EXPLANATORY TEXT OF THE GEOLOGICAL MAP OF JAPAN Scale 1:50,000 KANAZAWA Kanazawa, No. 26
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(Written in 1958)
The sheet-map area is situated in the Hokuriku region, Central Japan, and faces to the Japan Sea. The strata exposed in this area are composed of the Neogene Tertiary sediments (Hokuriku group) and the Quaternary sediments. The geological succession is shown in Table 1.

The Neogene Tertiary sediments consist of the Yatsuo, Otogawa, Himi and Hanyū formations in ascending order. The age of these formations ranges from middle Miocene to Pliocene.
The lower part is composed of acidic tuff, tuff-breccia, tuffaceous sandstone and tuffaceous mudstone. These rocks yield molluscan fossils, so-called "Yatsuo-Kadonosawa" fauna. Accordingly this part shows sedimentary facies of shallow sea in the early stage of transgression which succeeds to volcanic activity. The upper part consists mainly of massive mudstone, and shows more stable rock facies than the lower part. Lava flows of basalt are intercalated in the middle part of the formation, but in small extent. Otogawa formation This formation is conformable to the under-lying Yatsuo formation. The lower part is composed of andesitic tuff and tuffaceous sandstone, and the upper part consists of massive mudstone or siltstone intercalated with a few layers of acidic tuff. Molluscan fossils is poor, but fossil diatom yields abundant in the formation.
It covers unconformably the Otogawa formation, and rests directly on the Yatsuo formation in the area along the Asano river. The formation consists principally of massive sandstone, and contains many molluscan fossils, so-called "Omma-Manganji" fauna showing Oyashio type. The formation is represented by the Omma sandstone member.
This formation in the area is called the Udatsuyama formation. It consists of conglomerate, sandstone and alternation of sandstone and mudstone. The formation occurred in the regressional stage. They yield plant fossil and fresh or brackish molluscan fossils at many places.
Quaternary sediments are composed of terrace deposits, fan deposits and alluvial deposits. They are erosion products when the Toyama sedimentary basin was dissected.
Natural gas is found in the Quaternary sediments on the east side of Kahoku-gata, but the present production is small. Hornblende andesite from Tomuro volcano is frequently quarried for building stone. Several mineral springs issue in the Tertiary sedimentary rocks. They belong to salt spring.
1:50,000地質図幅 説明書
(昭和33年稿)
金沢 (金沢―第26号)
本図幅調査は城端・石動・八尾・五百石の各図幅調査と平行して,昭和31年度に行われた。本稿中,応用地質の地下水の項に関しては,本所森和雄技官が担当した。また現地調査にあたっては,金沢大学の絈野義夫助教授に多くの教示および調査上の便宜をうけた。
本図幅地域は日本海に面し,地域の中心に北陸の古都金沢市がある。市の東方には礪波丘陵が,南方には富樫山地があり,いずれも北西方に低くなり,加賀平野となる。
礪波丘陵は加賀平野と図幅地域外の東方礪波平野との間にあり,新第三系中上部の地層からなる。新第三系は全体としてきわめて緩やかな傾斜を示し,海抜150m以下の低平な地形をつくっているが,丘陵の西縁部では,地層は北西方に急傾斜して,いわゆる森本撓曲をなし,このため丘陵の末端では北東-南西方向に直線的に急崖が発達しており,地質構造がよく現地形にあらわれている。丘陵地は森本川・金腐川・多数の小河川およびそれらの支谷によって開析され,複雑な細長い稜線が発達している。丘陵地の南部には第四紀の火山岩からなる戸室山(海抜547.9m)が,丘陵地にドーム状に突出している。
金沢市南方の富樫山地は標高250m以下の前縁山地で,支谷の少ない小河川によって深く開析されているために,山頂部には鋭い稜線が発達せず,河川の方向も直線的である。礪波丘陵と同じく,山地を構成する地層は新第三系で,山地の北西縁では地層は平野に向かって急傾斜している。
礪波丘陵と富樫山地との間を犀川および浅野川が,北西方に平行して流れている。両河川の河岸には4~5段の段丘が認められる。このうち著しいものは金沢市内にまで延びており,金沢大学や兼六園はこの段丘の上にある。これらの段丘から古地形を復元すると,両河川はもともと1本の河川であったことが推定される。この河を古犀川と仮称すると,古犀川は新第三系の地質構造から向斜谷として発達したものであることがわかる。
加賀平野は地形的に金石と金沢市の北方とを結ぶ線を境として,その北方の河北潟周辺の冲積平地と,南西方地域外の手取川および古犀川扇状地とに区別される。
河北潟は面積約22.85km2,周囲約27.3km,水深約2mの湖沼で,本図幅地域にはその南半部がみられる。河北潟に流入する河川は,図幅地域内では森本川・金腐川および浅野川で,これらの河川のもたらす土砂によって,三角洲が形成され河北潟は徐々に埋積されている。河北潟の排水口は南西端の大野川で,潟の水面と海水面との高度差が約40cmであるために,海水の流入が容易で,汽水湖となっている。潟の周辺は平坦な冲積平地である。
手取川および古犀川の扇状地地域は,富樫山地の山麓部から海岸線に向かって,約1/150の勾配をもつ平野である。
図幅地域内の海岸線は北東-南西方向に一直線に走っている。海岸には砂丘があるが,砂丘の発達は手取川扇状地が海岸に達する地域では悪く,これより北東方に向かって良好となる。したがって北東方の海岸は砂地であるが,南西方では砂・礫が多い。
本図幅地域は裏日本の新第三系分布地域のうち,いわゆる北陸区に属し,富山積成盆地の西域にあたっている。
富山積成盆地を構成する地層は,新第三紀の北陸層群17)および第四紀の堆積物からなる。その総括的な層序および岩相的特徴を第1表に示す。
富山積成盆地は,基本的には東北東-西南西方向を軸とした北方に沈降する傾動運動によって形成されたものであるが,第四紀には北北東-南南西方向の波曲運動が支配的となり,山地部の隆起,平地部の沈降運動が,現在の地形によくあらわれている17)。
本図幅地域には北陸層群の八尾累層以上の地層があらわれている。この層序関係を第2表に示す。

坂本・今井・水野・角・井上(1958) 一部簡略化してある

北陸層群は富山積成盆地を構成する新第三系を総括したものである。新第三系は,下位から楡原累層・岩稲累層・八尾累層・音川累層・氷見累層・埴生累層に区分される17)。その地質時代は中新世中期から鮮新世にまたがり,広域にわたる初期の火山活動の激しい時期を経て,徐々に積成盆地が発達し,ついで沈降運動の減少につれて,次第に盆地が埋積されてゆく過程を示している。
本図幅地域に分布する北陸層群は,積成盆地の西縁にあたっているため,上に述べたような北陸層群の一般的な性格を保ちながら,その岩相,堆積状態,火山活動,層厚など,本図幅地域としての特性をもっている。
八尾累層は八尾図幅地域では下位の岩稲累層に整合,部分的に不整合の関係で接している。城端図幅地域では,本累層の中下部に石英安山岩質および流紋岩質火砕岩を主とする医王山火砕岩層が発達する13)。
全般に海進初期の岩相変化のはげしい浅海相から,次第に安定した泥質の堆積相への変化が認められる。とくにその中下部にはMiogypsina, Operculinaなどの有孔虫化石とともに,中新世中期を指示する暖海性の八尾門ノ沢動物群が認められる。
本図幅地域内では八尾累層の中部および上部が露出する。すなわち下位から砂子坂凝灰質互層・七曲凝灰岩層・黒壁玄武岩・朝屋泥岩層である。
本層は医王山火砕岩層の上に整合漸移的に重なる。図幅地域内ではその南東隅に上部が僅かに分布するにすぎない。
主として暗灰色を呈する凝灰質砂岩および同泥岩からなり,随所に凝灰岩および凝灰角礫岩を挟む。
砂岩は凝灰質中粒砂岩を主とするが,細粒のものから極粗粒のものまであり,粒度変化に富む。淘汰はあまり良好でなく,粗粒部と細粒部とが不規則に混在している。砂岩中に軽石粒が散在することがあるが,またときに黒色の火山砂が密集する。
泥岩は淘汰が悪くシルトがちのものと,泥質のものとがある。シルトがちの泥岩は一般に堅硬で,ときに硬質頁岩状となる。いずれも非常に凝灰質である。
凝灰岩および凝灰角礫岩は淡緑色または灰白色を呈し,いずれも軽石質で,まれに角閃石を含んでおり,岩質上,下位の医王山火砕岩類の主体をなす流紋岩と同質のものである。
浅野川沿岸の市瀬・北袋・覗(いずれも鶴来図幅地域内)などでは,凝灰質砂岩中からOperculina complanata japonica HANZAWAを豊富に産する。また各地からChlamys nisataiensis, Ostrea gravitesta, Phaxus izumoensis (YOKOYAMA)などの貝化石,およびAstriclypeus manni, Echinolampas yoshiwaraiなどのウニ,またまれにLiquidamberなどの植物化石を産する。
南隣鶴来図幅地域内でみられる本層と医王山火砕岩層との関係は,明瞭な境界をもって示されず,むしろ相互に移化しており,医王山の火山活動が減少するにつれて,徐々に陸源堆積物が堆積したものと思われる。したがって,本層の厚さは各地で変化し中戸南方で約170m,浅野川流域で100mである。
本層は本図幅地域南縁浅野川沿岸の朝屋附近から,上辰己・山川および額谷にかけて分布する。下位の砂子坂凝灰質互層との関係は一般に漸移的であるが,浅野川沿いの湯涌街道では局地的不整合関係が認められる(朝屋―東市瀬間)。
本層は主として凝灰質砂岩・同泥岩・軽石質凝灰岩および白色細粒凝灰岩の互層からなり,とくにその上部では単層の厚さ50~100cmの板状互層が著しい。
層厚は額谷附近で60m,平栗附近で約100m,山川南方で約60m,浅野川沿岸で30~40mである。
本層はその層序的位置から,八尾地域の八尾累層の山田中凝灰岩層,城端地域の土山凝灰岩層に対比されている7)。
本図幅地域にはほとんど露出しないが,南隣鶴来図幅地域内では,医王山累層・砂子坂凝灰質互層・七曲凝灰岩層を貫ぬく玄武岩質岩脈が各地でみうけられる。いずれも幅数m~10数mで,黒色,堅硬である。鏡下では斜長石・普通輝石および橄欖石の斑晶を有し,橄欖石は変質して緑色鉱物と炭酸塩鉱物とに変わっている。石基は間粒状組織を示し,斜長石・単斜輝石・鉄鉱・少量の鱗珪石およびガラスからなる。
本岩は図幅地域南縁,別所南東方の黒壁附近を中心として,局地的に分布する。層位的には七曲凝灰岩層の最上部に位置し,上位の朝屋泥岩層に覆われている。普通輝石橄攬石玄武岩の集塊岩状を呈する熔岩からなり,全般に黒色を呈し,方解石でみたされている多数の孔隙がある。また同源の捕獲岩を多数含む。鏡下では次の通りである。
斜長石・橄欖石・普通輝石およびガラス
燐灰石および鉄鉱
本岩の厚さは黒壁附近でもっとも厚く,40m以上と思われるが,平栗・山川附近では次第に薄くなり遂に消滅する。
本層は図幅地域南部の朝屋・下辰己・別所・平栗附近に分布する。下位の七曲凝灰岩層および黒壁玄武岩とは整合関係にある。おもに均質塊状の泥岩およびシルト質泥岩からなり,新鮮なところでは暗灰色を呈するが,風化すると淡黄色を呈し,軟弱となる。一部凝灰質で,軽石の微粒を含むことがある。平栗附近では本層の最下部約10mに硬質頁岩を主とする板状互層が発達する。本層中には大型化石は少ないが,海綿骨針・海棲珪藻などを多産し,随所にMakiyama chitaniiを含む。二枚貝としてはYoldia sp.が認められ,またSchizaster recticanalisなどのウニも各所で産する。本層の厚さは朝屋附近で40~100m,平栗・別所および末附近で130~150m,額谷附近で約120mであるが,これより南では次第に薄くなる。概して層厚の変化は,みかけ上富樫山地を中心とする背斜の中心部で厚く,浅野川・犀川沿岸の向斜部で薄くなる傾向がある。この傾向は上位の高窪泥岩層にも認められる。


八尾・五百石地域では本累層は下位の八尾累層と不整合関係にあるが,城端図幅から本図幅にかけての地域では整合である13)。さらに石動・邑知潟図幅地域では本累層に局地的ではあるが顕著な岩相および層厚の変化が認められる13)。これらのことから示されるように,富山積成盆地全域からみた場合,本累層は垂直的には八尾累層の変化のはげしい岩相に対してより安定した堆積相を示しているが,盆地の縁辺部あるいは局地的には基盤の差別運動による盆地の中心の移動とか,いわゆる音川動物群註1)で代表される環境の変化などで特徴づけられる地層である。
本図幅地域内では音川累層は下位から下荒屋凝灰岩層と,高窪泥岩層とに大別される。
本層は地域南部の下荒屋・上辰己・末および三小牛から額谷にかけて,細長く分布する。下位の朝屋泥岩とは一般に整合であるが,下荒屋附近では第3図のように一部指交(interfinger)している。本層は安山岩質凝灰角礫岩および軽石質凝灰岩を主とするが,平栗北方では凝灰質砂岩・シルト岩が発達する。
下荒屋附近では下部は暗灰色を呈する凝灰質砂岩および軽石凝灰岩からなり,上部は暗褐色の岩滓凝灰岩からなる。層厚は約60mである。
平栗北方では厚さ約30mで,下部約10mは安山岩質岩滓凝灰岩・凝灰質泥岩および凝灰質砂岩からなる火砕岩を主とする。中部約15mは暗青色を呈する凝灰質細粒砂岩からなり,その下部には細礫が散在する。上部約5mは凝灰質灰色シルト岩からなる。このシルト岩はやや硬質で,炭質物および軽石粒を含み,また二枚貝・ウニなどの化石の破片が認められる。
これより以西では,本層は灰白色細粒凝灰岩を主とし,厚さは10m以下となる。

A:シルト質泥岩(朝屋泥岩層)
B:凝灰質砂岩(下荒屋凝灰岩層)
本層は図幅地域南部では下位層と平行的に分布しており,地域北東部にも広く分布している。下位の下荒屋凝灰岩層とは整合である。
本層は岩相の特徴から,大まかに下部と上部とに大別される。
下部は金沢市南方のみに分布する。全般に均質なシルト岩またはシルト質泥岩からなる。この岩相は朝屋泥岩層の泥岩によく似ている。最下部には僅かに軽石の微粒が含まれる。上部はシルト岩を主とするが,下部との境附近はやや砂質で,炭質物を含む。窪町南方の沢の上流では薄い白色凝灰岩を挟む。
全般に貝化石は少ないが,多数の珪藻および海綿骨針を含む。
上部は金沢市街の南方および北東方地域に分布する。主として暗灰色~青灰色のシルト岩からなり,風化面に黄色い粉があらわれる特徴がある。砂質部では局部的に刷毛ではいたあとのような葉理が発達する。またシルト岩中に径30cm大の団塊が列をなして含まれる。上部ほど砂がちとなる傾向がある。全般に貝化石はほとんど含まれないが大桑附近では,本層最上部でPecten sp., Lucina sp., Volsella sp., Dentalium yokoyamaiなどの化石を多産する。金沢市北東方地域では,上部に顕著な2帯の凝灰岩層が発達し,非常によく連続する。
本層は金沢市の北東方で60m以上,南方では浅野川沿岸で20~30m,窪町南方附近で約200m,額谷附近で80m,それ以南では10m以下となる。このような層厚の変化は,朝屋泥岩層の層厚変化と同じく,みかけ上背斜部に厚く,向斜部に薄い傾向があるが,全体としてはむしろ南で薄く,北方に向かって次第に厚くなる傾向をもっている(第2図参照)。
氷見累層は図幅地域外の氷見丘陵で藪田シルト岩および夏川層13),金沢市周辺で大桑砂岩層とよばれる地層を総括するもので,富山積成盆地形成の後期の産物であり,浅海的な堆積相を示す。下位の音川累層との関係は,積成盆地の南縁では不整合が認められるが,それより北方では次第に整合となる傾向がある。
本図幅地域では氷見累層は大桑砂岩層で代表される。
本層は金沢市周辺地域に広く分布する。
下位層との関係はほとんど整合であるが,浅野川および犀川の上流では不整合で次第に下位層を被覆し,東市瀬の南方では砂子坂凝灰質互層に直接するにいたる。したがって本層堆積前に,後背地が徐々に隆起して,下位層が削剝されるにいたったことがわかる(第5図)。
本層は金沢市の南方では砂岩を主とするが,市の北東方では下部にシルト岩が発達する。
シルト岩は全般に砂質で,岩質的には高窪泥岩層上部のシルト岩によく似ている。貝化石および有孔虫化石に富み,炭質物の微片を含む。最下部には非常に顕著な凝灰岩が発達する。この凝灰岩は軽石質で,全般に粗粒,輝石の結晶が認められる。釣部および牧附近ではその厚さ20mに及ぶが,北方に向かって次第に薄くなり,2m以下となる。なお,この凝灰岩は金沢市の南方では認められない。
大桑砂岩層の主体をなす砂岩は,全般に塊状で,新鮮な部分では暗青色を呈するが,風化すると黄褐色を呈し軟弱となる。最下部はやや粗粒であるが,一般に下部から上部にかけて細粒から中粒へと次第に粗くなる。中部および上部にはときに薄いシルト岩ないし泥岩を挟む。中部には直径1cm以下の礫が散在していることがある。礫種は粘板岩・チャートなどの古期岩類が多い。上部の砂岩中には鉄銹が多く,砂管を含む層準があり,またときに偽層がみうけられる。
金沢市の南方地域では,本層の基底から約20m上位に,厚さ約20cmの白色細粒凝灰岩が見られ,よく連続する。
本層から産する貝化石のおもなものは
Anadara amicula, Glycymeris yessoensis, Acila divaricata, Dosinia japonica, Macoma tokyoensis, Diplodonta usta, Mercenaria stimpsoni, Patinopecten tokyoensis, Patinopecten kurosawaensis, Turritella saishuensis, Natica janthostoma
などで,寒流系を示すいわゆる大桑―万願寺動物群からなり,時代的には鮮新世後期を示す2)3)。また本層からはEchinarachnius tsudai, Echinarachnius mirabilis, Clypeaster virescensなどのウニの化石5),Nonion japonicum, Hanzawaia nipponica, Pseudopolymorphina ishikawaensis, Pseudopolymorphina okuwaensis, Sigmoidella kagaensis, Bolivina seminuda, Rotalia japonicaなどの有孔虫化石11)の産出が知られている。
本層の厚さは額谷附近で110m,山科附近で130m,森本附近で150mである。


u:卯辰山層 O:大桑砂岩層 T:高窪泥岩層 Si:下荒屋凝灰岩層 A:朝屋泥岩層 N:七曲凝灰岩層 Su:砂子坂凝灰質互層
富山積成盆地形成末期の堆積物で,地域外の西礪波で埴生互層,金沢市周辺で卯辰山層とよばれる。ところによって堆積相を異にするが,おもに礫岩・砂岩・泥岩およびそれらの互層からなり,潟性あるいは湖性の堆積物と思われる。
下位層とは地域的に不整合関係で接する。
金沢市街の東方から南方へと,市をとりまくように分布する。下位層とは金沢市周辺では整合関係であるが,浅野川および犀川の中流地域では不整合で次第に下位層を被覆し,医王山火砕岩層まで被覆するにいたる。層厚は山科町南方で170m以上,卯辰山附近で150m以上である。
全般に下部は礫岩および礫質砂岩に富み,中部は砂岩・シルト岩・泥岩およびそれらの互層からなる。南東方に向かって,下位層には次第に本層の上部が接しているものと思われる。
全般に岩相変化がはげしい。
礫岩は直径10cm以下,普通2~3cm大の礫からなり,ところによっては著しい偽層を示す。礫種は安山岩・流紋岩およびこれらの凝灰岩・凝灰角礫岩・粘板岩・チャート・砂岩などで,亜角礫質のものが多い。
シルト岩・粘土中には植物片が多い。
砂岩には中~粗粒のものが多く,随所に斜交層理が発達し,またところによって細礫が散在している。
金沢市街の北郊の茅山の切割にみられる成層した泥岩からは,淡水の魚・貝類・陸上植物・水中植物・淡水珪藻などを多産することがしられている4)10)。
かつて戸室山近傍産としてParastegodon aurorae MATSUMOTOの産出がしられている1)が,これはおそらく本層産のものと思われる。
第四系は高位砂礫層・戸室火山噴出物・扇状地堆積物・段丘堆積物・冲積層などからなり,いずれも富山積成盆地を形成する運動から,新しい造構運動に変わった時期の産物である。
卯辰山・戸室周辺・野田山および三小牛附近には,標高150~200mの山頂部に平坦面が認められる。この平坦面には礫・砂および粘土からなる地層が発達している註2)。いずれも凝固度が低く,5°以下の傾斜で,一定の走向を示さない。同様な堆積物は富樫山地の南方(鶴来図幅地域内)にも認められるので,これらを一括して高位砂礫層14)とよぶ。本層の厚さは一般に10m以上と思われるが,卯辰山では30mに及ぶ。卯辰山層とは各地で不整合関係にある。本層がどのような条件下で堆積したかについては明らかでなく,今後に残された問題である註3)。
戸室火山は金沢市の南東方に位置している。白山などとともに,大山火山帯の東端をなすものとされている。戸室山(標高547.9m)はキコ山(城端図幅地域内)とともに角閃石安山岩の熔岩円頂丘であり,その周辺には同質の集塊岩が分布している。噴出の時期は卯辰山層堆積後,高位砂礫層の堆積と同時かそれ以後と思われる。角閃石安山岩はやや粗鬆で,一般に灰色であるが,風化すると褐色をおびる。鏡下の性質は次のとおりである。
斜長石・酸化角閃石・紫蘇輝石・黒雲母および石英
斜長石は1~5mm,累帯構造が発達し,明瞭なものには外核部に塵状包有物のあるものがある。酸化角閃石は3mm以下で,すべてその一部または全部がオパサイト化している。紫蘇輝石は柱状で長さ約0.4mm,黒雲母は少量で長さ約1mm,石英はごく少量で約0.5mmである。
ガラス基流晶質で斜長石・紫蘇輝石・燐灰石・鱗珪石・鉄鉱およびガラスからなる。
そのほか斜長石・酸化角閃石・紫蘇輝石および鉄鉱からなる径1~3mmの集斑状集合体が含まれていることがある。
森本川・金腐川・浅野川・犀川など,図幅地域内の主要河川の沿岸にはいずれも河岸段丘が発達している。
森本川では高さ10m程度の段丘が1段,ところによって2段認められる。残存するこれらの段丘の分布および現地形から旧河川の流路が推定される(第6図)が,これによれば,段丘面の形成時期は比較的新しいものと思われる。堆積物は厚いところで約1mでおもに砂礫からなる。
金腐川では新旧2段の段丘面が地形的に推測される。
これら両河川に較べて,浅野川および犀川沿岸ではとくに段丘の発達が著しい。この地域では第3表に示すように,大別して新旧5段の段丘が認められる。T1からT2までの段丘の状態から,現在みられる浅野川および犀川の両河川が,前には1本の河川であったがT3堆積以後両河川に分離したことが推定される。
また金沢市中央部から,その南の泉野出町および野田町附近にかけて,扇状地の古地形があらわれている。この扇状地は犀川によって下刻され,その表面はT3段丘面となっている。したがってかりにT1,T2段丘を古期段丘,T3,T4段丘を新期段丘として,地質図では2分した。
段丘堆積物はいずれも砂礫からなり,厚さは一般に数m~10mである。
浅野川・犀川の流路に直交する方向の地形断面図を第7図に示す。


( )内は標高:m

冲積堆積物は河北潟周辺地域に広く発達しており,その他,海岸線の砂丘下および各河川の河岸に僅かに分布する。
河北潟周辺地域では,試掘井の資料8)9)から,地表下約30mまでは砂泥または細砂を主とし,一部礫層を混える海成層が認められ,これより以深は細砂を主とするが,数枚の泥炭層を挟み,含有する化石珪藻から汽水性堆積物と考えられている8)。さらに100m以深では礫が大部分を占め,泥炭層や腐植土層は認められず,化石珪藻からは汽水性堆積物と淡水性堆積物とが混交している堆積環境が推定されている8)。したがって冲積世初期の海進が普遍的なものとすれば,深さ30mにある海成層以上の地層をもって冲積堆積物とみなすことができよう。しかし河北潟周辺地域は鮮新世以降の後背山地の隆起に対応して著しく沈降したことが予想され,冲積堆積物がさらに厚くなることも考えられる。
浜安原から徳光附近にいたる海岸線に扇状地性礫層を覆って冲積層が僅かに発達しており,砂丘によって覆われている。この冲積層は青灰色の粘土層を主とし,このなかに厚さ約30cmの泥炭層が挟まれている。泥炭層はところにより“夾み”によって4~6枚の薄層に分れ,地域的に岩相が変化する。泥炭層の下位に黒褐色の腐植土層がみられることがある(倉部川の河口南西方)。
この冲積層中にはAlnus sp., Machilus sp.などの多数の立木埋木がある16)。その樹根部は泥炭層下の粘土層中にある。泥炭層からは後期弥生式土器の産出が知られている。
河川に発達する冲積層は主として砂・礫および粘土からなる。
金沢市の南西方には手取川扇状地が,南方には古犀川扇状地が発達しているが,堆積物としては,各河川の河岸で僅かに認められるにすぎない。おもに礫層からなり,ときに砂層または粘土層を挟む。礫の大きさは最大30cm,普通約15cmで,円磨されたものが多い。礫種は砂岩・チャート・粘板岩その他各種火山岩などである。金沢市周辺の鑿井資料(第10図)によれば,これら扇状地堆積物の厚さは50m以上に及ぶが,下限は判明しない。古犀川扇状地の分布の北限は,金石―割出を結ぶ東西線で示されるものと推定される。泉野附近では扇状地の表面はT3段丘面に相当しており,扇状地の発達はT2段丘の形成と同時,あるいはその後に行われたものと思われる。扇状地堆積物は冲積堆積物とともに,地質図では冲積層として一括した。
富樫山地北西縁の山腹部から裾部にかけて,崖錐が発達する(山科町―額谷間)。この附近では直立にちかく急斜した礫岩・砂岩からなる卯辰山層が,地形的にも突出した細長い山稜をつくっており,崖錐堆積物はこの卯辰山層の崩壊物で構成されている。
図幅地域内の海岸線に沿って,砂丘が広く発達している。第8図に示すように,大根布附近の砂丘は標高35~50mに達し,その幅員は1.5kmに及んでいる。しかし,金石港以南では砂丘の発達は次第に悪くなる。
砂丘は一般に海岸の方に向かってゆるく傾斜し,内陸側で急傾斜となっている。
砂丘を構成する砂粒は径0.2~0.3mmで,内陸側の方がやや粗い傾向にある。
大野および大根布附近では砂丘から松林の埋没林が発見されており,砂丘の移動があったことがうかがわれる。現在では砂防工事を行ったり,植林やすがきをつくることによって内陸側への砂の移動を防いでいる。

本図幅地域の地質構造は比較的単調で,富樫山地には北方に向かってピッチするゆるい背斜構造があり,浅野川および犀川沿岸には同じく北方にピッチするゆるい向斜構造があるが,礪波丘陵の大部分では地層はほとんど平坦となっている。そして特徴的なことには,全般に緩傾斜の新第三系が,礪波丘陵および富樫山地の両地域とも,その北西縁の加賀平野に接する附近で著しく急傾斜となり,いわゆる森本撓曲を形成している。とくに額谷以南では,卯辰山層および大桑砂岩層が垂直となり,さらにところによっては逆転構造を示している。
断層には著しいものはないが,礪波丘陵では地域的に小規模な正断層が密集する傾向があるようである。いずれも落差1~2mであるから,地質図では省略してある。
また山川附近では小範囲ではあるが,かなり急斜した褶曲帯があり,褶曲軸に平行した小断層がある。
卯辰山層がこのような褶曲および撓曲運動をうけているので,このような構造運動は更新世になって著しくなったものと思われる。すなわち南部が隆起し,北部が沈降する傾動運動によって形成された北陸層群が,更新世の波曲的な運動によって変形され,現在みられる地質構造となったものであろう。
河北潟の東岸は水溶性天然ガスの産地として注目されている。ガス徴の認められる範囲は,南は金沢市今昭町附近から北は河北郡津幡町川尻(津幡図幅地域内)附近に及ぶが,浅野川・金腐川・森本川などの扇状地には認められない。
ガスを含む地層は第四紀の砂礫層で,細礫~粗粒砂・細粒砂・砂質粘土および粘土などの互層からなっている。この砂礫層は,鮮新世以降の後背山地の傾動的隆起に対応する平地部の造盆地的沈降に伴なって埋積されたもので,その堆積環境は汽水~淡水性を示しており,厚さは300mを超えるものと推定される。
ガス層は深度によって次の4層が認められる9)。
深度 25~30m GI層
深度 40~70m GII層
深度 100~120m GIII層
深度 140m 以深GIV層
250m 以深は含水層である。
これらのガスは,いずれもその成分からCH4~N2系のガスに属している。
河北潟地域のガスの飽和埋蔵量12)は次の通りである。

金沢市街地は犀川と浅野川とに挟まれた台地を中心に発達しており,市街地から北方に向かっては,排水河川の河況を呈する浅野川が河北潟に流れこむまで約1/750の勾配の平野を形成している。また市街地から西に向かって,一部分供給河川の河況を呈する犀川が日本海に注いでおり,約1/1,000の勾配で加賀平野の枢要部を形成している。
金沢市街地の南西方約13kmには鶴来町(鶴来図幅地域内)があり,ここを扇頂部として手取川の扇状地が拡がっており,金沢市のほとんど南限附近まで1/150程度の勾配の斜面がのびて来ている。海岸線はN45°Eの方向に直線状をなしており,犀川と河北潟の排水路である大野川以西には標高30~50mの砂丘が発達し,内側に平野をつつみ,あたかも平野内部の排水を両河道のみに委ねているかのようになっている。古来犀川および浅野川流域一帯はこうした状況から排水不良のため,地下浅部の地下水は水質がわるく,平野部における集落の用水源は地下深部の地下水を利用する掘抜井戸によってもつぱらまかなわれていた。したがって,金沢市附近は本邦掘抜井戸利用地帯のうちでも有力なものの一つとなっている。
一方農業用水は,犀川および浅野川両水系の表流水で,約3,000町歩の水田を灌漑している。そのほか補給水源として地下水の利用も行われている。そのなかには自噴量600m3/日,揚水量4,000m3/日以上に達する灌漑用井戸もある。
金沢市は昭和5年以来寺津農業用水路から分水をうけて,上水道ができ,現在では最大42,000m3/日の原水を処理するまでに至っている。なお別に昭和26年補助水源として,市内笠舞に水源井3本を設け,8,000m3/日の上水を得,これらを合わせて市街地の大部分に給水を行っている。さらに犀川下流に水源2カ所を予定し,22,000m3/日の集水量を追加し,最終的には22万人を給水対象とする計画が用意されている。
さらに金沢市は工業都市としてはまだ今後に開発が残されているが,大和紡績金沢工場以下既設の工場約40の用水源は,一部の染色および製紙関係を除いて大部分地下水に依存しており,その利用量はすでに40,000m3/日以上にも達している。
以上のような状況から判断して,農工業および上水道用の井戸群の揚水量と,一般民家の飲用に供されている掘抜井戸群(推定5,000本)の自噴量を合計すると,夏季最盛期には,金沢市だけで150,000m3/日以上の地下水の排水が行われているものと推定される。これらの地下水利用地帯は約60km2に相当することとなり,1km2当りの平均地下水排水量は2,500m3/日に相当する。単位面積当りの排水量としてのこの数字は,他地域に比較して豊富な地下水の分布地帯であることを示しているものとみることができよう。

蒐集された40余本の鑿井地層断面図から平野部の地下地質を大観すると,第10図のようにまとめられる。最深井は専売公社金沢地方局の2号井209mで,このほか福久町にある加賀天然ガス株式会社にもガス井として200m級のものがある。
金沢市上水源笠舞2号井などのある低位段丘帯では65m以深に,また金沢大学医学部,商工会議所などの井戸のある高位段丘帯では75~90m以深に,それぞれ砂岩層が分布している。この砂岩層は帯水層となっており,金沢市街地でもこの部分まで掘鑿して,砂岩中の地下水を利用している井戸が少なくない。この砂岩層は,鑿井資料のみでは明らかでないが大桑砂岩層に相当する可能性がある。
一方卯辰山層以上の地層中の地下水を利用している井戸は,少なくとも市街地一帯では20m以深のものが該当しているようであるが,卯辰山層とその上位に重なる地層との区別は,両者に含まれる地下水の水質もとくに相違していないので,困難である。
第10図に示すように,金沢市街地一帯と,白菊・糸田・八日市などの市南部地区とでは,とくに礫層の発達が顕著に認められ,また北部の福久・高柳・玉鉾・古府などの一帯では粘土層が厚く,おもに砂層が帯水層となっていることが明らかである。
市南部の礫層の多い地帯は,犀川の扇状地にも当るが,また手取川の扇状地末端にも近く,地層の細部変化はかなり複雑である。手取川からもたらされたと推定される礫層は,手取川に近づくに従って,漸次巨礫の堆積に移化し,礫のみで40m以上の厚さに達している。

この地域では自由面地下水と被圧面地下水との利用地域が画然と区分されている。すなわち,砂丘地末端の倉部部落の南部よりほぼ真東に向かう一線によって,北部は被圧面地下水の利用地帯,そしておそらくはその分布地帯となっており,南部は自由面地下水の利用地帯,おそらくはその分布地帯となっている。
南部一帯では,手取川の扇状地堆積物が相当深部まで発達しており,表土2~3m以下はほとんどが巨礫からなり,一部砂礫あるいは砂を含む程度であって,不透水層を挟有しておらず,南によるに従って地下水面までの深さも低くなり,地下水位20~30m前後の部分もみとめられる。また豊水期,渇水期による水位の変化も著しく,したがって掘井戸の掘鑿も容易でなく,大部分は一部落1~2眼の掘井戸による簡易水道が普及している。
北部地域では,南部と異なり不透水層の発達がみられ,したがって被圧面地下水が分布している。帯水層は境界線附近において礫層であるが,北方に向かうに従って次第に砂礫あるいは砂などの比較的細かいものに移化してゆく傾向がみられる。
地下水の水温は,深度別にも地域別にもほとんど変化がみられない。すなわち南部の自由面地下水および自噴帯,そのほかの被圧面地下水はすべて12~15℃台を記録しており,日本海側地下水共通の低い温度を示している。
また水比抵抗は昭和32年夏季にあって,犀川表流水(大桑橋下)が14,000Ω-cm前後,浅野川(館町附近)および伏見川(二万堂橋下)がそれぞれ13,000Ω-cmを示している。手取川は鶴来町船岡地先で10,000Ω-cmであり,前述3河川に比較するとやや低い値となっている。
地下水の水比抵抗については,犀川右岸側に犀川表流の水比抵抗とほとんど同値を示す10,000Ω-cm以上の部分が,大豆田本町の大和紡績および若宮町一帯からはじまって北北西方向に向かって細長く伸びているのがまず指摘される。この10,000Ω-cm以上の値を示す一帯は,犀川の水がもっともよく供給され,しかも活溌に流動している一帯と推定される。浅野川の表流の渗透を示す徴候がみられる箇所はまったくなく,この一帯の地下水がおもに犀川によるものであることは明らかである。大場および福久一帯の地下水中にはメタンガスを伴なっており,いずれも水比抵抗は低い値を示し,ほとんど停滞しているということができる。
犀川左岸側においては,10,000Ω-cm台のものが,白菊町および中村町一帯の犀川沿岸に分布しているが,右岸側のようには平野部に向かって突出した分布を示していない。僅かに8,000Ω-cm台のものが不規則に比較的広範囲に分布しているが,これはおそらく手取川扇状地の地下水の影響をもかなりうけており,両者が入り乱れて存在しているものと推定される。
地下水の水質については,一般にHCO3-の含有量が多いと同時に,全硬度が比較的高く,これらはとくに自噴帯および手取川水系の地下水に顕著である。鉄および珪酸が少なく,また海岸部にも塩水の混入している形跡がない。
自噴井戸の分布は第9図に示した通りであり,自噴帯の面積は36km2となる。
井戸深度は南部において約14間(25m)であり,北部に向かうに従って,徐々に深度を増し,河北潟附近に至って40間(70m)前後となっている。その傾斜方向は北北西であり,現在の犀川の流路や,海岸線方向には関連性がみられない。また往時に比較して自噴量の減少がみられるとともに,自噴帯の面積も年々狭まってきているようである。
本図幅地域内では各地で鉱泉の湧出が認められる。鉱泉の所在地は,ほとんど高窪泥岩層および大桑砂岩層中にあるが,一部下荒屋凝灰岩層の分布地域中にみられる。泉質は塩類泉のものが多く,おそらく大部分の鉱泉の母岩は高窪泥岩層で,油田鹹水に関係のあるものではないかと思われる。
第4表に図幅地域内の鉱泉について記す。
いずれも低温で,加熱して浴用に供している。

戸室山の周辺地域では,戸室火山の角閃石安山岩を随時採石しているが,大規模には利用されない。往年尾山城構築の際には石垣石としてこれを利用したといわれ,いわゆる戸室石として知られている。