないと判断して冨士山層に含めた.また,大洲市喜多山や内子町五十崎付近に分布する,熊原(1998)がH2段丘面構成層とした地層,山下ほか(2006)が内子層及び大洲層と呼んだ地層の一部は,後述するようにフィッション・トラック年代値や植物化石から冨士山層と同じ下部更新統と考えられ,別の地層とする積極的な根拠に乏しいため,冨士山層に含めた.これらの地層は永井・宮久(1972)が大洲礫層・内子礫層と呼んだ地層群にほぼ相当する.

分布

大洲市冨士山山麓部の菅田町菅田,田口,市木,徳森,菅田町宇津,内子市街地周辺の大洲市恋木こいのき南部,喜多山,内子町内子,五十崎,重松などに分布し,ほぼ水平に堆積している.分布標高は,後述する五百木層よりも一般的に低く,海抜20m付近から140m程度である.ただし神南山の山麓部では標高200m前後まで分布するところがみられる.

層厚

大洲市田口付近で最大60m以上,大洲市藤の川付近では最大150m程度,内子町五十崎で最大80m程度.

層相

中礫大礫サイズの結晶片岩,チャート,石英などの亜円―亜角礫からなる礫層が主体であり,薄いシルト層を挟むことが多いが連続性に乏しい(第6.3図).特に上部の層準では広域的に礫層が発達する.冨士山東部の上西(第6.16.2図の地点9周辺)ではシルト層優勢で有機質の部分も見られる.また火山灰層を数枚挟んでいる(山下ほか,2006).内子町五十崎付近でも,特に下部の層準にシルト層や火山灰層が挟まれている.神南山山麓部にあたる大洲市板野(地点10),藤の川,内子町五十崎古田では,淘汰の悪い中礫―巨礫(最大40cm)サイズの亜角―角礫層が厚く堆積していて,扇状地的な環境であったと推定される.

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第6.3図 冨士山層の代表的な層相である礫層の露頭

(喜多郡内子町五十崎古田,第6.16.2図の地点16)

テフラ

大洲市上西(第6.1図の地点8)では,有機質の部分を含むシルト主体層中から,冨士山1―冨士山12と呼ばれる12枚の薄い火山灰層が確認されている(山下ほか,2006).このうち最上位の冨士山12火山灰層は,大阪層群のピンク火山灰層(吉川,1976など:約1.0Ma)に対比される可能性が高いとされた(山下ほか,2006).浅野ほか(1992)は,大洲市喜多山の地層中から得られた火山灰層のフィッション・トラック年代を1.57±0.28Maと求めている.この火山灰層の正確な採取地点は不明であるが,付近の地点13(第6.1図参照)では,基盤岩を薄く覆って分布する礫層中に厚さ約80cmの風化した火山灰層があり,重鉱物として黒雲母とカミングトン閃石が含まれている.

植物化石

大洲市上西の地点9(第6.1図参照)では有機質シルト層からメタセコイア(Metasequoia)の球果,オオバラモミ(Picea koribai)の球果及び葉が産出した(千葉大学,百原新博士同定).山下ほか(2006)は上西でメタセコイアのほか,ヒメブナ(Fagus microcarpa)の殻斗,サワラ(Chamaecyparis pisifera)の球果などを報告している.更に内子町五十崎黒内坊くろちぼうで,メタセコイアの枝,サワラの球果などを採取している.高橋(1974)は,大洲市徳森の有機質粘土の花粉分析を行うとともに,14C年代測定値18,020±490yBPを報告している.この年代値から最終氷期の地層としているが,そのほかに大型植物化石として,近畿地方では約120万年前に絶滅したとされる(百原,1993)オオバタグルミ(Juglans megacinerea)などの産出を報告しており,14C年代測定値は,測定限界を超えているものと判断される.

年代・対比

メタセコイアやオオバラモミの産出は,近畿地方ではおよそ0.9Ma以前の地層に限られている(百原,1993など).一方,鮮新世の地層から産出するイヌカラマツ,セコイアなどの種類は報告されていない.またテフラの対比やフィッション・トラック年代測定結果を考慮すると,冨士山層の堆積年代は前期更新世であると考えられる.

6.3 五百木層(Iy)

五百木層の主要な露頭位置を第6.1図に,地質柱状図を第6.2図に示す.

定義

新称.模式地は,内子町五百木である.模式地の地層中に挟まれているテフラのフィッション・トラック年代は,後述するように約0.6Maであり,類似した年代値を示す地層や,分布の標高,連続性などから判断して五百木層の同定を行った.模式地周辺での本層を,山下ほか(2006)は内子層としているが,彼らが内子層と呼ぶ模式地の地層とは,明らかに層準が異なっている.また,内子町菖蒲や大洲市新谷にいやなどに分布する本層を,山下ほか(2006)は大洲層と呼んでいるが,大洲層という地層名は,既に秀(1972)が三波川帯の泥質片岩を主体とする岩相に対して用いていることから,使用しない.熊原(1998)がH1段丘面構成層としたものの大部分は,本報告での五百木層に相当するが,その中には本報告で高位段丘堆積物としたものも一部含まれている.

分布

主要な分布地は,大洲市上須戒から東へ新谷,柳沢,喜多山北部,内子町河内かわのうち論田ろんでん城廻しろまわり,川中,五百木,大瀬中央にかけての地域で,基盤岩類を覆って点在する.また大洲市白滝,阿蔵あぞう,内子町福岡付近に点在する地層も五百木層と判断した.更に南隣「卯之町」地域内の大洲市平野町や大洲市肱川町名荷谷などに分布する地層(鹿島ほか,1981)も五百木層に相当すると推定される.これらの地層の基底部の標高をみると,北部の白滝で250~210m,柳沢,河内,川中北部,五百木北部,大瀬中央で200m前後,上須戒,新谷,城廻,五百木南部で150m,大洲市平野町(「卯之町」地域の範囲)で100m前後である.第1章で述べたように,肱川の下流側から上流側の南方へ標高が下がっていて,中央構造線から南の傾動運動が推定される.

層厚

内子町城廻から五百木では最大30m程度であるが,そのほかの地域では20mないし,それ以下である.

層相

冨士山層と類似しており,礫層を主体とする.礫層は,主に結晶片岩,チャート,石英の中礫―大礫サイズの亜円―亜角礫からなり,最大40cmに及ぶ巨礫を含むこともある(第6.4図第6.16.2図の地点5,18など).また大洲市上須戒,内子町菖蒲,五百木などでは薄いシルト層,砂層,テフラ層を挟むことが多い(第6.2図参照).

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第6.4図 五百木層の代表的な層相である礫層の露頭

(喜多郡内子町五百木)

テフラ

五百木層には数枚の火山灰層が挟まれているが,一般に著しく風化している.その中で,内子町菖蒲に分布する菖蒲火山灰層(山下ほか,2006)は厚さ80~90cmのガラス質火山灰層で,黒雲母が点在する様子が肉眼で観察できる(第6.16.2図の地点11).この火山灰層と考えられる層準から鹿島(1996)は0.60±0.13Maのフィッション・トラック年代を報告している.風化しているけれども黒雲母を含んでいることがわかるテフラ層は,少なくとも3枚あり,大洲市松久保(地点3)では観察される3枚の火山灰層には黒雲母が含まれていた.また近くの大洲市伊州子いずし(地点2)ではこれらのうちのどれかに対比されると考えられる厚さ約1mの火山灰層のフィッション・トラック年代が0.65±0.11Maと求められた(第6.1表).更に内子町五百木(地点21)では黒雲母と普通角閃石を含む厚さ約70cmの火山灰層から0.62±0.08Maのフィッション・トラック年代が得られた[測定は(株)京都フィッション・トラックによる].

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第6.1表 五百木層中の火山灰層のフィッション・トラック年代測定値一覧

測定は(株)京都フィッション・トラックによる.

植物化石

山下ほか(2006)は,内子町高森で,サワラ(Chamaecyparis pisifera)の枝などの大型植物化石を報告している.

年代・対比

五百木層に挟まれるテフラのフィッション・トラック年代値からは,五百木層の堆積年代はおよそ0.6Ma前後であると推定できる.複数のテフラの噴出源近くであると考えられる大分県別府湾北岸の杵築地域では,この時代には黒雲母を含む誓願寺せいがんじ軽石層,由布川ゆふがわ火砕流堆積物及び奈多なだ軽石層が分布する(石塚ほか,2005).また別府湾南岸の大分市地域にも誓願寺軽石層,由布川火砕流堆積物が分布する(吉岡ほか,1997)ほか,両テフラ間の層準に黒雲母を含む火砕流堆積物[水野(2001)が横尾火砕流と仮称]がある.水野(2001)は菖蒲火山灰層が横尾火砕流に対比されるとしたが,大分のこれら少なくとも3枚のテフラが五百木層中の火山灰層のどれかと対比される可能性は高い.

6.4 高位段丘堆積物(th)

定義

冨士山層,五百木層に比べて,堆積面(段丘面)がある程度保存されているが,開析の程度は,後述する中位・低位段丘堆積物より大きく,また現河床からの比高も高いものを高位段丘堆積物と呼ぶ.熊原(1998)が内子町内子から東でH2段丘面構成層としている地層及び一部H1段丘構成層としているもの,山下ほか(2006)が内子町五十崎古田付近で古田層と呼んでいる地層の南縁部に分布しているものがこれらに相当する.

分布

大洲市上須戒の上須戒川沿い,内子町五十崎古田,内子市街地東から城廻,五百木,大瀬東にかけての麓川,中山川,小田川沿いに分布する.そのほか本地域北縁部の伊予市中山町佐礼谷されだに西部にも小規模に分布する.

層厚

5~15m程度.

層相

中礫―大礫サイズ(まれに径40cm以下の巨礫)の結晶片岩などの亜円―亜角礫層,場所によっては角礫層から主として構成される.礫層の上位に厚さ2m以下の赤褐色土がのることもある.内子町五十崎古田(第6.16.2図の地点15付近)や内子町川登(地点23)などでは薄いシルト層や風化した火山灰層が挟まれている(第6.5図).

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第6.5図 高位段丘堆積物の露頭(喜多郡内子町五十崎黒内坊,第6.1図6.2図の地点15)

下部の白い層が火山灰層(厚さ1.2 m前後).

テフラ

山下ほか(2006)によると,内子町五十崎古田では4枚のテフラ(黒内坊くろちぼう1~4火山灰層)が挟まれており,特に黒内坊3火山灰層は厚さ2mに及び,火山ガラスなどの屈折率から約0.25Maの阿蘇1テフラ(町田・新井,2003)に対比されている.

植物化石

山下ほか(2006)は内子町五十崎古田に分布する本層中からヒメバラモミ近似種(Picea cf. maximowiczii)の球果,葉,サワラ(Chamaecyparis pisifera)の球果,枝などを報告している.

年代・対比

山下ほか(2006)によるテフラの対比に基づくと,五十崎古田付近の高位段丘堆積物の年代は0.25Ma前後と推定される.それ以外の地域に分布する高位段丘面の形成は必ずしも同時期であるとは限らないので,もう少し年代幅があると推定される.

6.5 中位段丘堆積物(tm)

定義

高位段丘面ほど現河床や沖積面との比高が高くはなく,また段丘面の保存状態も高位段丘面よりは保存されている段丘面が2段存在する.これらを中位段丘面と低位段丘面と呼ぶ.中位段丘面を構成する地層を中位段丘堆積物とする.沖積面との比高は5~20m程度である.中位段丘面は,大洲市菅田町菅田や内子市街地付近で,熊原(1998)がL段丘面,山下ほか(2006)廿日市はつかいち面とした段丘面のうちの高位のものに相当する.

分布

大洲市菅田町菅田,内子市街地北東部,内子町松の木,伊予市中山町佐礼谷などに小規模に分布している.

層厚

10m程度.

層相

堆積物が観察された地点は内子町松の木(第6.1図の地点19)などに限られているが,中礫―巨礫(最大径40cm程度)サイズの結晶片岩を主体とした亜円―角礫層からなる.マトリックスの砂質部は褐色風化していることがある.段丘面は河谷の中央部に向かって緩傾斜を示し,支流の扇状地としての形態を示すところが多い.

年代・対比

年代を特定する資料は得られていないが,最終間氷期から最終氷期前半頃の堆積物と推定される.

6.6 低位段丘堆積物(tl)

定義

現河川に沿って分布し,中位段丘面より低い段丘面を構成している堆積物である.段丘面の沖積面との比高は,2.5~5m程度である.低位段丘面は,大洲市菅田町菅田や内子市街地付近で,熊原(1998)がL段丘面,山下ほか(2006)が廿日市面とした段丘面のうちの低位のものに相当する.

分布

大洲市菅田町菅田,内子町五十崎黒内坊,古田,内子市街地などのほか,小田川沿いなどに小規模に点在している.

層厚

5~10m程度.

層相

堆積物が観察された地点は内子町五十崎黒内坊(第6.1図の地点14)などに限られているが,中礫―大礫サイズ,地域によって巨礫(最大径50cm)サイズを含む結晶片岩の亜円―角礫層を主体とする.礫は極めて新鮮であり,固結度も低い.

年代・対比

年代を特定する資料は得られていないが,最終氷期頃の堆積物と推定される.

6.7 完新世堆積物及び埋立地

完新世堆積物は,沖積面構成層及び現河川の堆積物である.地質図では微地形などに基づき,後背湿地及び谷底低地堆積物,自然堤防堆積物,扇状地及び崖錐堆積物,現河床堆積物に区分した.そのほか,伊予灘沿岸地域には埋立地がみられる.

後背湿地及び谷底低地堆積物(a)

肱川・小田川沿いの低地やそのほかの小規模な河川沿いの低地を埋積する地層であり,固結度の低い,礫層,砂層,シルト層からなる.最も広い分布を示す大洲市街地からその北東の低地では,ボーリング資料によると,N値10以下のシルト主体層が10~22mの厚さで分布しており,有機質の部分も含まれている(愛媛県,1972中国四国農政局計画部,1980中国地方基礎地盤研究会編,1994など).その下位には厚さ10m前後でN値がおよそ20以下の砂礫層やシルト層があり,更に下位にはN値50以上の礫層が認められる.下位のしまった礫層は冨士山層と推定される.

自然堤防堆積物(n)

肱川や小田川下流部の河川沿いに,後背湿地よりも微高地をなして分布しており,後背湿地が主に水田となっているのに対して,畑として利用されていることが多い.ボーリング資料によると,表層部数m程度が砂層や砂礫層からなっているが,それより下位では現河川沿いでは礫層,側方へシルト層主体層に変化している(中国地方基礎地盤研究会編1994などによる).

扇状地及び崖錐堆積物(f)

小規模な支流河川沿いに点在している.これらの中には,斜面崩壊堆積物が再移動したものが含まれている.肱川の北東側の支流から肱川本流による低地に向かって張り出したものが多く,淘汰の悪い角礫層を主体としている.

現河床堆積物(r)

川幅の広い肱川,小田川にみられる河床堆積物であり,礫層を主体としている.

埋立地(rm)

大洲市長浜町拓海の伊予灘沿岸部には広く埋立地が造成されている.また伊予市双海町串上浜でも小規模な埋立地がみられる.

第7章 地質構造

(坂野靖行・水野清秀・宮崎一博)

7.1 陸域の断層

「大洲」地域の地質図に描かれた陸域の断層を第7.1図に抜き出した.三波川変成コンプレックスの各ユニット及びジュラ紀付加コンプレックス(秩父累帯北帯)の地質体は,ほぼ東北東―西南西の方向に延びて地表に露出している.これは,東北東―西南西方向の高角な断層によって変位し,それぞれの分布が区切られていることに起因する.各ユニットを境する断層の傾斜が高角度とする根拠には以下のものがある:(1)ユニット境界に沿って地形的リニアメントがあり,接する二つのユニットの境界は地形的な高低にはあまり支配されず直線的なのびを示す,(2)ユニット境界付近で観察される破砕帯の面構造の傾斜は高角度を示す,(3)福岡ユニット構成岩類の片理は10~30°程度の低角度が卓越するが,北側に位置する神南ユニットとの境界近傍では傾斜が70~80°程度の高角度を示すことがある.

このほか,この地域で顕著なのは,北北西―南南東方向に延びる高角断層とその共役方向である北北東―南南西の方向の高角断層が,それぞれの地質体を分断していることである.この断層は例えば内子町水無権現付近や伊予灘沿岸付近において確認される.この方向の断層は,前述の東北東―西南西方向の断層や,その断層に挟まれた地質体の伸長方向を分断しているので,より新しい時期の断層と考えられる.そして中新世の岩脈の分布がこの断層により分断されている.したがって北北西―南南東及び北北東―南南西の方向の高角断層の少なくとも一部は中新世以降に活動したと推定される.

活断層研究会編(1991)によると本地域の陸域には明瞭な活断層はない.

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第7.1図 「大洲」地域の陸域における主な断層の分布

7.2 海域の活断層

中央構造線活断層系に属する活断層は,四国北部を縦断し,伊予市から伊予灘の海域を通って更に九州の佐賀関北方沖へと続いている(岡田,1992七山ほか,2002など).伊予灘の海底活断層については,緒方(1975)が音波探査を行ったのをはじめ,四国電力株式会社(1984)堤ほか(1990)小川ほか(1992)国土地理院(1992ab19932001)露口ほか(1996)大野ほか(19972004)松岡・岡村(2000)三浦ほか(2001)大塚ほか(20012002)七山ほか(2002)などによって音波探査,ピストンコアリング,ボーリング調査などが実施され,成果がまとめられた.それらの結果によると,「大洲」地域内では,海域に活断層が通過しており,それらは陸上における伊予断層(Saito,1962岡田,1972),あるいは米湊こみなと断層(岡田ほか,1998長谷川ほか,1999)がそのまま南西海域につながるものと,伊予市双海町串のすぐ沖に,海岸と平行に存在するもの(国土地理院,1992a)に分けられる(七山ほか,2002など;第7.2図).

伊予断層から南西方向に雁行状につながる断層帯は,全体として凹地状の地形を伴い,北西側の断層は南東落ち,南東側の断層は北西落ちの正断層であるが,大洲市長浜町今坊こんぼうの沖およそ4kmの位置にある断層群は,南東側落ちのセンスのみである(三浦ほか,2001七山ほか,2002).小川ほか(1992)は,断層の配列や音波探査断面にみられる引きずり込み構造から,いくつかの断層では右横ずれ成分を伴っていると判断した.これらの断層群のうちのいくつかを,堤ほか(1990)大塚ほか(2002)に基づき,第7.2図に示すように上灘沖北断層,上灘沖南断層,下灘沖北断層及び下灘沖南断層と呼ぶ.第7.3図に伊予市双海町串沖における下灘沖北・南断層を横切る音波探査記録と海上ボーリング結果との対比を示す.

堤ほか(1990)は,上灘沖北断層による鬼界アカホヤ火山灰層(約7,300年前:町田・新井,2003)の変位量を最大12.8mと見積もっている.小川ほか(1992)は,上灘沖の音波探査とコアの解析結果から,上灘沖北・南断層の活動時期のうちの2回分を約4,000年前と6,200年前と求めている.三浦ほか(2001)及び大塚ほか(2001)は音波探査とボーリング調査から,上灘沖北断層では完新世に4回の断層活動があったと推定した.それらの時期は,約2,900年前以降,3,300~5,100年前,6,600~7,100年前及び約10,000年前である.また下灘沖南断層では,約6,000年前以降と約10,000年前の断層活動及び約4,000年前の土石流堆積物発生イベントが推定された(大塚ほか,2002).これらのイベントを併せると,断層活動間隔は2,500~3,500年程度と推定される.

今坊から串付近の海岸から250~400m沖にも北西落ちの変位地形を伴う活断層があり,完新世の地層に変位がみられる(国土地理院,1992a三浦ほか,2001).一方,大洲市長浜沖には海底地形には現れないが,完新統を変位させる東西方向の短い断層群が認められる(三浦ほか,2001七山ほか,2002).更にその西から南西方向に向かって,後期更新世以前に活動したとみられる雁行状に分布する断層群がある(七山ほか,2002第7.2図).

七山ほか(2002)は,活断層の分布形態などから,下灘沖北・南断層及びその西方の断層群と串沖の断層の区域を伸張性ジョグと考えた(串沖伸張性ジョグ).その北東側の断層群を伊予セグメントと呼び,ジョグの南西側の断層群を伊予灘セグメントと呼んでいる.なお,産業技術総合研究所活断層データベースでは,串沖伸張性ジョグと伊予セグメントを含めて,伊予長浜沖活動セグメントとしている.また,地震調査研究推進本部地震調査委員会(2003)では,これらの範囲を伊予灘東部断層と呼んでいる.

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第7.2図 「大洲」地域近辺における海底活断層の分布

七山ほか(2002)の第8図を,「大洲」地域近辺のみ抜き出して加筆・簡略化した.原図の作成には七山ほか(2002)独自の調査結果及び原図面作成で用いた四国電力株式会社(1984)国土地理院(1992a, b, 1993, 2001)松岡・岡村(2000)などのデータのほか,陸上の活断層分布は岡田ほか(1998)長谷川ほか(1999)を利用した.緯度・経度は日本測地系.

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第7.3図 伊予市双海町串沖における下灘沖北・南断層を横切る音波探査記録と海上ボーリング結果との対比

大塚ほか(2002)の第2図を転載.大塚ほか(2002)の下灘沖 No.51 測線記録.

7.3 ジュラ紀付加コンプレックス及び三波川変成コンプレックスの地質構造

ジュラ紀付加コンプレックス(秩父累帯北帯)の山鳥坂ユニットを構成する地層の走向は東北東―西南西方向が卓越する.傾斜は10~30°が卓越し比較的緩い.大洲市河辺町川崎付近では東北東西南西方向の軸を持つシンフォームが存在する.山鳥坂ユニットの北限は大洲市肱川町中居谷から東北東に延びる高角断層により切断され,三波川変成コンプレックス(中居谷ユニット及び福岡ユニット)と接する.この境界断層に伴われる破砕帯を3地点において確認した(第7.4図a).

中居谷ユニットを構成する変成岩類の片理の走向は東北東―西南西方向が卓越する.片理の傾斜は10~20°が卓越し比較的緩い.中居谷ユニットの北限は内子町大迫山付近から東北東方向に延びる高角断層に切断され福岡ユニットと接する.福岡ユニットと中居谷ユニットの境界断層は幅約2mの破砕帯を伴う(第7.4図b).

福岡ユニットを構成する変成岩類の片理の走向は東北東―西南西方向が卓越する.片理の傾斜は10~30°が卓越し比較的緩い.福岡ユニットの北限は内子町福岡奈良野付近から東北東方向に延びる高角断層に切断され神南ユニットに接する.神南ユニットと福岡ユニットの境界断層に伴われる破砕帯を内子町東子付近で確認した(第7.4図c).境界断層付近では福岡ユニットの変成岩類の片理の傾斜は70~80°程度の高角になることがある.

神南ユニットを構成する変成岩類の片理の走向は,東部では東北東―西南西方向が,西部では東西方向が卓越する.片理は40~60°程度の北傾斜が卓越する.内子町池窪から下今岡にかけては東西方向から東北東―西南西方向の軸を持つシンフォームが存在する.

大洲市冨士山東方においては,神南ユニットの北限は東部では東北東―西南西方向の高角断層に,西部では東西方向の高角断層によって切断され内子ユニットと接し,南限は東北東―西南西方向の高角断層に切断され福岡ユニットと接する.内子ユニットと神南ユニットの境界断層付近では破砕帯が発達する(第7.4図d).冨士山西方においては,神南ユニットは南北方向の高角断層により冨士山東方における本ユニットの東西方向に延びる分布が途切れ,冨士山付近に分布する神南ユニットの西縁部はこの断層の西側に分布する大洲ユニットと接する.冨士山西方(南北方向の高角断層の西側)の神南ユニットは東北東―西南西方向に延びた細長い帯状に分布し,冨士山付近のものよりも相対的に北側に位置する.冨士山西方の神南ユニットの南限は,東北東―西南西方向の高角断層である大洲―三瓶断層(武田ほか,1977)により切断され大洲ユニットと接する.大洲―三瓶断層は冨士山西方に位置する南北方向の断層(神南ユニットと大洲ユニットの境界断層)により切られると考えられる(第7.1図).冨士山西方に分布する神南ユニットの北方には内子ユニットが分布する.両ユニットの関係は第四系に覆われるため明瞭ではないが,冨士山東方の場合と同様に両者の境界は高角断層と考えられる.両ユニット境界付近(大洲市西大洲)の内子ユニットの変成岩類の片理の走向は東西が卓越し,片理は80°程度の南傾斜で,片理面はほぼ直立している.

大洲ユニットを構成する変成岩類の片理の走向は東西方向が卓越する.片理は70~80°程度の北又は南傾斜が卓越する.

内子ユニットを構成する変成岩類の片理の走向は東北東―西南西方向が卓越する.片理は50~60°程度の北傾斜が卓越する.内子町城廻付近及び内子町大瀬北付近にそれぞれ東北東―西南西方向及び東西方向の軸を持つシンフォームが存在する.シンフォームの北翼の変成岩類の片理の傾斜は10~30°程度の南落ちが卓越し,南翼のものに比べて傾斜が緩い.内子ユニットの北限は大洲市高山寺山より東北東方向に延びる高角断層に境され伊予ユニットと接する.伊予ユニットと内子ユニットの境界断層付近では幅20m以下の破砕帯が発達する(第7.4図e).内子町高谷の東方では,伊予ユニットと内子ユニットの境界断層近傍の内子ユニットにおいて蛇紋岩が林道沿いに50mにわたって分布する(第7.5図).この蛇紋岩はおそらく断層に伴う破砕帯中に産するものと考えられる.

伊予ユニットを構成する変成岩類の片理の走向は東西方向が卓越する.片理の傾斜は全般的には10~30°程度の低角が卓越する.

伊予市中山町佐礼谷下長沢付近から南西方向の大洲市秋葉山付近まで延びる断層の東側と西側とで地質構造がやや異なっている.この断層の東側では南から北の順にアンチフォーム(内子町鎌倉山付近),シンフォーム(伊予市中山町中山陣が森岳付近),アンチフォーム(伊予市中山町中山泉町付近)が存在する.これらのアンチフォーム及びシンフォームは東西方向の軸を持つ.

伊予市中山町佐礼谷下長沢付近から秋葉山付近まで延びる断層の西側では肱川流域とそれ以外とで大きく地質構造が異なっている.肱川流域以外の地域の南側(大洲市秋葉山付近)では片理の傾斜は10~20°が卓越し傾斜は一定せず地質構造は水平に近い.北側(大洲市戒川から内子町石畳より北方)では片理は30°程度の北傾斜となる.ただし内子町石畳の北方に分布する珪長質岩脈の北側では片理の傾斜は50°程度となり南側よりも急になる.

三縄層下部層以下の地層に対比される地質体が分布する肱川流域では小島(1963)及び秀(1972)により指摘されているようにドーム状構造が存在する.秀(1972)はドーム状構造の南部(大洲市八多喜町付近)に横臥褶曲構造の褶曲軸が存在するとした.秀(1972)は,三縄層主部層の苦鉄質片岩が東では大洲市大東おおひがしの南側,西では大洲市打越付近において層厚は急激に薄くなりながらも山麓(大洲市山高付近)まで連続し,この苦鉄質片岩層の傾斜が連続的に変化(北から南に向かって,水平ないし緩傾斜→南への急傾斜→垂直→北傾斜)することを横臥褶曲構造の根拠とした.今回の調査の結果,大洲市打越付近に分布する伊予ユニットの苦鉄質片岩層はその東北に分布する伊予ユニットの砂質片岩層とともに,東北東―西南西方向の高角断層(伊予ユニットと内子ユニットを分ける境界断層に相当する)によってその分布が途切れ,大洲市大東の南側に分布する苦鉄質片岩層に連続しないことが分かった.すなわち大洲市大東の南側に分布する苦鉄質片岩層は内子ユニットの泥質片岩に挟まれる苦鉄質片岩である.このことから本報告では,上述の片理の傾斜の変化はユニット境界の断層により説明可能であり,秀(1972)が想定したような大規模な横臥褶曲構造は存在しないと考えた.

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第7.4図 各ユニットの境界断層付近に発達する破砕帯

(a) 山鳥坂ユニットと中居谷ユニットの境界断層近傍の山鳥坂ユニットの剪断された泥岩.中央のやや暗く見えるレンズ状ブロックは破砕帯中に取り込まれた中居谷ユニットの泥質千枚岩(大洲市肱川町中居谷嘉城:南隣の「卯之町」地域).

(b) 福岡ユニットと中居谷ユニットの境界断層の破砕帯.右側が破砕帯,左側が中居谷ユニットの泥質千枚岩.A–B は境界面の位置を示す(大洲市肱川町中居谷中城).

(c) 神南ユニットと福岡ユニットの境界断層近傍の福岡ユニットの剪断された苦鉄質片岩(喜多郡内子町東子).

(d) 内子ユニットと神南ユニットの境界断層近傍の内子ユニットの剪断された泥質片岩(大洲市徳森西和田).

(e) 伊予ユニットと内子ユニットの境界断層近傍の内子ユニットの泥質片岩中の破砕帯(中央部の矢印の区間)(伊予郡砥部町高市日の浦:東隣の「久万」地域).

ハンマーの長さは約 34 cm.(e) ではハンマーは丸印の中にある.

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第7.5図 伊予ユニットと内子ユニットの境界断層近傍に出現する蛇紋岩(喜多郡内子町高谷)

ハンマーの長さは約 34 cm.

第8章 応用地質

(坂野靖行・水野清秀)

8.1 銅鉱床

「大洲」地域の三波川変成コンプレックスには多数の層状含銅硫化鉄鉱鉱床(キースラーガー)があり,このうち大久喜おおくき鉱山は生産銅量において愛媛県西部では最大として知られている(関根,1991).明治時代には多くの鉱山で採掘されており,野田・神津(1911)にも肱川・大瀬・熊ノ滝・大内滝・平沢の5鉱山の記述がみられる.大正時代及び昭和10年代を中心に盛んに稼行され銅及び硫黄が出荷されたが,大部分の鉱山は昭和20年代までに休山した.そして昭和46年(1971年)の大久喜鉱山の休山により本地域には稼行中の鉱山はなくなった.なお,以下の本節の記述は野田・神津(1911)地質調査所編(1956)高瀬(1959)高瀬・物部(1961)竹田ほか(1973)及び内子町誌編纂会編(1995)による.

各鉱床の位置を第8.1図に示す.鉱床の大部分は「大洲」地域の北東部分に分布する伊予ユニット及び内子ユニット中に産する.大久喜鉱床は神南ユニット中に産する.

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第8.1図 「大洲」地域の休廃止鉱山位置図

国土地理院発行の20万分の1地勢図「松山」使用.

1. 秦鉱山 長沢坑(Cu)

2. 秦鉱山 秦坑(Cu)

3. 中山鉱山(Cu)

4. 中山鉱山 小倉坑(Cu)

5. 平沢鉱山(Cu)

6. 平沢鉱山 長藪坑(Cu)

7. 大瀬鉱山(Cu)

8. 宿茂鉱山(Mn)

9. 宿茂鉱山(Cu)

10. 小倉鉱山(Mn)

11. 石畳鉱山(FeS2

12. 竹の成露頭(FeS2

13. 麓鉱山(FeS2

14. 大喜多鉱山(Mn)

15. 大久喜鉱山(Cu)

16. 大久喜鉱山 大登坑(Cu)

17. 大久喜鉱山 山王坑(Cu)

18. 大久喜鉱山 観音坑(Cu)

19. 大久喜鉱山 第3神南坑(Cu)

20. 大久喜鉱山 四兵ェ坑(Cu)

21. 大久喜鉱山 湊寿坑(Cu)

22. 山神西鉱山(Mn)

23. 藤の川鉱山(Mn)

24. 富久保鉱山(珪石)

8.1.1 伊予ユニット及び内子ユニット中に産する銅鉱床

多くの場合は苦鉄質片岩中に片理に沿ってそれに整合的に,時に苦鉄質片岩と泥質片岩の境界部に整合的に挟まれて産する.内子ユニット中のものは苦鉄質片岩の割れ目を充填する鉱脈状の産状を示すこともある.鉱床の厚さは多くの場合は約2m以下である.主要な鉱石鉱物は黄鉄鉱と黄銅鉱である.鉱石は長径0.1mm以下の破砕構造に富む黄鉄鉱粒の集合体からなり,黄銅鉱が黄鉄鉱粒間及び割れ目に沿って充填している.黄銅鉱から二次的に生成された輝銅鉱・斑銅鉱を伴うことがある.脈石鉱物は石英・緑泥石・方解石などである.以下に各鉱山の概要を記す.

秦鉱山

鉱床は走向N85°E,傾斜45°Nで,走向延長約1,000m.上盤側の母岩は片理の発達した苦鉄質片岩で,下盤側は塊状珪質苦鉄質片岩である.鉱体の上盤寄りは縞状の鉱染鉱,下盤寄りは塊状緻密な黄鉄鉱からなり,更に下盤側に黄銅鉱に富む部分を伴う.上盤寄りのものは厚さ1.5m以下,下盤寄りのものは10cm以下.坑口は長沢坑としん坑の二つがあり,長沢坑は江戸時代に開発された.塊状鉱の品位はCu 15%,S 42%.1951年の出鉱量は硫化鉱2,830トン.1950年から1952年の間に約1万トンの硫化鉱(S 35~37%)を出鉱した.休山した年は不明.

中山鉱山

本鉱床と小倉鉱床とがある.本鉱床は走向N80°E,傾斜30°Nで,走向延長約800m,傾斜延長約200m.鉱床の厚さは1.5m以下.黄鉄鉱に富む部分と黄銅鉱に富む部分との区別が明瞭である.小倉鉱床は走向EW方向,傾斜10°S.鉱床の厚さは10cm以下である.中山鉱山の採掘粗鉱の品位はCu 2~3%,S 35%.1954年は銅鉱25トン(Cu 3.0%),硫化鉱76トン(S 38.6%)を出鉱.昭和29年休山.

平沢鉱山

平沢鉱床と長藪鉱床とがある.平沢鉱床は走向N80°E,傾斜20°S.鉱床の厚さは0.3~1.5mである.大洲藩時代に山元で自家精錬がおこなわれたと伝えられている.長藪鉱床は泥質片岩と苦鉄質片岩との境界に胚胎する.この鉱床は走向N60°E,傾斜10°SEで,厚さは1.5m以下である.縞状構造の発達した鉱石からなる.平沢鉱山の採掘粗鉱の品位はCu 5~10%,S 35%.昭和19年休山.

大成鉱山

内子町立山に位置するが,文献からは正確な位置は確認できなかった.鉱石鉱物は黄鉄鉱,黄銅鉱.昭和29年頃探鉱された.

大瀬鉱山

鉱床は内子町熊の滝集落を中心に東西約800mにわたって分布.鉱床は走向N70°E~EWで,わずかに南に傾斜する.鉱床の厚さは20m以下である.鉱石は細粒緻密な黄鉄鉱及び褐鉄鉱・斑銅鉱を主とし,わずかに黄銅鉱が見られる.鉱石の品位はCu 2~3%,S 45%.明治21年に開発され,明治21~25年の間,銅量1,020トンを生産した.大正2~9年の間には日本鉱業により稼行され,295,000トン(Cu 3.7%)が出鉱され盛況を呈したが,大正9年休山.昭和25年に試掘探鉱が行われたが昭和29年に休山した.大瀬鉱山の近くに大内滝鉱山と熊ノ滝鉱山があった.大内滝鉱山(ごんだ鉱山または程内鉱山ともいわれた)は明治20年に開発されたが出鉱を見ず,間もなく休山した.明治45年に大瀬鉱山の所有となり,新たに探鉱されたが不成功に終わった.熊ノ滝鉱山は明治22年に開発され,明治25年に休山した.文献からはこれらの正確な位置は確認できなかった.

大久保鉱山

内子町上大久保付近に位置するが,文献からは正確な位置は確認できなかった.鉱床は走向N80°E,傾斜15~20°NW.苦鉄質片岩中に挟まれ,レンズ状をなす.鉱石鉱物は黄鉄鉱,黄銅鉱.品位はCu 3~15%,S 35%,Au 6~9g/トン.休山年不明.

喜田鉱山

内子町喜田村の内子ユニットと神南ユニットとの境界付近に位置するが,文献からは正確な位置は確認できなかった.鉱床は走向N80°E,傾斜15~20°NW.泥質片岩中に胚胎する.鉱石鉱物は黄鉄鉱,黄銅鉱.昭和30年頃探鉱された.

宿茂鉱山

泥質片岩にはさまれる苦鉄質片岩薄層中に片理に沿って胚胎.鉱床は走向N70°E,傾斜10°S.厚さ2~3cm細粒緻密の鉱床が見かけ上4層ある.休山した年は不明.

内子町石畳付近の鉱床

内子町石畳大久保及び麓に黄鉄鉱の焼けがあり,それぞれ麓鉱山,石畳鉱山として明治年間に小規模に探鉱されたと伝えられている.休山した年は不明.内子町石畳竹の成の県道沿いにもN60°E,20°Nの片理面に沿って幅数mに及ぶ黄鉄鉱の焼けが認められる.

肱川鉱山

大洲市戒川にあり,壷神山の南側に位置するが,文献からは正確な位置は確認できなかった.明治20年頃に開発された.珪質片岩と苦鉄質片岩との境近くの苦鉄質片岩中に胚胎する.鉱床は1層あり厚さは45cm以下である.休山した年は不明.

8.1.2 大久喜鉱山

約200年前に土地の城主加藤家により開発されたと伝えられる.明治25年頃,明治34年頃及び昭和初期に稼行されたことがある.昭和9年に昭和鉱業株式会社に買収され大規模に開発された.昭和46年休山.現在,内子町大久喜の北西方に選鉱所跡とズリが見られる(第8.2図a).

鉱床は上盤側の変成チャートと下盤側の変成玄武岩凝灰岩との間に層状に胚胎している.変成玄武岩凝灰岩の更に下位には厚さ300m程度の変斑れい岩が分布する.この層状鉱床は周囲の変成岩類と共に褶曲しており,大局的には鞍状の形態を示す.鉱床の総延長は1,600mに達し,南北方向約200m,垂直方向には約190mに達する.鉱床の厚さは0.1~2.0mである.高品位塊状鉱(Cu 5~20%)は上盤側に,低品位で鉱染状のガリ鉱(Cu 0.7~2.0%)は下盤側に分布することが多い.

鉱石鉱物は黄鉄鉱・黄銅鉱を主とし,時に閃亜鉛鉱・磁硫鉄鉱・斑銅鉱・銅藍・輝銅鉱・四面銅鉱・輝コバルト鉱を伴う.鉱石の平均品位はCu 7~8%,S 34~35%.微量成分としてCo,Ni,Mo,Au,Agなどを含む.平均品位はAu 4~6g/トン,Ag 50~60g/トンであり高品位である.最盛期(1942~1943年)には月産2,400トン(銅量180トン)を採掘した.1934年以降の出鉱量は粗鉱約90万トン(銅量約27,300トン)である.

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第8.2図 大久喜鉱業所跡

(a) 選鉱所跡とズリ(喜多郡内子町大久喜の北西方).

(b) 大登坑跡(喜多郡内子町宿間).

8.2 マンガン鉱床

「大洲」地域の三波川変成コンプレックスには比較的小規模のマンガン鉱床があり,かつて稼行された.本節の記述は高瀬・物部(1961)吉村(1952)吉村(1969)及び宮久・沢村(1973)による.各鉱床の位置を第8.1図に示す.大喜多・小倉・秋葉山・石畳の4鉱山が伊予ユニット中に,宿茂すくも鉱山が内子ユニット中に,藤の川鉱山及び山神西鉱山が神南ユニット中に位置する.以下に一部の鉱山の概要を記す.

大喜多鉱山

苦鉄質片岩中に挟まれる珪質片岩中に散在する酸化マンガン鉱床である.鉱床は連続性に乏しい.

小倉鉱山

内子町仏峠の東方に坑口がある.大正初期頃から昭和20年代頃まで稼行された.鉱石は菱マンガン鉱,バラ輝石など.

秋葉山鉱山,石畳鉱山

秋葉山鉱山は大洲市秋葉山付近に,石畳鉱山は内子町石畳付近に位置するが,正確な位置は分からなかったため第8.1図には表示されていない.両鉱山の鉱床は苦鉄質片岩中の鉱床で,ブラウン鉱・チョコレート鉱・テフロ石・バラ輝石・満ばんざくろ石などのうちいずれかが組み合わされた鉱石を産する.

8.3 珪石鉱床

内子ユニットを構成する珪質片岩がかつて珪石として採掘された.本節の記述は,四国地方総合開発審議会事務局(1954)による.ただし,本報告の調査結果に基づき,四国地方総合開発審議会事務局(1954)で用いられている岩石名を変更して記述した.

富久保鉱山

大洲市富久保に位置する(第8.1図).珪質な泥質片岩中に挟まれる最大層厚約5mの赤色を示す緻密な珪質片岩が炉材珪石として採掘された.珪質な泥質片岩は走向N50~70°W,傾斜10~20°N.昭和10年頃開発されたが出鉱に至らず休止.昭和26年に再度採掘が試みられたが出鉱に至らず休止した.

8.4 採石

平成21年3月現在,「大洲」地域では神南ユニットを構成する塊状岩が土木・建築材料として採石されている.すなわち大洲市上東において松浦建設株式会社により変斑れい岩が,内子町只海川上の東方では久保興業株式会社により変成玄武岩凝灰岩及び溶岩が採石されている(第8.3図).また本地域北東部にある伊予市中山町中山カンヤで,新第三紀中新世の珪長質岩脈(流紋岩ないしデイサイト)が採石されていた.平成21年3月現在採掘休止中.中山町誌編纂委員会編(1996)によると平成8年頃には採掘が行われており,土木用の建築資材として利用されていた.

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第8.3図 「大洲」地域の稼行中の採石場

(a) 変斑れい岩の採石場(大洲市上東,松浦建設株式会社).

(b) 変成玄武岩凝灰岩及び溶岩の採石場(喜多郡内子町只海川上の東方,久保興業株式会社川上砕石場).

8.5 温泉・鉱泉

金原(1992)によると「大洲」地域では第8.1表に示される温泉・鉱泉がある.25℃以下の冷たい地下水であっても,有効成分を規定量以上含めば,温泉法により「温泉」とされ,加熱して入浴に利用される.

本地域では平成20年度までは温泉施設として竜王荘(内子町五十崎乙485-2)が営業されていた.金原(1992)に記述されている“竜王”はこの温泉施設に該当すると思われる.竜王荘の源泉名は大登温泉でその位置は内子町宿間甲63-1であり,パイプにより竜王荘まで引かれていた.泉質はアルカリ性冷鉱泉であり,泉温16.9℃,pH10.5,湧出量19.7リットル/分である.源泉水の含有成分を第8.2表に示す.

大洲市誌編纂会編(1996)によると,大洲市高山たかやま及び新谷において古い時代に湧水を加温して湯治用としたという伝説がある.

中山町誌編纂委員会編(1996)には中山鉱泉の記述がある.以下にその概要を引用する.源泉は旧中山庁舎近くの中山川河床(伊予市中山町出渕いずぶち2番耕地120番地).苦鉄質片岩中に発達する北北西―南南東方向の断層破砕帯から炭酸ガスを伴って自噴している.泉質は愛媛大学で分析され(第8.2表),含炭酸食塩泉である.泉温17.4℃,pH6.26,湧出量216リットル/分である.

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第8.1表 「大洲」地域における温泉・鉱泉の泉質

金原(1992)による泉質データに基づく.

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第8.2表 源泉水の化学組成(mg/kg)

8.6 地すべり

本地域には,多数の地すべり地形が存在している.空中写真判読と,防災科学技術研究所(2007)による地すべり地形分布図を基に,若干の現地調査結果を加えて,地すべり地形の分布を示した.地すべり地形は,滑落崖と,地すべり移動体の組み合わせで表現した.滑落崖については,明瞭なものと不明瞭なものがあり,移動体の形についても明瞭なものと基盤との境界が不明瞭なものがあるが,地質図では特に両者の確度を区別していない.移動体の大きさは幅200~500m,長さ300~700m程度のものが多い(第8.4図).

本地域では地すべりは三波川変成コンプレックス分布域で多く発生している.三波川変成コンプレックスでは,主に泥質片岩分布域と苦鉄質片岩分布域で地すべりが発生し,片理の発達が弱い変斑れい岩分布域及び砂質片岩分布域では地すべりはほとんど発生していない.また,愛媛県(1972)で指摘されているように本地域では泥質片岩分布域よりも苦鉄質片岩分布域の方に地すべりがめだって多く発生しているようである.例えば,伊予灘沿いの海岸斜面及び肱川下流の横谷部の東岸(大洲市白滝から大洲市新谷にかけての地域)では,明らかに泥質片岩分布域よりも苦鉄質片岩分布域において地すべりがより多く発生している.

地すべり堆積物は,大洲市白滝東方の本村,柳沢,堂成どうのなる,内子町池窪などで確認した.構成岩塊は一見したところ基盤と区別がつかないほど大きなブロックからなるところが多いが(第8.5図),詳しく見ると細かく砕かれて角礫化しているところやクラックがみられるほか,地下水がしみだしている部分もある.古い地すべり堆積物と考えられる,角礫層からなり赤褐色化した砂質シルトが充填している堆積物もみられた.

高橋(1993)は,伊予市中山町佐礼谷,中山町出渕,中山町中山梅原,内子町川中,論田,重松などでの地すべり事例を報告している.また鹿島(2006)は,大洲市長浜町今坊,河辺町山鳥坂,伊予市双海町串満野,双海町串本村,中山町中山,内子町池窪,白石などにおける地すべり被害や対策事業などについて詳しく記載している.

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第8.4図 内子町池窪付近の地すべり地形

緩斜面は果樹園や水田として利用されている.

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第8.5図 内子町池窪での地すべり堆積物の一部

巨大な岩塊が含まれている.

文献

脚注

  • 注) 本報告では国土地理院発行の5万分の1地形図の地域を指すときに“「大洲」地域”のように「 」をつけて記述することがある.