QUADRANGLE SERIES SCALE 1:50,000 Fukuoka (14) No.77 GEOLOGY OF THE SAGANOSEKI DISTRICT
By
(Written in 1993)
The Saganoseki district is situated in the eastern part of middle Kyushu, and geotectonically extends over the Sanbagawa Belt and the Chichibu Terrane. The upper Cretaceous Onogawa Group is distributed between the Sanbagawa Belt and the Chichibu Terrane. The boundary of the Sanbagawa belt and the Onogawa Group is the Sashu Fault. The boundary of the Onogawa Group and the Chichibu Terrane is the Usuki -Yatsushiro Tectonic Line, however that is located under the sea and is not exposed in the district. Table 1 shows a summary of the geology of the district.

The mylonite derived from quartz diorite is narrowly distributed along the Sashu Fault, and is in fault contact with the Sanbagawa Metamorphic Rocks and the upper Cretaceous Onogawa Formation. Age of this rock is unknown.
The sedimentary complex of the Okimukujima Formation is distributed at Okimuku-jima. This formation is considered to be Jurassic accretional complex of the Chichibu Terrane. This formation is mainly composed of basic volcanic rocks and chert accompanying a small amount of limestone, slate and sandstone. The fusulinid fossils indicating Pseudofusulina zone or Parafusulina zone were fund from lenticular limestone in basic volcanic rock. According to these fusulinid zones, limestone is Middle of Permian in age.
The Sanbagawa Metamorphic Rocks derived from the Jurassic sedimentary complex through regional metamorphism of high P/T type in Cretaceous time, are widely distributed in the Saganoseki peninsula. These rocks are bounded on the Upper Cretaceous Onogawa Group by the Sashu Fault. In this area the Sanbagawa metamorphic rocks are divided into northern unit and southern unit by south dipping low angle fault. Total thickness of the northern unit is more than 1,750m, and that of the southern unit is more than 1,450m. The northern unit consists mainly of pelitic, basic schists and serpentinite masses with small amount of calcareous and psammitic schists. The southern unit consists of basic, pelitic, quartz and psammitic schists. The northern part of the northern unit forms an antiform with ENE-WSW trend. Schistsities of the southern unit and the southern part of the northern unit incline southward.
The Sanbagawa Metamorphic Rocks in this district belong to upper part of chlorite zone on the basis of the typical mineral assemblages in pelitic schist. The pelitic schist locally contains garnet. The basic schist locally contains alkali amphibole and pumpellyite, but lacks lowsonite and jadeite.
The Upper Cretaceous Onogawa Group can be divided into Lowermost, Lower, Middle and Upper subgroup. In this area, only the Upper subgroup Amabe formation is exposed. This formation is exposed south side of the Sashu Fault, and consists of alternation of sandstone and shale, with thick beds of coarse-grained sandstone.
The Cenozoic in the Saganoseki district comprises the Sekinan Group, Oita Group, terrace deposits and alluvium. They are mainly distributed in the northwest part of the district.
The Sekinan and Oita Groups are the Late Pliocene to Middle Pleistocene deposits, which are widely distributed in the westerly adjoining Oita district. The Sekinan group in the Saganoseki district is the Early Pleistocene and mainly consists of gravel and silt intercalating two pumice tuff beds. The Oita Group in this district is the Middle Pleistocene overlying the Sekinan Group with uncomformity. This group consists of gravel and silt intercalating the Seiganji Pumice Bed of 0.6-0.7 Ma in the lower part.
The terrace deposits and alluvium are mainly distributed in the Beppu Bay side and along the main rivers. They consist of gravel, sand and mud. The terrace deposits are divided into Middle I, Middle II and Lower terraces.
In the district, cupriferous iron sulphide deposits related to the Sanbagawa metamorphic rocks are known, but all mines of them are closed at present.
地域地質研究報告 5万分の1地質図幅 福岡(14)第77号
(平成5年稿)
佐賀関地域の地質
宮崎一博*・吉岡敏和*
* 地質部
佐賀関(図幅)地域の地質研究は,地震予知のための特定観測地域「伊予灘及び日向灘周辺」の地質調査研究の一環として実施された.野外調査は平成2・3年の両年度にわたって行い,秩父帯・三波川帯・白亜系を宮崎が,下部―中部更新統碩南層群及び大分層群・上部更新統―完新統を吉岡が担当した.全体の調整は宮崎が行った.
本研究に際し,広島大学教授寺岡易司氏(元所員)には上部白亜系大野川層群について資料提供を受けた.記して謝意を表する.
研究に使用された岩石薄片は,宮本昭正・安部正治・佐藤芳治・野上貴嗣・大和田朗・青山秀喜の各技官によって作成された.
(吉岡敏和)
佐賀関図幅地域は,東経131°45′- 132°0′,北緯33°10′- 33°20′の範囲に相当し,行政的には九州本土が大分県の大分市・臼杵市及び北海部郡佐賀関町に属し,図幅地域南東端の沖無垢島は津久見市に属する.
本地域は九州東部から楔形に東に突き出た佐賀関半島といくつかの小島からなる.佐賀関半島は北側の別府湾と南側の臼杵湾に挟まれた半島で,先端部は速水瀬戸(豊予海峡)を隔てて四国の佐田岬半島と向かい合っている(第1図).別府湾岸の海岸線は直線状であるが,臼杵湾岸はやや不規則に屈曲する海岸線で限られており,先端近くの佐賀関町関では両側から海岸線が大きくくびれ,その先は陸繫島状の外形をなす.しかしこのくびれ部には基盤岩類が露出しており,砂州で陸続きとなったいわゆる陸繫島ではない.

佐賀関半島の脊梁をなす山地は三波川変成岩類からなり,半島北縁を東北東―西南西方向に通る佐賀関断層と,大分市南部から臼杵市北部を同方向に通る佐志生断層に挟まれた紡錘型の平面形をした山地である(第2図).この山地は半島中軸のやや南よりに主稜線を持ち,半島基部から先端に向かって半島主軸方向に直線状に連続する.稜線上には,図幅南西隅の再進峠北方の三角点(523.3m)を最高に樅木山(484.0m)など標高400-500mピークが並ぶが,稜線上は比較的平坦で突出した単独峰の発達はよくない.主稜線の北側の大分市木田南部と佐賀関町白木を結ぶ線上には比高約200mの直線状の高度不連続線が連続し,この線を境にして北側には標高200-300mの山地高度を持つやや起伏の小さい山地が広がる(第3図).この崖線の位置は地質断層とほぼ一致しているが,第四紀の活動を示す変位地形は見られず,活断層とは考えられない.一方,主稜線の南側には尾根上にやや平滑な斜面が見られ,臼杵市松岳・藤ノ尾・大久保の集落がその上に位置している.この斜面はその形態から地すべりによるものと考えられる.

等高線は500mの埋谷接峰面を表す.等高線間隔は100m.

高島西方海上より撮影
本図幅地域の主要な河川は東から志生木川,小猫川,尾田川などで,いずれも半島脊梁の山地より北流して別府湾に注ぐ.これらの河川の流路は直線状で,必従河川の形態を示す.河川の勾配は最上流部を除いて小さく,谷底平野が比較的よく発達している.これに対し,山地南側の河川は屈曲した流路を持つものが多く,地質構造の影響を受けた適従河川の形態を示す.また谷底平野はほとんど認められない.また,図幅地域西端別府湾岸の大分市坂ノ市付近から西方には4列の浜堤列と堤間湿地からなる幅約1kmの海岸平野が広がる.
本図幅地域の海岸線は,別府湾岸で佐賀関断層の影響を受けて直線的であるのに対し,臼杵湾岸では対照的にやや複雑な海岸線を示す.別府湾岸の大分市磯崎以西では海岸平野が開け,海岸には浜堤が連続するが,神崎以東には三波川変成岩類が海岸に露出し,高さ10-20mの海食崖が連続する.崖上には海岸段丘が認められる.一方,臼杵湾岸の海岸線には海岸段丘が分布せず,山地斜面が直接海に接しており,複雑な海岸線を示す.このことは,臼杵湾岸が別府湾岸に比べ沈降傾向にあることを示唆するものである.
佐賀関半島の北岸の海岸線は,四国北西部から連続するように直線状の海岸が続き,中央構造線に関係する断層活動の影響を受けているものと考えられる.この佐賀関半島の北岸と,その西方延長上に当たる山地と丘陵の境界部には,大局的に三波川変成岩類と下部―中部更新統の境界をなす佐賀関断層が位置し,この断層に沿って比高約100mの直線上の崖地形(高度不連続線)が延びる.活断層研究会(1980,1991)及び九州活構造研究会(1989)は,この佐賀関断層を確実度I(活断層であることが確実な断層)の活断層としている.しかし,この根拠となった海成段丘上の低断層崖は侵食崖の可能性があり,また断層を挟んで両側に分布する中部更新統の大分層群上部層の基底面には,大きく見積っても約10mの高度差しかないことを考えると,佐賀関断層は活動をすでに停止したか,もしくは活動度の非常に小さい活断層と考えられる.
また,本図幅地域の別府湾岸に分布する海成の中位I段丘面の高度は,図幅西縁部では約30mであるが,東に向かって高度を減じ,佐賀関町大平付近では20m以下となる.この傾向は大分平野周辺から連続して認められ,更新世後期以降の地殻変動を示していると考えられる.しかし,下部更新統の碩南層群の地質構造は一般的に西ないし南西に傾斜しており,段丘面の傾動の方向とは異なる.
(宮崎一博・吉岡敏和)
佐賀関地域には,おもに三波川変成岩類の岩石が分布する(第4図).三波川変成岩類は,本地域西隣の犬飼図幅の地域内で上部白亜系大野川層群中にドーム状の形態で西方にもぐり込む.その西方には西南日本内帯の朝地変成岩類が分布する.本地域南隣の臼杵図幅地域内では,三波川変成岩類の南側に佐志生断層で接して大野川層群が広く分布する.本地域でも,その南隅に大野川層群の一部が分布する.臼杵図幅地域内では,大野川層群の南側に秩父累帯の地層が分布する.両者の間には,臼杵―八代構造線が存在する.本地域の南東隅にも,秩父累帯の堆積岩コンプレックスが小規模に分布する.佐賀関半島北西部では,三波川帯の岩石を不整合に覆って,新生代の地層が分布する.本地域の地質を統括して第1表に示す.
三波川変成岩類と上部白亜系大野川層群の境界断層である佐志生断層沿いには小規模ではあるが,石英閃緑岩マイロナイトが分布する.本岩は,放射年代の測定がなされておらず,時代は不明である.
佐賀関地域南東隅の沖無垢島には,沖無垢島の堆積岩コンプレックスが分布する.この地層は,塩基性火山岩類・チャート・石灰岩・泥岩からなり,秩父累帯のジュラ紀付加コンプレックスと推定される.石灰岩は塩基性火山岩類中にレンズ状の岩塊・岩体として含まれる.この石灰岩の時代は,二畳紀中期を示す.
本地域の大部分を占める三波川変成岩類は,低温高圧型の変成岩類である.これは,佐志生断層によって大野川層群と境され,全体として西に沈降する構造をなしており,その西端部は緩やかな傾斜をもって同層群下にもぐり込んでいる.本変成岩類は,主として泥質片岩と塩基性片岩からなるが,厚い塩基性片岩の下底を画す,南傾斜の低角断層によって南部ユニットと北部ユニットの二つに区分することができる.北部ユニットは,前述の低角断層の見かけの下位に位置し,本地域の北部に分布する.南部ユニットは,この低角断層の見かけの上位に位置し,本地域の南部に分布する.北部ユニットには,NEE-SWW方向の軸を持つアンチフォームや,NEE-SWW方向の高角断層が存在する.この断層により本ユニットはブロック化しているが,アンチフォームの軸の南側では,片理面は南傾斜で一定しており,南に行くほど上位の地層が露出する.本ユニットの下部には,比較的規模の大きい蛇紋岩体や石灰質片岩の厚層が存在する.この上部には,砂質片岩が比較的多く存在する.南部ユニットは,NEE-SWW方向の高角断層とNE-SW方向の高角断層によりブロック化されている.本ユニットの片理面は,全体に南傾斜であり,南に行くほど上位の地層が露出する.本ユニットには,部分的に砂質片岩と石英片岩の厚層が存在する.鉱物組合せから見ると,泥質片岩は緑泥石帯高温部に,赤鉄鉱を含む塩基性片岩はクロス閃石帯に,またそれを含まない塩基性片岩はパンペリー石緑れん石アクチノ閃石帯にそれぞれ属する.
なお,本地域の変成岩中にはローソン石・ひすい輝石は出現しない.
本地域南縁部に分布する大野川層群は,佐志生断層により北側の三波川変成岩類と接する.本地域の同層群は,上部亜層群に属する海辺層である.時代は上部白亜紀サントニアンである.
本地域北西部を含む大分平野周辺の丘陵には鮮新―中部更新統の碩南層群・大分層群が分布する.本地域の碩南層群は下部更新統で,シルト層及び砂層を主とし,2枚の軽石凝灰岩層を挟む.三波川変成岩類とは断層及び不整合で接する.大分層群は碩南層群を不整合で覆って分布し,主として礫層及びシルト層からなる.下部に年代が0.6-0.7Maと推定される誓願寺軽石層を挟む.
段丘堆積物は別府湾岸及び主要河川沿いに分布し,最終間氷期に形成された海成の中位段丘と最終氷期以降に形成された河成の低位段丘からなる.これらを高度別に細分し,中位I段丘,中位II段丘,低位段丘とした.沖積層は別府湾岸及び大小河川に沿って発達し,砂礫及び泥層からなる.

(寺岡ほか,1992を一部改変)

(宮崎一博)
臼杵市佐志生において,北側の三波川変成岩と南側の上部白亜系大野川層群を画する佐志生断層に沿って小規模に分布する.露出幅は,最大約100mで,マイロナイト化が著しい.野外では暗灰色を示す.マイロナイト化の程度の弱いところでは,中粒ないし粗粒の石英閃緑岩である.主要構成鉱物は,角閃石・斜長石・石英であり,この他に不透明鉱物・炭酸塩鉱物を伴う.鏡下では,角閃石は褐色―緑色の多色性を示し,周囲からアクチノ閃石・緑泥石に置換される.斜長石は,アルバイトと微細な白色雲母・緑れん石に置換されている.また,斜長石の一部をぶどう石が置換しているものも観察される.ぶどう石はこの他,脈状に分布するものもある.
本岩は,放射年代の測定がなされておらず,時代が不明である.
(宮崎一博)
神戸・寺岡(1968)の古生層を改称.臼杵湾の沖合いにある沖無垢島の北半分に分布する.本地域にはその北端部が入る.本層は,塩基性火山岩類・チャートを主とし,少量の粘板岩・砂岩・石灰岩を伴う.全体に南傾斜である.塩基性火山岩類は塩基性の凝灰岩であり,チャートの多くは淡緑色・灰色・乳白色の縞状チャートである.石灰岩は塩基性火山岩類中にレンズ状の岩塊として含まれる.
臼杵図幅(神戸・寺岡,1968)によると,本層の南側に断層で接して秩父累帯下部白亜系佩楯山層に対比される無垢島層が分布する.三重町図幅地域内では,佩楯山層周辺に秩父累帯の下部ジュラ系の堆積岩コンプレックスである内山層・蕨野層が分布する(酒井ほか,1993).内山層中の石灰岩レンズからは二畳紀のフズリナ化石が,蕨野層のチャートからは二畳紀の放散虫がそれぞれ産出している(神戸,未発表;酒井ほか,1993).三重町図幅(酒井ほか,1993)によると,これらの秩父累帯の下部ジュラ系堆積岩コンプレックスは,株ノ木断層の北西側に分布し,臼杵図幅地域内まで分布する.本図幅地域内に分布する沖無垢島の堆積岩コンプレックスは,岩相的にも位置的にも,三重町地域の秩父累帯の下部ジュラ系堆積岩コンプレックスに対比できる.
本層に含まれる石灰岩からは,フズリナSchwagerina sp., Misellina sp., Shubertella sp.などが産出し,二畳紀中期のアルチンスク期を示す(神戸・寺岡,1968).なお,泥質岩からの化石は未発見である.
(宮崎一博)
三波川変成岩類は西南日本外帯の三波川帯に,東西約700kmにわたって分布する低温高圧型の変成岩類である.原岩の年代はジュラ紀(一部前期白亜紀)の付加コンプレックスとされている(Isozaki and Itaya, 1990).これらの岩石が沈み込み帯において,深さ約30kmまで沈み込み,低温高圧型の変成作用を受けた.この変成作用のピークは116±10Maとされている(南新ほか,1979 ; Isozaki and Itaya, 1990).この低温高圧型変成岩類は,110-50Maの間に上昇し,地表に表れるようになった(Isozaki and Itaya, 1990).四国では,中―上部始新統の久万層群に不整合に覆われる(永井,1972).
三波川変成岩類は本図幅地域の中で,もっとも広い露出面積を有する地質単元で,南部をNEE-SWWの走向を持つ佐志生断層によって大野川層群と境される.臼杵市藤田付近では両者の間にマイロナイト化した石英閃緑岩及び剪断された蛇紋岩を挟む.北部では,第四紀大分層群によって一部,不整合に覆われる.本図幅の南西の「犬飼」地域では,三波川変成岩類は,南縁において,大野川層群と佐志生断層によって接し,大分市西川内付近において両者の間に,ジュラ系西川内層を挟む.西縁においても断層によって三波川変成岩類と大野川層群が接する.この西縁断層では,断層に沿ってかんらん石安山岩が貫入している.寺岡(1970)は安山岩の貫入している西縁断層と佐志生断層のつながりを問題にし,これらが元来一連のものだったとした.三波川変成岩類が西方において大野川層群の下にもぐるようなドーム状の構造が考えられる(第5図).
本地域に分布する三波川変成岩類には大きな構造的不連続の存在する断層として,佐賀関町田之浦から樅木山の南方を通り臼杵市大久保に至る南傾斜の低角断層,臼杵市藤ノ尾から臼杵市横岩山に至る南傾斜の低角断層,及び大分市白山から西方へ続く南傾斜の低角断層がある.この断層によって,その上位の厚い塩基性片岩は下位の泥質片岩と構造的に不連続に接する.本報告では,この断層より北側(見かけ下位)に分布する北部ユニットと南側(見かけ下位)に分布する南部ユニットの二つユニットに区分した(第6図).両ユニットとも基本的には,塩基性片岩・泥質片岩を主要構成岩石としている.北部ユニットでは,見かけの層序の下部に比較的規模の大きい蛇紋岩体や厚い石灰質片岩が分布し,塩基性片岩も多く分布する.この上部では,砂質片岩が頻繁に挟まるようになる.これに対し,南部ユニットでは,見かけの層序の最下部に厚い塩基性片岩が分布し,その上位には石英片岩が分布する.さらに,厚い砂質片岩がNEE-SWW方向の高角断層に挟まれて分布する.これらのユニットは,さらにNEE-SWW方向の高角断層や,NE-SW方向の高角断層,及びN-S方向の高角断層によってブロック化している.本報告の北部ユニットは,山本・手嶋(1971)の木佐上層,室生層,及び樅ノ木層の厚い塩基性片岩層より下位の地層を含み,園田(1985)の福水層と白木層を含む.南部ユニットは,山本・手嶋(1971)の樅ノ木層の厚い塩基性片岩層とその上位の地層,及び柏層を含み,園田(1985)の一尺屋層を含む.なお,園田(1985)は,福水層は,その上位に重なる白木層と一尺屋層からなる佐賀関ナップの下底に発達する構造的メランジュであるとしている.本報告でも,北部ユニットの下部に存在する巨大な蛇紋岩体の周辺では,周囲の泥質片岩及び塩基性片岩の構造の乱れが認められる.しかし,園田(1985)で指摘されるような構造的メランジュ帯を本地域全域において追跡することはできなかった.そこで本報告ではナップ構造についてはふれないことにする.

Sm:三波川変成岩類,Nk:西川内層,O:大野川層群(dは擾乱部),an:かんらん石安山岩
松本(1958)は築紫山地において九州における変成岩の標準岩相層序区分を試み,それぞれ下位より,A,B,C,D層群とした.この区分によると本地域の三波川変成岩類は,このなかのA,B,C層群と対比される.山本・手嶋(1971)は,本地域の三波川変成岩類を佐賀関層群(全層厚,3600m)と命名し,これを下位より,木佐上層,室生層,樅ノ木層,柏層の4層に区分した.これをもとに,これらを四国中央部における吉野川層群の川口層,小歩危層,三縄層,大生院層に対比した.園田(1985)は,本地域の三波川変成岩類を下位より,福水層,白木層,一尺屋層の3層に区分した.そして,吉川ほか(1980)の豊予海峡の海底トンネル地質調査と比較し,本地域の地層が四国西端部三波川帯の最上位層三崎層の上位に位置するとしている.また,福水層が下位の三崎層や上位の白木層と変成温度構造・地質構造ともに不連続であり,福水層は白木層及び一尺屋層より構成される佐賀関ナップが,下位の三崎層の上に衝上した際に形成されたテクトニックメランジュであるとしている.園田(1985)は,白木層とその上位の一尺屋層は構造的整合性をもって重なるとしている.そして,一尺屋層の粗粒の砕屑性ホルンブレンドを含む塩基性片岩と普通の泥質片岩が指交関係にあるとしている.
本地域の三波川変成岩類の変成作用については,山本・手嶋(1971)によってI帯・II帯に分帯された.I帯は緑れん石・藍閃石片岩亜相,II帯は緑れん石・角閃石片岩亜相と藍閃石片岩相との漸移帯に相当する.その後,園田(1985)によっても,I帯・II帯に分帯され,四国三波川帯での東野(1975)の研究結果との比較で,I帯は緑泥石帯に,II帯はざくろ石帯の低温部に属するとしている.
本地域の三波川変成岩類の岩石構造については,Abe and Uda(1986)の研究がある.それによると,本地域では形成順にイントラフォリアル褶曲(波長4-6cm),閉じた褶曲(波長30cm),開いた褶曲(波長5-50cm),キンクバンドが観察される.
植田ほか(1977)は三波川変成岩中の全岩のK-Ar年代を測定し,49,91,95Maの値を得ている.また,梶原ほか(1990)は,83.5±0.8MaのRb-Sr年代を得ている.
佐賀関町一尺屋から大分市白山西方へ続く,南傾斜の低角断層の見かけ上,下位に分布する.佐賀関町田之浦以北の海岸線に好露頭が連続する.半島中央部では,余り好露頭を望めない.
北部ユニットの柱状図を第7図に示す.大分市木田南部から佐賀関町志生木に続くNEE-SWW方向の高角断層以北,佐賀関町田之浦から佐賀関町小志生木に続くNNW-SSE方向の高角断層以西では層厚1125m以上である.泥質片岩を主体とし,蛇紋岩体及び塩基性片岩と砂質片岩を数層挟む.砂質片岩は中部及び上部に2層あり,上部のものが厚く層厚50m程度である.塩基性片岩は下部に厚いものが2層存在する.そのうち,上位のものは側方に連続性がよく,層厚100m程度である.下位のものも層厚100m程度であるが側方へ急速に薄くなる.蛇紋岩体は,1.5×1km程度の餅型の形態をしたものが,大分市上野西部,佐賀関町轟北方,及び木佐上付近に分布している.これらは,前述の連続性の良い塩基性片岩とほぼ同一層準に分布している.このほかにも比較的小規模なものが点在する.
佐賀関町田之浦から佐賀関町小志生木に続くNNW-SSE方向の高角断層以東では層厚1550m以上である.泥質片岩が主体であるが,この他に蛇紋岩体,塩基性片岩,砂質片岩を数層挟む.蛇紋岩体は,佐賀関町福水付近に小規模なものが点在する.ここでは,レンズ状の形態をした蛇紋岩体が,周囲の塩基性片岩と非調和的な接触関係を示す.また蛇紋岩自体も強く剪断され,レンズ状の形態をなすものがある(第8図a).佐賀関町大黒から小黒にかけては,1.5×0.5km程度の巨大な蛇紋岩体が分布している.この蛇紋岩体内部には,単斜輝石の濃集した層の層状構造が観察される(第8図b).これはもともとの火成岩の構造を残しているものと考えられる.塩基性片岩は,層厚25m程度のものが下部に1枚存在する.また,層厚100m程度のものが上部に1枚存在する.この他にも,小規模なものが下部に数層存在する.これらの塩基性片岩は,粗粒なホルンブレンドの破片結晶を含み,それらが濃集した部分は黒色となり,葉理構造が観察される(第9図a).佐賀関町福水から関崎へ分布する塩基性片岩中には,厚さ50cm程の石灰質片岩が挟まる(第9図b).泥質片岩は,下部では塩基性片岩の厚層や薄層と互層するのが観察される(第10図).砂質片岩は,層厚30m程度のものが上部と中部にそれぞれ1枚づつ存在し,層厚25m程度のものが下部に1枚存在する.この他にも,小規模なものが,全層準にわたって数枚存在する.
佐賀関町高島に分布する三波川変成岩類は,層厚100m程度の石灰質片岩を挟む(第11図a).この様な厚い石灰質片岩は,佐賀関半島では見られないものであるが,北部ユニットの下部には,部分的に層厚50cm以下の石灰質片岩が挟まることがあるので,これらも北部ユニットに入れた.この石灰質片岩の下位には,層厚50m程の塩基性片岩が存在し,上位には層厚20m以下の泥質片岩が重なる.
佐賀関町蔦島には,砂質片岩と泥質片岩が分布している.これらは,佐賀関半島との対比から,北部ユニットの上部に対比される.ここでは,島の周囲に好露頭があり,砂質片岩と泥質片岩の互層(第11図b),泥質のパッチを含む砂質片岩(第12図a),含礫泥岩を原岩とする泥質片岩が観察される(第12図b).
大分市木田南部から佐賀関町十谷を経て佐賀関町佐賀関ダムに至るNEE-SWW方向の高角断層と大分市木田南部から佐賀関町志生木ダムを経て佐賀関町佐賀関ダムへ至るNEE-SWW方向の高角断層に囲まれた地域にも北部ユニットの地層が分布する.この地域での北部ユニットの層厚は625m以上であり,中部に層厚250m程度の塩基性片岩が挟まる.
大分市木田南部から佐賀関町佐賀関ダムへ至るNEE-SWW方向の高角断層以南の北部ユニットは,層厚1750m以上である.下部には,蛇紋岩体と塩基性片岩が挟まる.中部付近には,層厚25m程度の砂質片岩が数層挟まる.これの上位には,層厚30-80m程の連続性の良い塩基性片岩が挟まる.佐賀関町樅木山では,この塩基性片岩の上位に層厚50m程の石英片岩が重なる.



a:剪断されレンズ状になった蛇紋岩(佐賀関町福水)
b:単斜輝石の濃集した層状構造がある蛇紋岩(佐賀関町大黒)

a:層状構造の顕著な塩基性片岩.黒色部は粗粒なホルンブレンドの砕屑粒子が濃集した部分(佐賀関町大黒).
b:石灰質片岩(佐賀関町福水東方)

a:泥質片岩(pe)中に薄く挟まる塩基性片岩(ba),佐賀関町福水
b:泥質片岩(pe)と塩基性片岩(ba)の互層,佐賀関町福水

a:石灰質片岩,佐賀関町高島南岸
b:砂質片岩(白色部)と泥質片岩(暗色部)の互層,佐賀関町蔦島

a:泥質のパッチを含む砂質片岩,佐賀関町蔦島
b:砂質の礫を含む含礫泥岩を原岩とする泥質片岩,佐賀関町蔦島
大分市白山から佐賀関町田之浦に至る厚い塩基性片岩の下底をなす南傾斜の低角断層の上位に分布する.南部ユニットは,NEE-SWW方向の高角断層やNE-SW方向の高角断層及びNNW-SSE方向の高角断層によりブロック化している.佐賀関町田之浦から臼杵市藤田にかけての海岸線に好露頭がある.
南部ユニットの柱状図を第13図に示す.臼杵市桑原から佐賀関町田之浦に至るNE-SW方向の高角断層以東,臼杵市佐志生から臼杵市小網代に至るNEE-SWW方向の高角断層に囲まれた地域では,層厚1175m以上である.下部には層厚300m程の厚い塩基性片岩が分布する.粗粒なホルンブレンドの破片結晶が濃集した濃緑色の葉理構造が観察される(第14図a).この塩基性片岩の上部には厚さ20m程の薄い泥質片岩が1層挟まる.中部から上部にかけては石英片岩が数層挟まる.この石英片岩は塩基性片岩と互層する場合もある(第14図b).この石英片岩が分布するその上位には,厚さ60m程の塩基性片岩が1層挟まる.臼杵市佐志生から臼杵市小網代に至るNEE-SWW方向の2つの高角断層で挟まれた地帯には砂質片岩が分布している.層厚は150m程度である.臼杵市桑原と佐賀関町田之浦に至るNE-SW方向の高角断層と臼杵市山口から臼杵市天狗岩に至るNE-SW方向の高角断層に挟まれた地域では,層厚1450m以上である.下部には厚い塩基性片岩が存在し,その層厚は950m以上である.中部から上部にかけては,層厚50m以下の塩基性片岩や石英片岩の層が数層挟まる.臼杵市山口から臼杵市佐志生にかけてNEE-SWW方向に走る2つの高角断層に囲まれた地帯には,砂質片岩が分布しその層厚は250m程度である.この断層以南の地域では,厚さ25m以下の塩基性片岩が数層挟まる.泥質片岩には,おもに石英からなる白色の薄層が発達する(第15図).臼杵市山口から臼杵市天狗岩に至るNE-SW方向の高角断層の西側の地域で,臼杵市六ヵ迫から大分市市尾に至るN-S方向の高角断層の東側では層厚850m以上である.下部に石英片岩を数層挟む.中部には厚さ100m程度の塩基性片岩が挟まる.この塩基性片の下位には厚さ30m程の石英片岩が分布する.さらに,上部には厚さ25m程の塩基性片岩が挟まる.この地域の南部ユニットの上限は,臼杵市六ヶ迫から臼杵市藪田にかけて走るNEE-SWW方向の高角断層によって切られる.この断層とその南をNEE-SWW方向に走る高角断層に挟まれた地帯には厚さ175m程の砂質片岩が分布する.さらにその南には間に厚さ20m程の塩基性片岩を挟む泥質片岩が分布する.


a:ホルンブレンドの砕屑粒子の濃集した薄層(黒色部)を挟む塩基性片岩,佐賀関町田之浦
b:塩基性片岩(暗色部)と互層する石英片岩(白色部),佐賀関町上浦

臼杵市黒島
本地域の三波川変成岩類は,佐賀関町田之浦から樅木山の南方を通り臼杵市大久保に至る低角断層,臼杵市藤ノ尾から臼杵市横岩山に至る低角断層,及び大分市白山から西方へ続く低角断層によって,北部ユニットと南部ユニットに区分される.両ユニットを区分する低角断層は南傾斜である.両ユニットともNEE-SWW方向の軸を持つアンチフォームが形成されており,その後NEE-SWW方向の高角断層を生じている.さらに,これらのアンチフォームと高角断層を切ってNNW-SSE方向の高角断層やNE-SE方向の高角断層が発達する.
大分市木田南部から佐賀関町志生木に続くNEE-SWW方向の高角断層以北,佐賀関町田之浦から佐賀関町小志生木に続くNNW-SSE方向の高角断層以西では,大分市天神原から佐賀関町大志生木にかけてNEE-SWW方向の軸を持つアンチフォームが存在し,その北側では,一般走向はNEE-SWWで北に傾斜し,南側では同じ走向で南に傾斜する.佐賀関町河内と佐賀関町児蔵堂では,NEE-SWW方向の軸を持つ1対のアンチフォーム・シンフォームが見られる.
佐賀関町田之浦から佐賀関町小志生木に続くNNW-SSE方向の高角断層以東では,一般走向は,NEE-SWWで,南傾斜である.佐賀関町佐賀関漁港付近には,NEE-SWW方向の軸を持つ1対のアンチフォーム・シンフォームが見られる.この他にも,佐賀関町関崎などで小規模なアンチフォームが見られる(第16図).
佐賀関町高島では,NEE-SWW方向の軸を持つ1対のアンチフォーム・シンフォームが見られる.佐賀関町蔦島では,一般走向はNEE-SWWで,30°南傾斜である.
大分市木田南部から佐賀関町十谷を経て佐賀関町佐賀関ダムに至るNEE-SWW方向の高角断層と大分市木田南部から佐賀関町志生木ダムを経て佐賀関町佐賀関ダムへ至るNEE-SWW方向の高角断層に囲まれた地域では,NEE-SWW方向の軸を持つ1対のアンチフォーム・シンフォームが存在する.
大分市木田南部から佐賀関町佐賀関ダムへ至るNEE-SWW方向の高角断層以南の北部ユニットでは,一般走向は,NEE-SWWで,30°- 60°南傾斜である.

佐賀関町関崎灯台下
臼杵市六ヶ迫より佐賀関町小網代に至るNEE-SWW方向の2つの高角断層以北では,一般走向はNEE-SWWで,南に40°- 70°傾斜する.この断層以南では,一般走向はNEE-SWWで,臼杵市尾本付近と臼杵市山口から目明に至るNEE-SWW方向の軸を持つアンチフォーム以北では北に40°- 60°傾斜し,このアンチフォーム以南では南に40°- 60°傾斜する.
本地域の三波川変成岩類には,片理面・褶曲軸面・節理面などの面構造が発達する.また,地質図規模から顕微鏡下で観察できるスケールまでの褶曲が認められる.
片理面は泥質片岩や塩基性片岩などでは明瞭に認められ,一般に層理面に一致する.砂質片岩では片理面の発達は弱い.泥質片岩では,片理面は石英・アルバイトに富む優白質な薄層と緑泥石・白雲母・石墨に富む暗灰色の薄層の境界面に相当する.塩基性片岩では,片理面は石英・アルバイトに富む優白質な薄層と緑れん石・アクチノ閃石などの苦鉄質鉱物に富む薄層の境界であったり,苦鉄質鉱物の鉱物構成や量比が異なる層の境界であったりする.片理面上には,角閃石の定向配列による鉱物線構造,微細褶曲に伴うちりめんじわ線構造,及び小褶曲の軸面との交線に当たる線構造などが発達する.
片理面に平行な軸面を持つ閉じた等斜褶曲は,波長数m―数mmで,もっとも早期の変形構造である.臼杵市佐志生から佐賀関町浜に続く海岸線でよく観察できる.次の時期の変形構造は,翼部の形態が閉じた褶曲であり,泥質片岩や塩基性片岩では冠部が比較的尖っており,褶曲の軸部や翼部にはより小規模な褶曲を伴っている(第17図a).一方,砂質片岩では冠部はより曲率が大きく丸くなっており,翼部も平坦である(第17図b).
片理面に平行な面構造として,破断へき開もみられる.主に泥質片岩に発達し,微褶曲した片理を密に切っており,へき開面は癒着している.片理面と広角度で交わる破断へき開のへき界面は褶曲軸面に平行で,数cm間隔で入り,この面に沿って剝離性が生じている(第18図a).
塩基性片岩や泥質片岩にはキンクバンドもみられる(第18図b).

a:塩基性片岩に見られる閉じた褶曲,佐賀関町大黒.
b:砂質片岩に見られる閉じた褶曲.黒色部は泥質,佐賀関町踊鼻.

a:泥質片岩に見られる破断壁開,臼杵市網代.
b:泥質片岩に見られるキンクバンド,佐賀関町室生.
本地域に分布する三波川変成岩類は,泥質片岩・塩基性片岩・砂質片岩からおもに構成される.北部ユニットではこの他に,特徴的に蛇紋岩や石灰質片岩が挟まる.南部ユニットではこの他に石英片岩が挟まる.
以下各岩相ごとにその特徴を記載する.
泥質片岩は本地域では塩基性片岩とともに最も多く産出する.野外では,黒灰色を呈し,片理の発達が強い.部分的に珪質のところもある.原岩は有機物に富む頁岩ないし珪質頁岩と推定される.原岩の堆積構造は殆ど見られない.石英,長石からなる優白質の層と雲母類からなる優黒質な層が数ミリ単位で繰り返す縞状構造が認められる.主要構成鉱物は石英,アルバイト,白雲母,緑泥石,石墨である.まれにざくろ石が加わる.これらの鉱物の他に,スフェーン,緑れん石,燐灰石,電気石,方解石,不透明鉱物を少量伴う.白雲母,緑泥石は定向配列を示す.
野外で,濃青緑色―淡黄緑色を呈す.これらの塩基性片岩は原岩の構造が残っていないため,原岩の推定が困難である.比較的まとまって厚い岩体をなす場合と,数十m以下の厚さのものが泥質片岩と互層する場合がある.主要構成鉱物は,緑泥石,緑れん石,角閃石,アルバイト,石英,方解石である.淡黄緑色のものにはパンペリー石が含まれることがある.角閃石は通常アクチノ閃石であるが,まれにアルカリ角閃石が出現する.アルカリ角閃石はb=Yであり,クロス閃石と推定される.この他に,残晶鉱物として,緑色―褐色角閃石や単斜輝石が含まれる.この場合,残晶角閃石や単斜輝石は周囲よりアクチノ閃石に置換されるのが観察される.これらの他に,少量のスフェーン,燐灰石,不透明鉱物を伴う.
中―粗粒で,野外では灰色を示す.泥質片岩に比べ片理の発達が弱い.約10cm角のブロックに割れやすい.比較的厚いものがまとまって出現する場合と,厚さ数十m以下のものが層状に泥質片岩中に挟まる場合とがある.主要構成鉱物は石英,アルバイト,白雲母,緑泥石である.残留鉱物として,斜長石,正長石が含まれる.この他に,燐灰石,電気石,スフェーン,不透明鉱物を少量含む.
野外で灰白色を呈す.泥質片岩中に厚さ数十m以下の層状の岩体として出現する.塩基性片岩を伴うこともある.大部分が細粒の石英の集合体である.これに少量の,白雲母,アルバイト,スチルプノメレン,ざくろ石を伴う.
野外では白色ないし灰白色を呈す.おもに方解石の集合体からなるが,少量の石英・アルバイト・緑れん石・不透明鉱物を含む.部分的に炭質物を含み,黒色を呈することもある.
野外で暗黒色を示す.塊状で単斜輝石の濃集した層状構造を示す場合と,剪断作用を強く受け片状に割れ安くなっている場合がある.構成鉱物は蛇紋石・不透明鉱物で,残晶鉱物として単斜輝石を含む.単斜輝石は壁開に沿って蛇紋石化しており,完全に蛇紋石化したものではバスタイト構造を示す.
本地域に分布する三波川変成岩類は,低温高圧型の変成作用によって,ざくろ石(第19図),クロス閃石(第20図a),パンペリー石(第20図b)を生じている.ローソン石,ひすい輝石は出現しない.本地域の三波川変成岩類は,泥質片岩及び塩基性片岩の鉱物組み合わせからは,明瞭に変成分帯ができない.ただし,泥質片岩におけるざくろ石の出現は,北部ユニットの巨大な蛇紋岩体が分布する層準の上位に多い傾向がある(第21図).アルカリ角閃石やパンペリー石は,塩基性片岩の分布が片寄っているので,全体的な傾向はわからない(第22図).
三波川変成岩類は四国中央部において,鉱物による分帯がなされている(Banno and Sakai, 1989).本地域における鉱物組合せをこれと比較すると,泥質片岩において,ざくろ石はごく稀にしか出現しないことより,緑泥石帯の高温部に対比される.赤鉄鉱を含む塩基性片岩にクロス閃石が出現することより,クロス閃石帯,赤鉄鉱を含まない塩基性片岩ではパンペリー石―緑れん石―アクチノ閃石の組合せが見られることより,パンペリー石緑れん石アクチノ閃石帯にそれぞれ対比できる.緑泥石帯の温度圧力条件はおよそP=7-9kbar,T=350-450℃と推定されている(Banno and Sakai, 1989).なお,三波川変成作用のピークは116±10Maとされている(南新ほか,1979 ; Isozaki and Itaya, 1990).

G:ざくろ石,C:緑泥石

a:塩基性片岩中のアルカリ角閃石(佐賀関町志生木ダム),N:アルカリ角閃石,Q:石英
b:塩基性片岩中のパンペリー石(佐賀関町一尺屋),P:パンペリー石,Ac:アクチノ閃石

gar:ざくろ石,chl:緑泥石

Na-amph:アルカリ角閃石,Pp:パンペリー石
(宮崎一博)
大野川層群は,犬飼地域(寺岡ほか,1992)では,4つの亜層群に区分されており,本地域に分布する大野川層群は,寺岡(1970)によれば,最上部の上部亜層群の海辺層のA2b部層に属する.臼杵市佐志生南方と臼杵市黒島に分布する.佐志生断層により北側の三波川変成岩類と接する.佐志生南方では,三波川変成岩類との間に,石英閃緑岩マイロナイトが挟まる.本地域に分布する海辺層は,神戸・寺岡(1968)の下ノ江向斜の北翼に当たる.砂岩頁岩中―厚互層を主とし,砂岩の厚層や,ごく小量の細礫礫岩を伴う.泥岩にはスランプ構造がみられ,淘汰の悪い泥質基質中に砂岩や頁岩の岩片が含まれる.
寺岡(1970)によると,本層はPolyptychoceras pseudoganultinum (Yokoyama), Inoceramus amakusensis Nagao & Matsumoto, Inoceramus yokoyamai Nagao & Matsumoto, Acila (Truncacila) sp., Hemiaster sp.などの化石を産し,本層の地質時代は上部白亜紀後期サントニアンである.
(宮崎一博)
佐賀関町城山付近には,三波川変成岩類の泥質片岩中に幅約30mの花崗閃緑斑岩が貫入している.観察される露頭では風化が著しく泥質片岩との境界部の記載は困難である.風化による玉ねぎ状構造が観察される.斑晶として径0.2-0.3mm程の斜長石を多量に含む.この斜長石にはアルバイト双晶や累帯構造が見られる.斜長石は変質作用により細粒の白色雲母・炭酸塩鉱物に置換される.斑晶にはこの他に元は角閃石や輝石と思われる有色鉱物が含まれるが,全て緑泥石や炭酸塩鉱物に置換されている.基質は径0.05mm程の石英・斜長石・白色雲母からなる.本岩は三波川変成岩類に貫入していることより時代は後期白亜紀以降であるが,その詳しい年代は不明である.
(吉岡敏和)
本図幅地域北西部の別府湾岸を含む大分平野周辺の丘陵地域には,鮮新―中部更新統の堆積物が分布し,首藤(1953)によって碩南層群及び大分層群と命名されている.本地域は両層群の分布の東縁部に当り,碩南層群の判田層及び東稙田層相当層を大分層群上部層が不整合で覆っている.
本図幅地域における碩南層群は,別府湾岸の丘陵下部に分布し,丘陵地東部の佐賀関町馬場及び神崎で比較的広く露出する.層相は火山灰質のシルト層及び砂層を主体とし,三波川変成岩礫からなる礫層を挟む.三波川変成岩類との境界は,分布西部では境界付近で特に礫質となる傾向がないため断層関係と推定されるが,分布東部の馬場及び神崎では三波川変成岩類を不整合で覆う露頭が観察される.本地域内では全体に南西ないし南に10°- 20°傾斜しており,東ほど下位の層準が露出する傾向があるが,鍵層となる凝灰岩層の分布から木田東部―細南方間に北落ちの断層が推定される.
本層群の最下部に近い大分市磯崎では碩南層群と大分層群の不整合露頭が見られる(第23図).下位の碩南層群中には厚さ50cm以上の軽石凝灰岩が挟まれる.軽石は白色で繊維状に発泡してガラス状の光沢を持ち,黒雲母を含む.また表面に黄褐色に汚染が見られる.これらの特徴からこの軽石凝灰岩層は敷戸凝灰岩層に対比されると考えられる.またこの凝灰岩の下位のシルト層(大分層群鶴崎層と記載)からは大山・坂本(1972)によってMetasequoiaの球果1個が報告されている.
東上野中央北部,木田東部及び馬場西方では,大分層群との不整合面直下に角閃石に富む軽石凝灰岩及び凝灰質砂層が認められる.下部50-150cmは角閃石・斜長石などの鉱物粒に富み黒雲母を少量含む軽石凝灰岩で,その上位には細かい葉理を有する凝灰質砂層及び小礫を含む軽石質砂層の互層が重なる.軽石は白色でガラスは変質している.層相からこの凝灰質層は火砕流堆積物とその再堆積の砂層と考えられ,本層は耶馬渓火砕流堆積物に対比される可能性がある.
これらの凝灰岩層の対比により,本地域の碩南層群はそのほとんどが東稙田層に,下部の一部が判田層に相当すると考えられる.堆積年代については,敷戸凝灰岩から1.3±0.3Ma(竹村ほか,1988),1.7±0.3Ma(水野ほか,1989)のフィッション・トラック年代が得られていること,及び磯崎において本層群に相当すると考えられる層準からMetasequoiaの球果が報告されていることから,本地域の碩南層群はすべて下部更新統と考えられる.

首藤(1953),岡口(1976)は大分層群を滝尾層及び鶴崎層に区分したが,水野ほか(1989)は大分層群の中位に相当する地層が碩南層群を不整合で覆うことを明らかにし,この不整合より上位の地層を大分層群上部とした.本図幅地域にはこの大分層群上部に相当する地層のみが分布する.
本図幅地域の大分層群は図幅地域北西部の丘陵地域で碩南層群を不整合で覆って分布するほか,分布南縁部では三波川変成岩類と直接不整合で接している.層厚は最大で約20mで,東ほど薄くなる傾向がある.堆積物は三波川変成岩類礫からなる亜角―角礫層及び不淘汰なシルト層を主とし,大部分は非海成であるが,上部には海成のシルト層が見られる.不整合面の数-10m上位には軽石質砂・火山灰互層(誓願寺軽石層;水野ほか,1989)が挟まれる.
大分市磯崎では,第23図に示したように碩南層群を不整合面で覆って分布し,円磨された軽石及び円礫を多く含む泥流堆積物とその上位の火山灰質シルト層からなり,このシルト層から大山・坂本(1972)によって貝化石の産出が報告されている(第2表).これらの貝化石はいずれも内湾性で,潮間帯下部から水深2-3mまでの環境を示す.大山ほかはこの貝化石の産出層準を首藤(1963)の岡層とし,南関東の下末吉層に対比しているが,露頭で観察される限り,上位の段丘堆積物との関係は傾斜不整合と見られるため,本報告では大分層群に相当するものと考えた.
大分層群上部層の堆積年代については,後述するように誓願寺軽石層の年代が約0.6-0.7Maであることから,中部更新統と考えられる.

大分市丹生誓願寺付近の丹生川北岸(大分図幅地域内)を模式地とし,丹生川両岸の丘陵縁辺部に広く露出する(第24図).淘汰のよい直径1-2mmの軽石及び火山砂とガラス質火山灰が数cmの厚さで繰り返し成層していることを特徴とし,軽石には黒雲母及び角閃石を含む.火山ガラスの屈折率は1.500-1.505,角閃石のそれは1.671-1.677である(町田・新井,1992).図幅地域西端の大分市坂ノ市南方では成層した軽石質砂層の上位に厚さ約2mの堅固な塊状の凝灰質砂岩を伴う.模式地周辺では約5mの厚さを有するが,本図幅地域内では1-2mである.水野ほか(1989)は誓願寺軽石層を広島県西条層中の岡郷火山灰層(東元ほか,1985)及び大阪層群中の栂火山灰層(吉川,1976)に対比しており,岡郷火山灰層のフィッション・トラック年代が0.57±0.09Maであること(東元ほか,1985)や,栂火山灰層と海成粘土層との関係から,誓願寺軽石層の堆積年代は約0.6-0.7Maと推定される.

(吉岡敏和)
本図幅地域では佐賀関半島の北側(別府湾側)にのみ海成及び河成の段丘が発達する.本報告ではこれらの段丘面を3面に区分し,それぞれ中位I段丘,中位II段丘及び低位I段丘とする.本図幅地域内には高位段丘に相当するものは認められない.第3表に大分平野周辺の段丘区分とその対比を示す.

本図幅地域の中位段丘は中位I,中位II段丘ともほとんどが海成段丘で,別府湾沿岸に分布する.堆積物は主として三波川変成岩類の細礫―中礫大の円亜円礫からなり,基質は淘汰の良い砂である.層厚は1-3mで,上部に厚さ50cm-1mのシルト層を伴うことが多い.
本図幅地域の低位段丘はいずれも河成段丘で,別府湾に注ぐ尾田川,小猫川及び志生木川に沿って分布する.堆積物は三波川変成岩類の角礫からなる淘汰の悪い礫層で,基質は同変成岩の風化によって生成された粘土である.層厚は一定せず,1-5mもしくはそれ以上の厚さを有することがある.
佐賀関半島の中軸をなす山地の南側斜面の尾根上には地すべりによって形成されたと考えられる緩斜面が分布する.面を構成する堆積物は三波川変成岩類の角礫及び風化粘土からなる.なお,同様の堆積物は山地内の斜面及び尾根上の各所に認められるが,地質図では地すべりによる緩斜面が見られるもののみを図示し,その他は省略した.
本図幅地域の沖積層は,図幅地域西端別府湾岸の大分市坂ノ市付近でやや広く発達するほか,主要な河川に沿って分布する.地質図では沖積層のうち海岸沿いに微高地を形成する浜堤堆積物(ar)を特に区分して示した.堆積物は,山地内の河川沿いのものは三波川変成岩礫からなる亜円―亜角礫層及び同変成岩の風化によって生成された粘土層からなるが,沿岸部では比較的淘汰のよい砂層及びシルト層を主体とする.また浜堤堆積物は淘汰のよい砂層からなる.
(宮崎一博)
本地域には,佐賀の関鉱山(関鉱山),宝蔵寺鉱山,志生木鉱山,神崎鉱山に含銅硫化鉄鉱床が存在する.現在はどの鉱山も休止中である.佐賀の関鉱山は,佐賀関町古宮にある.母岩は,泥質片岩・塩基性片岩・蛇紋岩であり,鉱床は片理に平行なレンズ状をなすが蛇紋岩中に発達するものは整然としたレンズ状をなさない.鉱石は,黄鉄鉱・黄銅鉱・磁硫鉄鉱を主とし,小量の磁鉄鉱・閃亜鉛鉱を伴うことがある(大分県総務部企画調査課,1951).宝蔵寺鉱山は,佐賀関町宝蔵寺に位置し,鉱床は,蛇紋岩と塩基性片岩の境界部に沿って発達する.鉱石は磁硫鉄鉱・黄銅鉱より成る(大分県総務部企画調査課,1951).
佐賀の関鉱山は,昭和の初年まで200t/月の産額をあげ,宝蔵寺鉱山では大正10年から昭和29年までに約1000tの鉱石を産している(木下,1961).志生木鉱山では,大正10年より大正14年まで稼行し,大正11年に約1000tの鉱石を産出している(大分県総務部企画調査課,1951).